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寂しさという感情と向き合う

偶然の出会い

ある日、勉強していたら、隣の席から「ジャパン」というワードが聞こえてきた。日本に関係するトピックに関してプレゼンの準備を行っているようだった。まさかと思ってふと横をみたら、日本語の画面が。ついに学校で日本人に出会った・・!という衝撃と感激で思わず話しかけてしまった。

・・・台湾人だった。

その女の子は、日本の大学で、正規の留学生として学んでいて、日本の大学から交換留学生としてオーストリアに留学しているとのことだった。

しばらく色々お互いのことについて話をしていたところ、

「ここにいて寂しくならないですか?」

と聞かれた。

その子は去年の秋から来ていて、この夏に日本に帰国するとのことだった。日本に帰りたくてたまらないと。

イエスともノーとも答えることはできなかった。


寂しいって何だろう

この国で暮らし始めて3か月以上経った。

自分の抱えている悩みや思いを共有して共感してくれる人が周りに全然いなくて、やるせない気持ちになることは日常茶飯事だ。私はいまだにドイツ語が全く話せずにいるが、偶然ヨーロッパ系(特にドイツ語圏)の友人が周りに多い。そして、学生であることから、全員私よりも年下だ。正直、共通項が少ない。

彼らと一緒にいるとき、ドイツ語や文化背景が分からないと理解できないジョークや言葉に出会ったり、突然ドイツ語の会話に切り替わったり、そして自分だけのために気を遣わせていることに申し訳なさを感じてしまったり、遊び方が違ってついていけなかったり(世代の違いもあるだろう)と、色々ある。

5~6人以上のグループなのに、私と彼ら、と無意識に境界線を引いてしまう。一緒にいても、見えない塀で隔たれているように感じてしまう。

自分だけが異質の存在だと感じ、
こんなとき、日本にいる家族や友達が恋しくなる。

これを、孤独と寂しさという感情が入り混じった状態とでもいうのだろうか。

物理的に1人でいるのは全然平気だ。これまでに何度も一人で旅行してきたし、レストランにでも映画にでも一人で行ける。それなのに、他人と一緒にいる方が寂しさを感じる、不思議だ。他の人と分かり合おうとして、自分と他人との感情や価値観をすりあわせようとしているところから生まれているようだ。


寂しさを感じるのは当たり前

台湾人の女の子に「ここにいて寂しくないですか?」と聞かれて、はっきり答えられなかったのには訳がある。

仮に、日本人とつるんだり、日本に帰ったとして、周りと自分との間の「すり合わせ」がうまくいくとは限らない。むしろ、そうならなかった時にはこの「寂しさ」は今よりもっと増大しそうな気がしてくる。

そう思うと、どこにいたとしても、関係ないなあと。

そもそも自分と同じ人間はどこにもいないんだから、もってて当たり前の感情。いちいち悩んでいたらきりがない。

感情のラベリング、というのをどこかで聞いたことがあるが、「あ、今私寂しいって感じているんだ」って心の状態に名前を付けてあげるだけで不思議と心が軽くなった。そうやって自分の気持ちと向き合う時間をつくってあげるだけで、以前より生きやすくなった。

結局、この感情の存在を当たり前のものと認識して、自分自身の心の状態と丁寧に向き合いつつ

周りと心地のいい距離感を推し量っていくのが

現実的なのかもしれない。