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イギリス現地取材コーディネーター、ライター経験を経て

現在、私は2010年からパレスガイドとして働いているのですが、いつも職業を説明する時に一般では聞き慣れない職業ですので、旅行に同行し案内するガイドとは違って、訪れる先のハウスに常勤しているガイド、ハウスガイドと説明しています。

私の職場は元々はカントリーハウスとして建てられ後に宮殿と呼ばれるようになりました。ですからハウスガイドではなく宮殿のガイド、パレスガイドになるわけです。

勤務先の宮殿は英国のオックスフォードの大学街のあるオックスフォードシャー(オックスフォード州 Oxfordshire イギリスではこのように地名にシャーが最後につくと日本で言う都道府県、州の事を表します。)からバスで20分ぐらい離れたウッドストックにあるブレナム宮殿。

ブレナム宮殿はイギリスのバロック様式の建築物で、1987年に世界遺産に登録された非常に珍しい世界で唯一の個人宅なのです。

英王室が所有する宮殿ではなく英国貴族の名家スペンサー  チャーチル家の本家、マールバラ公爵の私邸です。

また、ブレナム宮殿はウィンストン・チャーチル(ウィンストン スペンサー チャーチル)が誕生した生家として日本では知られていますが、ウィンストン・チャーチルの住んだ家ではありません。

ウィンストン・チャーチルのお父様であるランドルフ  チャーチルは7代目マールバラ公爵の次男にあり、たまたまご両親が週末に宮殿で開かれたパーティに来ていらした時にお母様ジェニー ・スペンサー チャーチルの陣痛が予定よりも5週間早く始まり、ウィンストン・チャーチルは1874年11月30日に宮殿の一室小さなクロークルームで誕生されました。

ちなみに日本の本やインターネット上ではかなり間違った事が書かれている為に、そのまま信じている日本人が非常に多い現状です。

1週間前に突然noteを始めた私なのですが、実は日本語で記事を書くのは10年以上ぶりでした。お恥ずかしい私の壊れた日本語と打ち間違いだらけをご披露してしまい申し訳ございません。(滝汗)当分の間noteは私の日本語のリハビリ期間、試運転中としてお許し下さい。

現在の私の仕事なのですが、以前していたライターのように書く仕事ではなく歴史を語る話す仕事です。

ストーリーテリング、パブリックスピーキングで2010年から宮殿内と宮殿の外の森や庭で世界中から来られる観光客や学校や企業からの来られる個人と団体客、また宮殿にお客様として来られるVIP、またメディアのライターやテレビ局や映画会社も含めこれまで述べ20万人以上の方々にブレナム宮殿の歴史、宮殿に伝わる秘話、スペイン継承戦、初代モールバラ公爵ジョン・チャーチルの事、ウィンストン・チャーチルの事を語ってきました。

ブレナム宮殿はウィンストン・チャーチルのご先祖様であるイギリスの英雄、英国の将軍である初代モールバラ公爵ジョン・チャーチルがスペイン継承戦争でフランスと戦い、1704年8月13日にドイツのバイエルン地方であったブレナムの戦いで勝利をおさめ、それまで無敵のフランス軍と呼ばれていたルイ14世国王の軍が初めて負けた戦いでした。

その功績を称えてアン女王からイギリスの国家褒章として英王室の狩り場であった2000エイカーのウッドストックの森と建物を建てる建築資金£240,000を与えられて建てた宮殿です。

今年は初代モールバラ公爵が亡くなりになられて300年目にあたる大切な記念すべき年になるため、ブレナム宮殿では今週の金曜日4月15日から初代モールバラ公爵の功績と人生を祝った展覧会が開催されます。イギリスの将軍ジョン・チャーチルの人生と、その時代のバロック様式をテーマにした内容です。

毎回、展覧会の当日の朝や前夜に世界中からのプレスが集まるプレビューが行われ、その準備で私は忙しく今週はバタバタとしておりますので、ゆっくりnoteに書けるのは今週末ぐらいからになるかと思います。

これからnoteにパレスガイドとしての仕事の事やブレナム宮殿の事、スペイン継承戦争、初代マールバラ公爵イギリスの将軍ジョン・チャーチル、ウィンストン・チャーチルの事、宮殿のある土地ウッドストックの事なども詳しくゆっくり書いていきたいと思っておりますので、楽しみにしていて下さい。


# 仕事 #ブレナム宮殿   #ウィンストン・チャーチル

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