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幸せのつかみ方 No.2 私の場合

あるドキュメンタリー映画について

テレビの番組で信友直子監督の「ぼけますから、よろしくお願いします」のドキュメンタリー映像を何度か目にする事があり 皆少なからず我が身にオーバーラップさせて見ていた人も多いと思います。
自分の親が認知症で時間の経過とともに変わって行くさまを映像に収めていく様子が映し出されていました。
映像に見入りながら 女性として、娘としてとても気丈で現実に向かいあえる強い人という印象でした。

誤嚥性肺炎・胃瘻

この言葉はすでに亡くなっている舅や実父が入院した時毎日のように会話に出た言葉でした。
この映画の監督もやはり その状況に直面した時の気持ちの中で
「食事の出来なくなった母親が点滴でしか栄養を取れなくなり日に日にやせ細っていく様子から ”これでは餓死してしまうんじゃないか”という思いにかられて胃瘻を選んだ」とあった。

どちらを選ぶか 実の親であればかなりきついのである。
選ばなければいずれ来る死に向かって生きるだけだし
選べば命は長らえる事は出来るが一生口から食べる事は出来ない
一人娘である監督は一人で判断せざる得なかったのでしょう
それは相当辛い事だったと思います。

しかしながら兄弟・姉妹が複数いたとしても
それはそれなりに考えの違いからもめる事となるのです
夫の父親である舅もそんな状況でした 
15~6年前はまだ胃瘻の情報は一般的ではなかったのでかなり調べました
舅の場合胃瘻を選んだとしても長くは生きられない事は見てわかる状態だったので長男である夫と私は胃瘻はしたくない事を兄弟に話しました
やはり兄弟とは意見は一致しませんでした。
「金が惜しいか!」浴びせられた言葉でした
長生きされたらそれだけお金がかかるから嫌なんだろうと言われ
それ以来絶縁しています
かなり傷ついたのです 特に夫は
結果的には胃瘻を承諾しました。心が折れてしまったからです。
その後数ヵ月で舅は亡くなりました。

本当の親であっても

信友直子監督の言葉から
「ホンネを言えば、私は今の母をもう、努力しないと愛することがでこません‥‥ ‥‥ 今の母を愛するには努力が必要だと認めざるを得ません」

この言葉を読んだとき あぁ‥‥私もそうだったと、胸の奥底に押し込んでいた感情を今更ながら認めています。

実の父が倒れ入院生活一年で旅立ってしまいましたが
一年の間には危険な状態の時も有れば会話が出来るほどに元気に見える時も有りました。
状態が良い時はベットの上から動く事の出来ないストレスから我儘になるのは仕方がないとはいえその姿に辛いと思う事もしばしばありました。

それでも最後の親孝行として父の話をさえぎる事無く聞く事にてっしました。
自分の子供時代の話から初めて就職したとき、独立した時、仲間内に騙された時、自分の母親の話等々
1時間半の話を週に二回
私が病院に行くたびに最後まで聞きました
話し終えると満足したように目を静かに閉じて
「疲れた?」の言葉に静かに頷いて
「帰るよ?」の言葉に手をほんのちょっとだけ上げて
そして私は帰るのです
話しが出来る状態の半年位それは続きました。

本当の気持ちを言えば ”忍耐”の言葉が今でも浮かんできます。
そんな気持ちになる事に罪悪感を持っていました。
良い人を演じていたのでしょうか?

信友直子監督の正直な言葉に安堵するとともに それでも良いんだと今更ながら気付いているのです。

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