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初めての海外旅行はVIPシート!

今日は私が初めて海外旅行をした時の話だ。
まだ20代で独身だったころ、ボーイング747のコブの部屋にあったプレミアムファーストでシンガポールへ行った。


貧乏だった私がVIPな経験をした理由

私は田舎の小さな会社で営業をしていた。
その会社が販売していたのは誰もが知る大手メーカーの商品だった。
その販売キャンペーンでたまたま成績が良かったので、メーカー招待の海外旅行に参加することになった。
初めて飛行機に乗って初めの海外旅行はシンガポールだった。

若い時の経験は宝物

高度成長期は終わっていたが、このような旅行はこのころ割と多く行われていた。
私が勤めていた会社だけではなく、同じ商品を扱っている他の会社からもこの旅行に参加している人が多かった。

私が勤めていた会社からこの旅行に参加したのは社長と私の二人だけだ。
当時まだ関空がなかった。

大阪国際空港(伊丹空港)まではその社長の車で行くことになっていた。
ところが待ち合わせ時間になっても社長は来なかった。
私は人生初めての海外旅行でこの日までウキウキした毎日を過ごしていたが、その出発日になって不安が広がっていた。

約束の時間から1時間以上経過してやっと社長の車が見えた。
何がどうあれ相手は社長なので叱る訳にもいかない。

これが反対ならどんなに叱られたことかと思いながら諦めるしかなかった。

本人はまったく反省もなく「少しくらい遅くなっても飛行機は待ってくれるから大丈夫だ」と言った。
「本当に待ってくれるのか?」と思ったがそれも言えなかった。

どちらにせよ他の人に迷惑が掛かるだろうと思ったがそれも言えるはずがない。
社長は中国自動車道路を飛ばしていたが宝塚を過ぎた辺りから渋滞に巻き込まれた。

「だから言わないことではない」と心の奥底で叫んだ。

この辺りが渋滞することは誰もが知っているので、私なら余分に1時間足して2時間前には到着するように出発していたはずだとも思った。
大阪国際空港に到着したのは集合時間を2時間近く過ぎたころだ。

空港で待ち構えていたメーカーの担当者が「心配しました、早くチェックインを済ませてください」と焦りに焦った口調で私たちを捲し立てた。

当然だ。

携帯電話もなかった時代に、どこにいるかも分からない旅行参加者を今か今かと待っていたのだからその心中は如何に若い世間知らずの私でも想像がつく。

チェックインカウンターでもグランドスタッフから「急いでください、早くお願いします」とせかされた。
これも当然だ。

なのに当の本人は落ち着いていた。
いや、たぶん落ち着いた振りをしていたのだろう。

落ち着き払った社長を尻目にメーカーの担当者は「私は先に飛行機に向かいます」と言って走り出した。
とにかくメーカーの担当者に申し訳ないと思った。

「申し訳ありませんが席がありません」

シンガポール航空の搭乗口でチケットを見せると「申し訳ありません、本日は満席で席がございませんので機内乗務員の指示に従って下さい」と告げられた。

言わないことではない。

まさか貨物室に入れられることもないだろうが、バスの補助席のようなところに座らされるのに違いないと不安は募った。
初めての海外旅行で7時間も飛行機に乗るというのにだ。

この旅行が決まってから1ヶ月以上も心は弾んだが、今となっては後悔すら湧いている。
こんなことなら辞退した方がよかったかも知れないとも思っていた。

ボーディングブリッジを「もうどうにでもなればいい」と開き直って、ゆっくり歩く社長の後ろを追った。

それでもボーイング747の機内に入った時にはホッとした。
一応飛行機には乗れたからだ。
取りあえずシンガポールには行けそうだ。

入口にいた乗務員が頭を下げ「申し訳ございませんが、そちらの階段から二階にお上がり下さい」と私たちに告げた。

この入口からも客席が見える。
右を向くと3、4、3席と並んだ列が奥まで続き、多くのお客様が既に座っている。

それなのに私たちはなんだか狭そうな階段を上がれと命じられたのだ。
その後の人生で何度も飛行機に乗ったが、いまだに飛行機に乗って階段を上ったのはこの時だけだ。

ボーイング747のコブ

家の階段よりも狭い階段を曲がりながら登ると、そこは飛行機の中とは思えない空間が広がっていた。

まるで大きな応接室と表現すればいいのだろうか、向かい合って独立した肘置き付き4席シートがいくつか並んでいる。

そして向かい合ったシートの間には会社の応接室によくあるようなテーブルも備わっている。
海外旅行に行ったことのある先輩から、長時間狭いシートに座ることになるのでその窮屈感に耐える心構えが必要だと教えられていた。

しかしそんな様子は微塵も見受けられなかった。

ゆったりした部屋にゆったりとしたシート、それに普通のテーブルが備わっている。
その部屋の乗務員に「こちらにお座り下さい」と丁寧に案内された。
その部屋は満席ではなかった。

お客さんらしき人が数名座られているだけだ。

席に座り社長が言った。
「どうだ、VIP席はいいだろう」

こうなることを予想していたはずのない人の言葉とも思えなかった。
いかにも自分が計画的に作り出した演出のような言い回しだ。

後になってこの時の状況を考えてみると、オーバーブッキングしていたシンガポール航空でたまたま予想していたキャンセルがでなかったために、仕方なく最後にチェックインした二人をここに案内したということだ。

社長がこの席を予約したわけでも、オーバーブッキングを知っていて敢えて遅くチェックインした訳でもない。

上空で水平飛行するようになって食事が運ばれてきた。
コース料理だった。
「ワインは如何致しましょう」という乗務員に「お任せします」と社長が言った。

そして私に「分からない時はこのように言えばいいんだ」と社長は自慢げに付け加えた。

本来なら一番安価なエコノミー席に座っているはずだったが、何がどうなったのか今はこのプレミアムファーストクラスにいるのは間違いなかった。

当然その扱いもプレミアムだった。

社長は遠慮せずにシャンパンまで頼んだ。
この席では何を飲もうとサービスとして扱われるようだった。

この部屋は政府高官などを乗せるための貴賓席として作られたのではないかとも思えた。

現在はボーイングのコブはWi-Fiのための設備が乗っていると聞いたことがあるが、これは確かに貴重な経験だった。
お蔭でこの時のシンガポールまでの7時間は、優雅に過ごすことができた。

この時は飛行機ほど適当な乗り物は他にないと思えた。
何百人も同じ飛行機に乗っていながら、高いお金を支払ってビジネスシートに座っているお客さんもいれば、窮屈な思いをしてエコノミー席に座る人がいる。

それだけならいいが本来エコノミーにいるはずの客が、世界でも最高級とされているシンガポール航空のプレミアムファーストに乗っているのだ。

理由はどうあれ20代だった世間知らずの田舎者が、このような経験をすることができたのはその社長のお蔭だ。
既に亡くなられてはいるが、もう一度感謝を伝えたいと思うくらいだ。

その経験のお蔭で飛行機に乗ることや海外に行くことが好きになった。
帰りはエコノミーだったが旅行疲れで爆睡していたのか気が付くと大阪だった。

今から40年も前の話なのでその旅行本来の記憶は薄れているが、よほどこのVIP経験はインパクトが強かったのか今でも覚えている。

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