村長の引継ぎ⑮
《もう二組の結婚》
体験合宿が終わり、分校も夏休みの後半で、秋の収穫前でもあり、役場の仕事もゆったりしてきた。
結婚してから不要になった役場の宿泊部屋を整理していると、村上さんと河野さんが突然入ってきて、話があるとのことで、畳に揃って正座した。私も正座して対面すると、二人は結婚を前提に付き合っているという話をした。
酒好きの村上さんは、河野家に地酒を買いに行くことが増え、面倒なので、河野さんが一升瓶を役場に隠して、必要なときに合宿所の台所に持っていくということを繰り返しているうちに、若い者同士の気持ちが高まり、そういうことになったわけだった。
ところでどこに隠したんだと問うと、ほれそこ、と河野さんが指さし、部屋の箪笥の下を開けると一升瓶が三本揃えてあった。それが見つかりそうになったので、急いでやってきた節があった。
結婚は冬になる前を予定していたが、既に村上さんは何度も河野家に夕食をごちそうになっており、巨漢のお母さんの酒の相手になっているとのことだった。
魚市場で店を構えている村上さんの両親は、三男の隆文が虫仲間の山田先生に連れられて小此木村の田舎に暮らしていることは知っていた。
夏だけの約束が一年中になったが、店のアルバイトを増やして対応しているので、問題ないとの話も聞いていた。むしろ大食漢の彼の食費が半端ないので、家計的には助かるとのことだった。
***
結婚式は、魚市場のそばの式場でやるということで、河野家では、大柄な母親と痩せた父親と寡黙な兄とが参列しに行った。
私も村民代表ということで打診されたが、村長時代にお世話になった山形のじいさんが出張ることになった。
直前になって、河野さんのお母さんは数年前の礼服が入らないと騒いだが、家内が裁縫が得意で、借り受けた礼服を一晩で直し、感謝されていた。
結婚してからわかったが、里美は特技が多く、生け花も得意で、野生の木の枝や花を巧妙に組み合わせて玄関に飾り、免許皆伝の山形のおばあさんを唸らすほどの腕前だった。褒められると黙っていられず、どこかで仕入れた蘊蓄をたんまり語るのだった。
式が終わって戻ってきた彼らは新婚旅行には行かず、分校運営の支援や役場の事務も辞めず、二人そろっていつもの生活を繰り返していた。
河野さんは有線放送が生きがいになっていたし、村上さんは旅行に行くよりも河野家で毎晩たらふく食うことを無上の喜びとしているようだった。
***
山田さんは、村上さんが寝床を合宿所から河野家に移したため、料理や掃除を全部自分でやることになり、徐々に生来のだらしなさで、台所が乱雑になっていった。
分校の生徒もそれに気づき、そこから所帯を持った方がいいだろう、痩せて髭面で虫好きでも真面目な学校の先生だよ、と生徒が手分けして彼女となる候補を探し、角島さんの娘さんが年頃で世話好きだということで、話がトントン拍子に運んでいった。
当の本人は、三十数歳まで女性と付き合ったことがなく、周りがセットしたデートも全くデートだと思わず、生徒に語るように昆虫の話を二時間ほどしていたらしかった。それを四回繰り返して、角島英子さんも我慢の限度を超え、あんた、私と虫とどっちが大事なのよ!と詰め寄ったら、黙ってしまったらしく、その場でビンタされたとの話だった。
私は、彼に、英子さんのことどう思っているのと聞くと、いい人だし、好みのタイプだけど、どう接したらいいかわからないということだったので、それを角島の親父さんに伝え、周囲から固めて、彼女に合宿所の掃除と彼の夕食を頼むことにした。
昼は村上さんも来て、一緒に分校生徒の給食を作ったりもするが、夕食を抜いたりしていた山田さんはますます痩せてきたので、彼女の手伝いが救いだった。このままでは秋からの分校の授業前に倒れるところだった。
ある日山田さんは髭を剃り、渓谷で咲いた花を綺麗な束にして、英子さんに結婚を申し込み、英子さんは涙を流して喜んだということだった。
男女のことを何も知らない年上で髭面の痩せた虫馬鹿先生が、少しずつ血色も良くなり、英子さんに優しく話しかけるようになり、髭を剃ってきて、結婚を申し込んできて、何かを育て上げたような達成感があったということだった。
角島家は、猟友会とも親しくなっており、畑と家の周りに五つもイノシシを生け捕る仕掛けを用意してもらい、生け捕った奴は猟友会が持ち運んでさばいて町の料理屋に売っていた。そうしているうちに徐々にイノシシ被害も減ってきたので、畑に張り巡らせた網の管理も手間が省けるようになっていった。
英子さんもイノシシの夜間監視をしていたが徐々に不要になり、両親もイノシシの心配がなくなると、娘の結婚の心配をし始めた矢先だった。
子沢山な角島家は手狭なこともあり、山田さんと英子さんは合宿所を仮住まいとし、来年の自然学校が始まる前に角島家を増築して新居にするとの話だった。
山田さんは英子さんとの新婚生活で虫以上の感激を覚えたようで、授業が終わっていつもの昆虫観察日記の後に英子さんへのラブレターをしたためて、実家の手伝いをしている彼女を迎えに行く日々を過ごすようになった。
彼は密かに新種の虫を発見した際には「エイコ」をどこかにつけようとしており、村上さんがそれを察知し「オコノギ」が優先でしょう、と諭していた。
【村長の引継ぎ】
最初の話:村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑭《体験合宿》
この話:村長の引継ぎ⑮《もう二組の結婚》
後の話:村長の引継ぎ⑯《謝恩会の準備》
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