変わらず渦巻くものもある
「たまに、無性に舌打ちをしたくなる。
無性に、と言うと、「無性に泣きたくなる」だとか、「無性に腹が減る」だとか、どちらかと言えば負を連想させる言葉が続くのだろう。
例によって、舌打ちという行為もあまり良い意味のものではない。
自分の育ちが悪いのかとも思うが、然程そうでもないはずだ。金はあまり無いが食事はよその家より豪華だったし。代わりに衣服代をちょっぴり削るような、普通の家。
父も母も健在。ちなみに兄も健在。両親は高齢だが割かしまともな人間だし、躾だって一般的だった。
そう考えると、私が舌打ちをしたくなるのは育ちのせいじゃない。
そもそも、舌打ちをすることと舌打ちをしたくなることは別物だ。舌打ちをするという行為ではなく、舌打ちをしたくなるという感情。
スマホの電池が減りやすくなった。ムカツク。
電車を乗り過ごした。ムカツク。
面接でまた落とされた。ムカツク。
音楽を聞こうと思ったらウォークマンの充電が切れてた。ムカツク。
入ったカフェの店員が無愛想だった。ムカツク。
ムカツク、は世に溢れている。
と言うよりも、私の中に溢れている。
ほんの些細なことで胸に黒い靄が生まれる。
ムカツクから。道端で叫びたくなる。ムカツクから。お姉さんのヒールをへし折りたくなる。ムカツクから。お兄さんの腰パンを下げたくなる。ムカツクから。他人を殴りたくなる。ムカツクから。自分の手首を切りつけたくなる。
でも、やらない。やれない。そんな勇気は無い。
世間体とか、社会的な地位とか。見栄とか、プライドとか。そんなものにがんじがらめにされてるから。
こんな黒い靄を抱える自分が嫌。
こんな不謹慎なことを考える自分が嫌。
考えるだけ考えて実行する勇気も無い自分が、臆病なまま何も変わらない自分が嫌。
嗚呼、ムカツクなあ。
無性に、無性に、無性に。
今日も私は、口を閉じ、鈍い音を鳴らす。」
2017年9月23日、私が「小説家になろう」へ投稿した文章です。
だいぶ尖ってますね。初回の記事でもそうでしたが、就活をしていた頃の自分はかなり摩耗していました。こんな文章を公開できてしまうくらいには疲れていました。
ただ、「ほんの些細なことで胸に黒い靄が生まれる」というのは、現在でも変わっていません。
無責任に「大丈夫」とほざく上司。対応が雑なコンビニ店員。逃してしまった終電。毎日無駄な連絡を寄越してくる人間。
いっそのこと社会から隔絶された生活を送りたい、とは常々私が思うことです。
でも、やらない。やれない。そんな勇気は無い。
働かなければ生きていけない。働く術は限られている。ならば、否が応でも社会と関わらなければいけません。
逃げればいいと他人は簡単に言うけれど、逃げる方が難しいこともある。
結局黒い靄を渦巻かせたまま、今日を生きる私です。
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