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無。

 すっかり夜が更けてきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は朝になったらどこに歩いていくのか思案中です。

 今日もとある家の修理をしていました。昨日は屋根の修理をしましが、今日は穴が空いた床です。またまたお金がありませんので、新しい資材を購入することができず、今ある物でなんとか工夫して修理しなければなりません。あたりを見回すとなぜか黒板があったので、その黒板を壁から外して床が代わりにしました。黒板を床の代わりにするなんて教員としてあるまじき行為ですが、今は使われていない黒板なので手を合わせながら床として再利用させてもらいました。こちらも何とか応急承知ができたと思ったら束の間、今度は側溝の水が流れなくなっていたので、慌てて泥をかき出して流れるようにしたり、通路が塞がっていたので瓦礫をどけて通れるようにしたりと、まるで災害ボランティア活動のような動きをしていました。それでも一通り作業が終わってふと上を見上げると、何とそこの天井が落ちていてきれいな青空が見えたのです。思わず「まだあったか。」とため息をつきましたが、次の瞬間どうやったら修理できる考えている自分がいました。何となく挫折にも強くなったような気がします。

 今日もとあるおばあさんと会話していましたが、途切れることなく対話が続きました。その対話の中でなぜかふと「私、今「無」なんです。」と語っていました。相変わらずスピリチュアルな話になりますが、今の私空っぽなんですよね。なので、その空っぽの器にいろんなメッセージが降りてきて、その言葉を周りに伝えている感じです。今までの私だと相手の言うことを先読みして、「次はこう言って論破してやろうと。」考えることが多かったのですが、今の私は自分というものがないという感覚なんです。だから今までの私が全く使ったことがない言葉が、口からどんどん出てくるという不思議な体験を毎日しています。全てを失ってさらに全てを捨てる決断をしているから、もうこれ以上失うものは何もないという無の境地に至っていると自分では分析しています。正直こんな境地に至るとは、自分では全く予想できませんでした。しかし、こんな境地でまちを歩いていると景色の埋め込まれた背景を読み解く力が増しているような気がします。まちのとある場所でお寺がたくさん建っているところがありました。小高い丘を中心に密集していたので、これは何か意図があって作られているかと探ってみると、やはり城を守るために配置されていることがとあるお寺の解説で説明されていて、思わずやっぱりと頷いていました。

 今日も朝ドラで泣いてしまいました。(連日朝ドラネタですみません。)今日の泣きポイントは、主人公の旦那さんが出生前に主人公からお詫びされるのですが、それに対して旦那さんが「好きなことをしているあなたの笑顔を見るのが好き。」という言葉で涙腺切れました。私も大学にいた時いつも学生に対して「好きなことをしたらいいよ。」と毎日のように伝えていました。もちろんそうしてほしいという気持ちから伝えた部分もありましたが、それ以外の部分として関わると面倒臭いし、自分が責任取るのイヤだしといった感情もあったことも事実です。今日の朝ドラの旦那さんは純粋に笑顔を望んでいるなだなと思うと羨ましくなりました。ただ、今の自分であれば私の周りの人の笑顔を純粋に願うことができるような気がします。無の境地になると自分がないので、100%相手の幸せを願うことができるようになるというのが今の私が至っている境地です。そして、目の前に課された課題(2箇所目の空いている天井をどうやって治すか?)に全力で取り組むことによってまた誰かの笑顔を作ることができると思うと、自然な喜びを感じることができるので、本当に不思議な体験です。

 これから大学教員になる人には、自分に執着することなくいつも相手のことを慈しむ気持ちをもっている人になってほしいと思います。私もそう思えるみなさんを心から愛しみたいと思います。

 (ユニクロ感謝祭が気になる元准教授でした。エアリズム安い!。やっぱり煩悩まみれかな?)


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