思考の法則 「なぜ、苦しいのか?」
思考の法則「なぜ、苦しいのか?」
「苦しい!」
「苦しい!」
「苦しい!」
私は、私の『境遇』を、嘆きました。
私は、苦しんでいます。
「なぜ、私は、苦しいのですか?」
私は、問いました。
私のなかの、もう一人の私に、問いました。
もう一人の私、通称『彼』です。
『ありまままに、見ていないから』
彼は、答えました。
私は、問いました。
「どういう意味ですか?」
彼は、答えました。
『ありのままに、自分の『境遇』を、
見ていないから』
「見ていまよ!
だれが見ても、私の『境遇』は、苦しいですよ!」
私は、強く反論しました。
彼は、答えました。
『例えば、異国の地で、過酷な『境遇』にいる人と、
現状のあなたを、比較したら、どうだ?』
私は、想像してみました。
「確かに、そのような人と比較したら、
私の『境遇』は、
『苦しい』ではなく、『楽』かもです」
「でも、そんなの、詭弁!詭弁!詭弁!詭弁!弁詭!弁詭!弁詭!」
私は、反論しました。
そして、また問いました。
「私は、私の、現状の『境遇』が、苦しいのです!」
彼は、また、答えました。
「例えば、豊かで、恵まれている『境遇』の人と、
現状のあなたの『境遇』を、比較したら、どうだ?』
「楽しい! に決まっていますよ!」
イヤミですかね! イヤミ!
私は、不遇の! だから苦しんでいるの!」
私は、本気でイライラしてきました。
そして、彼は、言います。
『あなたの『境遇』は、
比較する対象が、変わることにより、
『楽』にもなり、『苦』にもなるね』
「は?」
『大事だから、もう一度、言うよ』
『あなたの『境遇』は、
比較する対象が、変わることにより、
『楽』にもなり、『苦』にもなるね』
私は、じっくりと考えました。
様々な『境遇』にいる人と、
現状の自分の『境遇』を、
比較してみました。
確かに、私の現在の『境遇』は、
『楽』とも言えるし、『苦しい』とも言える。
「まあ、そうですね」
しぶしぶと納得しつつも、
さらに、私は、問いかけました。
「では、自分よりも、
過酷な『境遇』の人と比較して、
現状の自分の『境遇』に、苦しむな!
感謝しろ!
と、あなたは言うのですか?」
『ちがうよ。それこそ、詭弁だ』
彼は、答えました。
そして、続けて言いました。
『ありのままに、見なさい。
自分の『境遇』を、ありのままに見なさい』
「はい?」
『あなたの境遇に、『楽』も、『苦』も、ない。
幻想だよ』
「はい?」
私の頭に、疑問符が、うかびました。
『あなたの、思考システム、『比較』が、発動している』
「比較・・・ はい、そうですね」
私は答え、彼は言います。
『思考システムが、
あなたの『境遇』と、他者の『境遇』を、比較する』
『思考システムが、勝手に選んだ『境遇』と、比較する』
『そして、不遇だ! 苦しい! と決めつける』
「比較・・・、たしかに、比較しています」
私は、納得しかけていました。
そんな私に、彼は、言いました。
『思考システムを発動させ、比較して、
『楽』『苦』という、
幻想の感情を、創造している』
「はい?」
『大事だから、もう一度、言うよ』
「はい」
『思考システムを発動させ、比較して、
『楽』『苦』という、
幻想の感情を、創造している』
私は、じっくりと、彼の言葉を、分析しました。
「ああーーーーーっ、なるほどーーーー」
私は、理屈が、わかりました。
彼は、つづけて、言いました。
『ありのままに、自分の『境遇』を、見なさい。
比較しないでね。
幻想を、創らないように。
『楽』も、『苦』も、ない。
ただ、『境遇』があるだけだよ』
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