『オッペンハイマー』と『フォロウィング』から見る普遍的なスタンス

先日『オッペンハイマー』をIMAXで鑑賞した。
予習をしておくといいというSNSの書き込みを多数見つけ、動画サイトなどでありったけの予習をして臨んだ。

IMAXレーザー

素晴らしい作品だった。180分の体感時間は長くは感じない。
会話劇でありながら、編集のスピード感によるものなのか、とにかくテンポがいい。
切り返しのカットバックもタルくはない。とにかく高速。それだけ会話がボリューミーでしっかりと重みがある。けど高速なのに、しっかりと間がある。空間の切り取り、映像の芳醇さ。王道の映画らしさ。「わ、すごい!」となった。

原子エネルギーが爆発するイメージのインサート、カットバックが時折入る。
映像技法としてとてもベーシックなものでありながら、オッペンハイマーの心象をしっかりと表現されていたし、これから起こりうる一抹の不安のようなものも空気感として過ぎる。それがやり過ぎてはおらず、いい塩梅だった。

私は昔から少々トンチの効いた作品が好きで、映像表現の新しさを感じさせるものが好みだった。それはあまり映画を読解出来ていなかったらからそういう面が好きと認知していたのかもしれない。

オッペンハイマーは王道な作りで、IMAXカメラでの撮影による巨大スクリーンで目の前に浴びせてくるその焦燥感のある表情やシンプルなショットが本作はとても活きた。

加えて「何を描いて、何を描かないか」という映画監督が直面する部分にも明快な解答を示した。
日本に原爆を放つシーンは描かない。そこに賛否が起こるのも当然だし、日本人としてこの部分の切り取り方に何か思わないことはないだろう。だが実際に本作を見るとそうしたことで映画がより効果的な演出になっていると感じる。描かないことでフレームの外にあることを

作りの部分がずっと気になった。
時間軸に工夫を凝らすノーランのこだわりとクセは本作でも見られたがそのギミックが嫌らしくなく、会話劇で進行していく映画の幹を太くさせているような印象があったからだ。いくつかの時間の流れがあり、それがミックスされながら進行していく。自分のいる場面がどこなのか、分かりずらい部分もあるだろうが、脳がそれを受け入れるとより物語の重厚感が増してくる。

アインシュタインが映画の冒頭とラストに出てくるのがとても示唆的だった。
どちらも同じシーンなのだが、冒頭とラストに分けていて、その見せ方に一工夫がある。

彼の存在を劇中に散りばめるわけでなく、冒頭とラストにその存在を配置した。
20世紀最高の物理学者の存在を挟むことで、原爆の存在をより観客に問うている。サンドイッチの効果があると感じる。
化学は何を創ってしまったのか。こんなはずではなかった。老人が池を見つめるそのシーンには進行した物語の悲哀を受ける背中がある。
何よりも雄弁だった。

こうした構成の妙がノーランのデビュー作『フォロウィング』でも発揮されていた。
この『オッペンハイマー』公開のタイミングを記念して、一部劇場で公開されていた『フォロウィング 25周年/HDレストア版』を鑑賞した。
やはり構成は『オッペンハイマー』と同様のもので、いくつかの時間軸がミックスされて進行していく。
謎のキッカケ、謎がより迷宮していく、何故この人物がここにいたのか。そうしたことが注意深く鑑賞していくと筋道と輪郭が強まっていく構成。
構造が断層的になっている。縦軸の断層を可視化するために横軸の時間軸に一工夫をした編集を施していル。

それはインディーズでも変わらない。インディーズでも方法論とアプローチが変わっていない。
だから見比べることで、金があることと、ないことでも、創作をする上では何が軸としてなければいけないかがよく分かる。
つまりこの語り口がこの人はちゃんと得意で、その語り口でオッペンハイマーという大きな題材を撮りきり巨匠の仲間入りしてしまったのだね。
加えて徹底してCGIに対しては距離を取るスタンス。これだけCGIが全盛でも自分は頑固なまでにそうではないというある種アナログな姿勢というのはこの人の場合功をそうしている。時にこうした姿勢というのも大事だと感じる。

ノーランの処女作

私はちょっと前に、金がある人が湯水のように金を使い、何も物語を創れないまま終わるというのを観てきた。
それはどれだけ金があってもベーシックな物語を描く描写力がないからだ。
金があるからいいものが創れるわけではない。金持ちだから、金の力でいいスタッフを使っても軸となる基盤を構えられなければ物語はアウトプット出来ない。
そういう人に金が渡ってもロクなことにならない。ノーランはしっかりと予算が与えられるべくして、与えられた監督だというのがインディーズのフィルムからも分かる。それだけのベースがあり、時間軸のアプローチが目立ってはいるが、撮り方は限りなく基本が抑えられた方法だ。

私はもうしばらくインディーズで物事に向き合っていかなくてはならないけど、ノーランの仕事の向き合い方のようにしっかりとこだわって取り組んでいきたいわね。

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