過去を振り返ると自分の卑小さが笑えてくる
「カフェに入った。適当に期間限定のものを頼む。
パンプキンなんちゃらというやつだ。オレンジのクリームが乗っていて、うまい。
それをちびちびと飲みながら本を読む。
駅前の書店で買ってきたもの。気の抜けるような表紙のコミックエッセイと、タイトルが衝撃的なノンフィクション。
私がのんびりとページをめくっていると、すぐ隣に美人が座った。美人は美人でもチャラい系。ゆるゆるに巻いた金髪に真っ赤なルージュ、持っているバッグは小さいけどゴテゴテしてる。
彼女は席に腰かけるとホットコーヒーを一口飲み、小さくてゴテゴテしたバッグからあるものを取り出した。…本だ。
思わず、ページをめくる手が止まった。
失礼な話ではあるけれど、それを私は意外に思ってしまった。
だって、こんなイマドキゴテゴテ美人が取り出すのは大抵がスマホで、その画面上にはインスタグラムが映ってると相場は決まっているから。
その本は文庫サイズだった。
表紙には先ほど私も訪れた書店のブックカバーがかけられ、作品名は分からない。
だが、パンプキンなんちゃらを飲みながらちらりと横目で見れば、そこには縦に流れる文字の羅列。
コミックでは無い。文字がぎっしり詰まった文庫本だから、文芸の可能性が高い。
ストーンでゴテゴテに飾られた爪と本屋のブックカバー。
ド派手なタイトミニスカートと文字を追う真剣な眼差し。そのギャップにはやはり面食らう。
が、素直にこう思った。
彼女は、美人だ。」
2017年9月22日、私が「小説家になろう」へ投稿した文章です。
タイトルは「ゴテゴテ美人と本」
…改めて見ると、なんて酷い文章でしょうか。
人様の読書姿を勝手に覗き見る浅ましさは言わずもがな、ゴテゴテ美人はなかなか本を読まないだろうという先入観が余すことなく滲み出ている。何が「その画面上にはインスタグラムが映ってると相場は決まっているから」だ。美人の何を知っているんだ私は。
ああ酷い。ああ卑しい。
顔を覆い隠したくなるような羞恥と嫌悪を感じつつ、けれど当時の自身の状態を思えば、まあ仕方ないかと納得もしてしまいます。
当時私は大学4年生。夏も過ぎたのに就活中という落ちこぼれ野郎だった。
面接が終わり、帰りの新幹線を待つ間に入ったカフェでの出来事でした。
毎日のように面接、面接、面接。数を打っても当たらぬ日々。当然疲労は溜まり、視野が狭くなっている時期。
そんな自分にとって、この光景はひどく衝撃的だったのです。
本と縁遠そうな(と勝手に私が思ってる)美人が、文字がぎっしり詰まった文庫本を読んでいる。なんと美しいのか。画になるとはまさにこのこと。
目から鱗というか。思わぬ伏兵に背後からズプリとやられたかのような、そんな感覚でした。
荒んだ心持ちの時、くすんだ視界に映るものは全てぼんやりしています。だからこそ、綺麗なものがより鮮明に映り、小さなことでも心に響きやすい。
摩耗しつつある人間が、そんな戯言を言っています。
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