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びいどろ  1


プロローグ


夏だというのに、近頃はどうもカラダが冷える。特に肩のあたりがいつもゾクゾクするので、朝晩はゆったり湯に浸かるようにしている。

いつ頃からか忘れたが、私には、霊感と第六感がほんの少しある。カラダの冷えは、霊が憑いている感覚と少し似ている。そんなことがあるのかどうかわからないが、これは自分の生霊ではないかと思っている。そのせいなのか、最近では第六感が働く頻度が増えたように思う。そして、やたらと過去に連れて行かれるのだ。


私の名前は九重ここのえまつり。昭和の時代、東京タワーが出来た年に私は生まれた。
5歳までを長崎県の五島で過ごし、その後、家族で兵庫県に移った。この時、父は新しい地に夢と希望をもっていたのだと思う。あとで聞いた話だが、本当は大阪府まで、足をのばしたかったらしいが、気の弱い田舎者の父は、大阪にほど近い尼崎に拠点をおいたのだった。
暫くすると、父に異変が起こり始めた。
父は左官業の仕事にしていて、そこで酒の味を覚えたのだが、酒癖が悪かった。いわゆる酒乱である。
仕事はできる方だったが、親方や先輩たちにこき使われても逆らえず、文句を言うようなら仕事を失いかけなかった。我慢をするという日々が続き、真面目で大人しい性格の父は、酒で気持ちを誤魔化した。そして、酒の力を借りて仕事でのうっぷんを、自分よりも弱い家族に暴力でぶつけるようになっていった。
私が12歳の時、母が家出をした。そして、父との暮らしに危機が迫った15歳の秋、担任の先生の手引で、私は父を捨て、母が待つ東京に行った。
これが第二の人生の始まりだった。
この物語は私の回想記憶である。




1.祖母の記憶


近頃は、よく過去を思い起こす時間が増えた。
頭の片隅にある、ぼんやりした記憶がみえた時はハッとする。
うっすらと浮かんで、徐々に鮮明に思い出していく顔。
私の記憶の中、あなたは確かにいた。

だけど、印象が薄く、思い出すのは顔だけだ。
それは父方の私の祖母。15年間一緒にいたはずなのに何一つ思い出がない。アルバムを見ると、一枚だけ写真が残っていた。

小学校の運動会。私は4年生位だろうか。お弁当を食べている私の斜め後ろに、無表情な祖母の姿が写っている。

ああ、名前を思い出した。

だけど、やっぱり記憶の中には思い出が見当たらない。
なぜなんだろう、なぜ記憶が残っていないのだろう。私に祖母の存在を排除する理由があるのだろうか。それとも、祖母が関わらないようにしていたのだろうか。あるいは、気配を消していたのか。

唯一知っているかもしれない母はもうこの世にいない。
知りたいのに聞けない。
これから先、祖母について、何か思い出せたら良いのだが・・・。

祖母がいつ亡くなったのかさえ覚えていない。というか、知らない。
こうなってくると、祖母はどんな人生を生きて来た人なのだろうかと気になってくる。
母方の過去帳はあるが、父方の過去帳なるものは見たことがないので何もわからない。そもそも、父のことさえ、私は良く知らない。
父とは、15歳までしか一緒にいなかったし、可愛がられた記憶がないからだ。
子供のころに母から聞いた話では、父の家は貧乏で、小学校を出てからずっと家のために働き、家族を養っていたしっかり者の好青年だったらしい。
祖母は旧姓を名乗っていた。もしかしたら、子供を連れて離婚したのかもしれない。父には弟がいたので、当時は三人家族だったと思われる。
祖母は、自分たち家族を養わせるため、息子に苦労を掛けたことに負い目を感じていて、所帯を持った後も世話になりっぱなしの息子には口出ししなかったのではないだろうか。
母に対しても文句も言わず、息子の嫁になってくれたことをとても感謝していたそうだ。だから、何があろうとも、部屋の隅で静かに見ていたのかもしれない。
これはあくまでも想像だ。父と母が結婚した経緯が気になるところだが、それはのちほど、母の記憶で語ることにする。

母が亡くなって30年になるが、母が生きていたら聞きたいことが山ほどある。生きている間に聞いておけばよかったが、その時は自分のことで精一杯の若者だったので、親のことは後回しになっていた。
死ぬ前に伝えておかなければいけないことはあるはず。
子供たちに知っておいてほしいこと、子供が知りたい親のことは伝えておきたい。

15歳の頃のまつり




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