果たして、オタクは犯罪者予備軍なのか?

ちょっと前にTwitterやnoteで流行っていた「#私を構成する5つのマンガ」。
私もチャレンジしてみようと好きな漫画を懸命に思い起こそうとしたものの、画面を前にしてふと手が止まった。
5つも思い浮かばないのである。

それもそのはず。
私は幼少期に、気分屋教育ママのもとでアニメ、漫画、ゲームなどを基本的に禁じられていたのだ

小学生編:気分屋教育ママによる圧政時代

私が小学生の間は、特に厳しかった。
「漫画ではなく小説を読め」と口酸っぱく言われ続け、テレビはNHKを見ることが強く推奨されていた。
当時私の1番のお気に入りの番組は『生きもの地球紀行』であった。

ある程度知っていないと友人の会話についていけないと判断されたもの、例えば『ポケモン』や『たまごっち』などは許してもらっていたが、一方で『コナン』や『ワンピース』などは「血が出るから」「胸が大きすぎるから」などの理由で一切見せてもらえなかった。
そもそも両親は“漫画”と“アニメ”の違いすら分からないような人なので、書斎にいっても何もその類いのものは置かれていない。
まだガラケーすらままならない時期だから、動画に触れる術もない。
姉は極めて徹底的に教育されていたため、最近夫に「ジャンプ買ってきて」と言われてマガジンを買ってくるという嘘みたいな逸話を持つ人間に育った。

そんな姉が、数冊の江國香織の文庫本の裏に唯一隠し持っていたのが『赤ちゃんと僕』の13~18巻だった。
小学生の私は幾度となく姉の部屋に忍び込み、「『赤ちゃんと僕』の13~18巻を1億回読み返した人」としてギネス記録に載れるくらいには読み込んだ。

中学生編:結局、漫画と小説は何が違うのか?

しかし中学生になった私は、次第に母親の教育方法を論破できるようになってくる

ラッキーなことに、私の中学校の国語の教師はなかなかの奇人で、教科書を1ページも開くことなく、とことん昭和の文学を読ませてきた。
太宰治『斜陽』、武者小路実篤『友情』など十数作。
残念ながら『赤ちゃんと僕』13~18巻ほどには読み返さなかったが、時代を越えた名作はどれも私の人生に大きな影響を及ぼした。

そんななか、三島由紀夫の代表作の1つである『潮騒』を授業で扱うこととなった。
ご存知の方は「あー」と声を漏らしたかもしれない。
『潮騒』では、いわゆる主人公とヒロインと言えば良いのだろうか、男女2人が焚き火の周りで裸になって「火を飛び越えてこっちに来てみろよーw」などと戯れるシーンがあるのである。(※分かりやすいようにデフォルメしています。お好きな方、ごめんなさい。)
直接的なセックスシーンはないものの、ナミの胸の大きさのせいで『ワンピース』すら読ませてもらえなかった中学生にとっては、衝撃的な描写であった。

私は家に帰ってから、「漫画と小説って何が違うの?」と母親に尋ねた。
母親は一瞬黙った後、「ほら、ご飯冷めちゃうから早く食べなさい」と言った。

この頃、私は漫画を大量に貸してくれる優しいクラスメイトに出会い、『動物のお医者さん』で命の大切さを学び、『金色のガッシュ!!』で友情の大切さを学び、『魁!!クロマティ高校』でギャグを学ぶ。
(『ボボボーボ・ボーボボ』はちょっとまだ難しかった。)
そして『学園アリス』というそれでも何とも可愛らしい漫画を、まるでエロ本のようにベッド下に忍ばせ始めた。

高校生編:漫画が犯罪者予備軍を増やすのであれば、川端康成はロリコンを増やすはずだ

とはいえ私はまだまだ純粋で可愛らしい女子校生で、いろいろと名作を読まされた中で川端康成の美しい文章に興味をもつ。
「川端康成、好きかも」と思った私は、高校生になってから『伊豆の踊子』『雪国』に手を出してみた。

ここでも、ご存知の方は「あー」と声を漏らしたかもしれない。
『伊豆の踊子』では、温泉で14歳の少女が裸のままブンブンと手を振ってきて、主人公が「か、かわええ……」とほくそ笑むようなシーンがあるのである。(※手元に小説がないため曖昧のうえ、デフォルメもしています。お好きな方、ごめんなさい。)

日本人初のノーベル文学賞を受賞した人がなかなかのロリコン的表現をすることに衝撃を覚え、逆にロリコンも突き詰めれば日本人初のノーベル文学賞にまでたどり着けることに衝撃を覚えた。
国境の長いトンネルを抜けて、母親の教育方針に対する懐疑心は確固たるものとなった。

