見出し画像

悲しみを大切にしてあげて欲しい

悲しみからは立ち直らなければいけない。
悲しみを抱えたまま生き続けてはいけない。
悲しい時でも笑っていないといけない。

そう言われ続けてきた。

そのことがずっと心のどこかで引っかかっていた。ずっと疑問に思っていた。どうして悲しみを抱えていると、励まされるのか。笑うように勧められるのか。悲しいことはいけないことなのか。

なぜなら、わたしにとって悲しみはなんとなく心地がいいから。

「悲しい」と言う言葉を調べてみた。

かなしい  【悲しい・哀しい・愛しい】
心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。 《悲・哀》 
(古くは「愛し」と書かれた)
① 身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。 
② 心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。 
③ 見事だ。感心するほど立派だ。 
④ 残念だ。くやしい。 
⑤ 貧苦がつらい。 
(Weblio辞書より)

なんだ。全然、悲観的になる必要ないではないか。いい言葉ではないか。

古文を覗いてみると、悲しみの歌によく触れる。人として、自然や心の悲しみを歌に表現した人に出会う。

そういう歌の中の悲しみは、心の侘しさがありながら、美しい情景を連想させる。その中には、言葉に隠した涙があるのかもしれない。だけど見えてくるのは、自然のあるべき美しさと残そうとした言葉のみ。ここで触れる悲しみは、立ち直ろうとする意思が無いようにも思える。だからかな、悲しみを悪いものであると捉えることができない。

「悲しみ」という言葉にはたくさんの意味が存在する。悲しそうに見える人は、一概に辛い想いをしているというわけでは無いということ。

わたしは思う。悲しいときは、悲しみに溺れればいい。無理に笑う必要なんてない。無理に立ち直る必要なんてない。そのうちいつか、笑える日がくるのだから、その時の辛さや侘しさや趣にゆっくり向き合えばいいと。

そう考えると、悲しみの中にいる人を見た時に、励まし以外の寄り添い方も見えてくるはずだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?