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村長の引継ぎ⑯

《謝恩会の準備》

 村長になってからの四つの公約を軌道に乗せ、村役場の仕事はいつもの繰り返しになっていった。事務室で副村長はときどき、びびゅーといういびきをかくし、河野さんもボールペンを握ったまま眠りかけて、はっとして、副村長のいびきに、うるさい!と言ったりしていた。

 私は村長室で、村会議員の働きに何か報わなければならないなあと思っていた。それぞれ運動会やら分校やら合宿やらで、農作業をしながらよく協力してくれた。村会議員は兼業でなければやっていけなかったし、ほぼボランティアのようなものだった。

 隣の部屋でいびきをかいている鮒島さんに、角島さん、安田さん、細田さん、山那さん、年下の私に文句も言わずに、この二年間頑張ってくれたように思えてきた。議員の任期はあったが、前村長の山形さんのように、まるで成り手がいなかったので、万年議員のようになっていた。それはそれで問題なので、私と同世代で村のことに協力してくれそうな村民をときおり探してもいた。

 世代交代も進めたいが、まずはその前に、彼らの労をねぎらうべく、議員の謝恩会を合宿所で開催することにした。彼らの家族も呼んで、感謝状と記念品を用意して、村会議員をやっていて、よかったなあと思ってほしかった。

 五月になれば、またまた運動会の準備で忙しくなるので、その前の春のいい頃合いに、丁度、百年近く前の、いくつかの集落が合併して小此木村になった四月三十日に、「小此木村村役場謝恩会」を開催することにした。

***

 今度は市の小学校校長も市議も来ないし、実質慰労会なので、気楽に集まってもらうことにした。そうして、村人たちに彼らへの感謝の気持ちを書いてもらって、本人には言わずに当日公開するという企画も用意することにした。

 それぞれの議員に伝えにいってもよいのだが、河野さんに案内状を書いてもらい、それぞれの家のポストに入れてもらった。

 鮒島さんは、誰から感謝の手紙を書いてもらうかを思案しており、角島さんは山田さんと結婚した娘の英子さん、安田さんは中学の娘さん、細田さんは来られるかどうかわからないが外に嫁いだ妹さん、山那さんは家内の里美を候補に挙げていた。

 鮒島さんが候補者リストをもって相談に来たが、里美が出るのに少し抵抗がありつつ、こういう催しに呼ばなかったら後で文句を言われるのが目に見えていた。
 娘さんが多いが、息子とかかみさんだと照れてだめだろうし、副村長もだてに六十年も生きていないなと、流石だねと声をかけると、男は娘からの言葉に一番じんとすんだべ、とのたまった。しかるに、彼自身への感謝はどうするのかと聞くと、いつのまにか脇に来ていた、河野さんに、おめーどうだ、やっか? ときき、どう考えても無理っしょ、と即座に断られていた。

 まだ畑に出られる鮒島さんの母親はどうだと聞くと、だめだー、読み書きできねーから、とのこと。息子さんは? だめだー、連中おらにちーとも感謝してねーから、と。仕方ないので、彼のお母さんに、手紙ではなく口頭で感謝を伝えてもらうことにした。
 感謝なんてしねーと思うが、その方が気が楽だっぺ、と言って出ていった。

 家に帰って里美に事情を話し、それぞれの娘さんや妹さんやお母さんに、各議員には秘密だが、ということで話をしに行ってもらった。こういう役回りは大好きで、話を伝えるついでに、手紙の内容に困ったような相手にはこういう話をしたらいい、ああいうことを言えばぐっとくるとかのアドバイスをして回ったようだった。ついでに鮒島さんのお母さんには、事前に口頭で話してもらった内容を代筆し手紙に仕上げてくれていた。

 記念品は、猟友会がイノシシで稼いだお金のいくばくかを場所代として頂いていたものを使うことにしたが、その範囲だと高価なものは難しかった。山那さんがカメラ好きなのを思い出し、それぞれの肖像写真を撮ってもらって、金色の額縁を記念品として、その中に写真を収めて贈呈するという名案を思い付いた。
 高価な万年筆や時計も買えないし、むしろそうしたものは縁遠い連中でもあるので、写真に額縁なら葬儀でも使えそうで有難がられるだろう。

 当日の食材やお酒は、村上さん夫婦に任せ、空いている時間に、各議員宅を自転車で回り、謝恩会の参加を確認した。皆、楽しみにしており、こういう催しなら毎年やってもらいたいねという角島さんの意見もあった。
 さらに、当日は記念撮影をするので正装で来てほしい旨を伝えると、それはそれで困ったようで、里美に最近冠婚葬祭をした家を回ってもらって、それぞれの議員のサイズに合いそうな服を借り受けてもらうことにした。

 安田さんのところへは感謝状を五枚持って行って、その場でそれぞれの名前を書いてもらった。いつ見ても達筆で、コツは無になるということだった。鍛錬の最後は無になることです、これは剣道も同じで、無になった方が勝ちです。

 丁度、分校通いの息子が帰ってきた。おい、ちゃんと勉強してんのか。ああ、面白いよ、山田先生が何でも教えてくれるよ、休み時間にしょっちゅう合宿所に行ってるけど、英子さんがいるとは限らないんだよね、と喋りだした。
 と思ったら、身軽に飛び跳ねていなくなってしまった。

 安田家の奥には恐ろしく古そうな蔵があり、そこに明治時代に集められた万巻の書があるとの噂だった。それとなく安田さんに聞いてみると、小此木村になる前の一集落だった頃、ご先祖様が全国各地を回って薬草関係の書物を集めたとのことだった。昔は医者だったんですか、そのようですな、昔は薬草でなんでも直したらしいですな、と言いつつ、感謝状の名前を書き終え、では、失礼と言って奥の間に立ち去ってしまった。
 息子さんも奥に消えていったし、興味があったが、竹刀を振る音が聞こえてきて、外からは分からないが道場で稽古をしているような気配だった。

【村長の引継ぎ】
最初の話:村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑮《もう二組の結婚》
この話:村長の引継ぎ⑯《謝恩会の準備》
後の話:村長の引継ぎ⑰《謝恩会》

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