さらにこの頃、私は村上春樹にハマって彼の長編小説をほぼ読破する。
村上春樹は「やれやれ、僕は射精した」とまで揶揄されるほど実は性的表現が多いわけだが、然るべき年齢までに然るべきことを教えてくれたのは、間違いなく保健の教科書と村上春樹だった。
(もしこの家庭で男の子として生まれていたら、なかなか恐ろしいことになっていたかもしれない。)
また当時大ブームであった『DEATH NOTE』は「“正義”とは何か」ということを下手な小説以上に考えさせてくれたし、『のだめカンタービレ』から学んだ音楽の愛おしさは私の今の道にも繋がっている。

母親に植え付けられた「小説は高尚なもの」「漫画はくだらないもの」という認識は、次第に崩れ去っていった。

大学生編:たぶん私は犯罪者予備軍にはならない

大学生になって自分のパソコンをゲットすると、随分と自由ができるようになってきた。
さらに「読んでないのはヤバいよw」などと言いながら『ワンピース』を全巻貸してくれる友人や、『エヴァンゲリオン』のBlu-rayを見せてくれる友人、唐突に『ピューと吹く!ジャガー』の『なんかのさなぎ』を聴かせてくる友人などに出会い、ようやく失われし基礎知識を取り戻し始める。

そして『銀魂』と司馬遼太郎『燃えよ剣』にほぼ同時期にハマって歴女となり、数々の歴史小説で数々の暴力的な男たちと遭遇する。
また敗者のストーリーにも目を背けない『ハイキュー!!』で初めてスポーツの奥深さを知り、さらには音楽を通して声優という新しい分野を出会い、花江夏樹さんと早見沙織さんの声に狂おしいほど恋していくことになる。
(余談だが、『銀魂』作者の空知さんは『燃えよ剣』が愛読書なので、両作品を読むと度々共通の歴史ネタが出てきて面白い。)

何故「オタクは犯罪者予備軍」という考え方が生まれるのか?

「オタクは犯罪者予備軍」というしばしばニュースなどでも目にする考え方は、母がよく口にしていたものそのものだ。
どうやらアニメ、漫画、ゲームなどに含まれる性的表現や暴力的表現が教育上良くない、という判断からくるようだが、どんな芸術にも過激な表現は多かれ少なかれ含まれている。
確かにあまりに幼い頃から過激な表現を目にするのは教育上良くないだろうが、美貌にあやかって夜這いしまくっている光源氏や、基本的に全裸のギリシャ彫刻が教育上好ましいものとして教科書に載っているなか、アニメ、漫画、ゲームなどだけ「教育上良くない」とする理由は私にはよくわからない。

「オタクは犯罪者予備軍」のような極端な考え方をする人は、アニメや漫画に限らず、映画や小説などにもあまり触れていない人が多いように思う。
もしくは例え多少嗜んでいても、心を震わすほどの作品には出会ったことがないのかもしれない。
少なくとも、「ほら、ご飯冷めちゃうから早く食べなさい」と話を逸らすしかなかった私の母は、三島由紀夫の『潮騒』は読んでいなかった。

今思えば、母が漫画やアニメを禁止していたのは「自分が感動的な作品に出会ったことがない」ことからの劣等感や嫉妬ゆえ、という側面も少なからずあったのだろう。
その裏付けとして、私が村上春樹や司馬遼太郎にハマったときには、読みもせずに「抽象的すぎる」「右翼だ」などと悪口を口走っていた。
(母自身が読んだことはない証拠として、村上春樹の性的描写の多さについては特に何も指摘されていない。)
結局母にとっては漫画だろうが小説だろうがどうでも良くて、ただ何かに熱狂できることに対する一種の羨望が、「アニメ、漫画、ゲーム禁止」という教育方針に至らしめていたのだ。

好きなものがあるということは、素晴らしいことだ

今では私は、仕事でアニソンを扱うような身になった。
未だに幼少期の知識不足が足を引っ張ることもあるが、一方で変わった生い立ちだからこそはっきり断言できることがある。
好きなものがあるということは、素晴らしいことだ

私が出会ってきたオタクの友人たちは、まぁ確かに全体的に早口でしゃべりがちではあったが、でも引き出しが豊富で、また物事の考え方も豊富な人ばかりであった。
そしていつも私にたくさんの素晴らしい作品を教えてくれた。

現在海外に目を向けると、解決されたかのように思えていた人種差別問題が連日大きく報道されている。
偏見や思い込みが完全になくなることの難しさを、改めて痛感する。

この文章をここまで読んでくれた貴方は、もしかしたらオタクであるがゆえに過去に嫌な思いをしたことがあるのかもしれない。
でも例え今後何か不快なことを言われても、「そっか、この人はまだ何かに夢中になったことがないんだな」とでも思って、心の奥底で実は憧れられていることに自信を持ってほしい

長々と半生を振り返ることで、ようやく自分の考えがまとまってきた。
#私を構成する5つのマンガ  は、『赤ちゃんと僕』『学園アリス』『のだめカンタービレ』『銀魂』『ハイキュー!!』である。

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