崇拝って何だ?
神様は人間を
「神を崇拝させる為に」
お創りになった、
ということを前回書いてみました。
こんにちは ファーティマ松本です。
「崇拝」と聞くと、
皆様はどんな事を思いだしますか。
崇拝ですからねえ、、、
例えば、、
お祈りとか、
お参りとか、
お布施とか、
そーんな感じ、、ではないでしょうか?
結構、少ないですよね。
イスラム的には、
お祈りの他にも
断食とか、巡礼とか、
または喜捨といって貧しい人にお金を
あげるような事も崇拝の域に入ります。
他には聖典を読んだりっていうのも
もちろんアリですね。
しかし、、、
本当の意味での”崇拝”というのは、
実はこれだけではないのです。
イスラム教における崇拝というのは
実は、、、
生活の全てを指します。
例えば、
寝ること、食べる事、
洋服を着ること、挨拶をすること、
働くこと、勉強すること、運動すること
掃除をすること、料理をすること、
買い物すること、お風呂に入ること
周りの人に良い態度で接する事、
親孝行すること、ペットを可愛がること
などなど、
まあ、とにかく全部が全部なんです。
これらすべてが”崇拝”の域に入ってしまうなんて、
ちょっと驚きですよねー。
もちろん、これらの上記の行いを
”崇拝”にできるかどうかは
個人の意思によるのですが、、。
ほとんどの人は、上記のような行いを単なるルーティーンとして
認識しているにすぎないと思います。
時間になったから食べるとか、
時間が来たから、学校に行くとか、、
学校や会社に行くときに
「さあ、私はこれから崇拝行為を行うぞ」と
鼻息荒くして出かける人はいませんもんね。
さて、さて、
ではどうすれば、
上記の行いを”崇拝”域までに
高めることができるのでしょうか。
まず第一に重要なのは、
「神様を意識して行う」ことです。
ここでちょっと思い出してみてください。
先々週、預言者さん(平安あれ)がムアーズさんという方に仰った
あの助言を!!
こんな感じのものでしたね。
”アッラーよ、あなたのことを常に思うようにしてください。
あなたにいつも感謝できるようにしてください。
そして正しく崇拝できるようにしてください。”
最初に”常に思うようにさせてください”
とありますね。
常に神様のことを思って暮らすというのは、
とても大切みたいです。
(何しろ一番最初の助言ですから)
どうしてそれが とても大切であるかは、
また後ほどゆっくり書くとして、、、、
神様を意識しながらする行為
例えば、何かを食べるときに
神様に「ご飯が食べられること」を感謝をしながら食べれば
それは、神様を崇拝していることになります。
反対に
感謝をしないで、フツーに食べていれば、
それは、もちろん
ただ”食べている”だけにすぎません。
働きに行く時も、
これで家族を養うことができるありがたい、
と神様に感謝をしながら行けば
これまた立派な崇拝行為になります。
寝る時には、
「さあ、しっかり寝て、(疲れをとって)
明日もたくさんの崇拝行為を頑張るぞ!」
と思いながら寝るのであれば、
睡眠自体が立派な崇拝行為になります。
自分の親に良い態度で接しよう!と思うのも
「神様がそうするように仰ったことだから」
と思ってするのであれば、
(例えイヤイヤでも、、)
それは、かなり凄い崇拝行為です。
さて、私たちが行う全ての行為が
崇拝行為になる得るというのは、
まあ、分かって頂いたとして、、
ではどうしてそんなことをさせる為に
神様は(わざわざ)
人間をお創りになったのかを
次回以降、考えていきたいと思います。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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レビューが、少しづつ増えてきています。
レビューを書いてくださった方々、本当にありがとうございました。
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