なぜ私はTAKAKOという女を登るのか
「TAKAKOは言うなれば山だ」
私は親しい友人達に定期的にこう言う。
なぜ彼女を「山」に例えるかというと、
まぁ誰よりも奇抜な思考と性格なクセに誰よりも平常運転をしているので周囲は愛と苦労に満ち溢れている。人懐っこく愛くるしい所があるので、彼女の突発的なぶっ飛んだ言動に毎度初見かのように衝撃が走る。
なのでそのクレイジーな彼女の一面を忘れぬ様、戒めのごとく「山」と表現している部分もあるが、
「もう2度とこんな山登らないぞ」と思っても
「あ〜またあの山登りたいなぁ」と必ず思う。
それがTAKAKOだ。さしずめ私はTAKAKOという山のアルピニストだ。
前置きがだいぶ長くなってしまったので、既にもうこれは二部作、いや三部作になってしまう可能性がある。
何故ならこのTAKAKOの話、TAKAKOをディスりたいが為の話でもなければTAKAKOを称賛する話でもない。
過去記事にある「ともか」の話と共通する「日常生活において理解し難い経験」の話だからだ。長くなる。うん。
ともかの話を読んだことない人は是非読んでみて欲しい。
まず説明しなくてはならないのがTAKAKOという女との出逢いについてだ。
彼女は私の一つ年上で、上京して初めてできた東京の友人ってやつだ(いや当時は彼女、相模大野住んでた気がする)
私19歳
TAKAKOは20歳
忘れもしない六本木のクラブのイベントのオーガナイザーとしてTAKAKOは現れた。
今も鮮明に覚えてる真赤なピッタピタのツッルツルのサイドがスッケスケの、、、、とまぁ当時では珍しくはないBガールスタイルだったのが彼女だ。
「東京の女は田舎のビ⚪︎チよりエロいな」と思った記憶がある。
恐らく25歳くらいの印象だった様に思う。
真赤に塗られたぽってりとした分厚い唇。
切れ長なのに大きい目。
艶々の黒い髪。
ん???
.....あれ?どこかで???
初対面となるその六本木のシーンで
私達は「初めまして....じゃないよね.....?!」とお互いがなった。
あれーーー??どこで会ったんだっけ???
えー絶対会ってるよね???
気のせいかぁ.....。
お互いの反応がこうだった。
そのイベントが明け方終了し、どちらから誘うでもなくフレッシュネスバーガーに行き2時間以上話す事になる。
初対面の人と2時間はキツい。
私の性格上5分でもキツい。
けど彼女とは居れた。
居れたというかむしろ楽しかった。
本当に気を許してないと
#カフェでお喋り ❤️
的なのが超絶苦手なので、そこもクリアしてくる目の前の女を只者とは思えなかった。
そんな居心地の良い空間で、私達の記憶が繋がる事にそう時間はかからなかった。
フィッシュバーガーとアイスコーヒーを注文し席に戻る時、着席している彼女の横顔に幼い時に1日だけ友達になり、バイバイを言えずに会えなくなった少女の記憶が映ったのだ。
「え?あの時の?」
声に出た。
席に戻った私のその様子を見た彼女もまた記憶が戻ったかのように
「え?あの天然パーマの関西弁だった女の子?!」と返した。
そう私達は幼い時に出逢っていた。
15年前、1日だけあの奇妙な場所で会った。
サヨナラを言えずに私の心に残っていた、おそらく私の人生で最初の友人だ。
私はあの時4歳だった。
彼女は5歳だった。
この後私たちは何故、あの時あの奇妙な場所にいたのか。
何故別れ際が曖昧なのかを話すことになる。
それがまぁ思っても見ない恐怖の始まりだった。
いやこれ、次回に持ち越します。笑
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