『リプリー』を観ました

XのTLで褒められているポストが散見されたので、全8話鑑賞。
全編モノクロで映し出される圧巻のクオリティの映像演出。
とても贅沢なドラマだった。


詐欺師となるリプリーの大胆な行動と、見え隠れする上流階級への渇望。自分以外の誰かの人生を生きることを厭わない、自分の人生を差し出し、他者との人生に最も簡単に置換してしまえる感覚。詐欺師ではあるものの、滲み出る人間らしさが感情的にならずものとも的確かつ抑えた演出から醸し出される。加えてイタリアの美しい街並みを捉えた各ショットが美しい。モノクロの濃淡で映し出される映像の一つ一つがうっとりと鑑賞させてくる強度を持つ。タクシーで移動をしていくシーケンスは省略技法をあまり使わず、これでもかとしつこく街並みを移動していくシーンを繋げていくのだけども、その画面上の移動と運動が見ていて気持ちがいい。リプリーがミスをして、その移動した場所を再び戻るという場面もしっかりと長尺で描けるドラマシリーズの利点を活かした作りだ。

突如として殺人が行われるシーンはとても見ものだ。
ややゆっくりと進行しているような物語は一気に機転を見せる。
通例、他の映画ならば省略することで映像表現していくような場面を、これでもかとしつこく、丁寧に、執拗なまでに描写する。”殺し”を見つめに見つめたシーンは、殺しが大変でその後処理に伴う人間心理と現場の痕跡を克明に映像に映し出してくる。Ep3のボートでの殺害シーンは特に見もので、映画史に残るのではないかというその”杜撰さな殺害”を丁寧に見つめなおした名シーンになっているように思う。”踏んだり蹴ったり”という言葉がそのまま当てはまるかのように。

虚言を積み重ねながら、事実のようなものを積み上げようとするリプリー。
鑑賞者は嘘と事実の間に辻褄が合わなくなることに、不安とハラハラを覚える。この詐欺師の視点と感情には憎めない何かがあり、そしてこの男の行動一つ一つにサスペンスを感じていく。合わなかった辻褄が、何故か合っていってしまう流れはリプリーを強烈に”持っている人間”のように映し出してくる。

見ながら日本の福田和子のようだなとも感じた。
福田和子が逮捕されたとき、子供ながらにそのニュースに高揚感があった。
福田和子の物語も書籍や映像化もされていただろうが『リプリー』のようなスタンスでも見てみたいなと思わされた。

久々に画面に釘付けになるNetflixドラマだった。

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