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辛いもしんどいも、全て自分だから

仕事からの帰り道、ふとこんなことを思った。

ーああ、なんだか変わり映えしないわたしの人生。何が楽しくて毎日過ごしているんだろう。ー

家に帰ってもすることは決まってるし、家にいるとあれこれ気を遣うし、だけど自分の本当の気持ちは日々のルーティーンに丸め込まれてしまっているし。

というのも、わたしには精神的に不安定な状態にある家族がいる。わたしが家を出る時は寝ており、帰っても寝ており、ご飯も食べたり食べなかったり。
その状態はきっと本人にしかわからないもので、昼間は勉強をしていると言うし、家事もそれなりにやっているし、あれやこれや問い詰めることもできない。
とにかく優しい言葉をかけたり、食べたいもののリクエストに応えたり、体が痛い時と訴えるときにマッサージをしたりしている。

これでいいのかわからないし、支えてもらっている部分もあるから、これからもそんな付き合いを続けていくのだろう。変われば変わるなりに、変わらなければそれなりに。

普段は家族を支えることがわたしの生きがいのひとつであり、喜んでくれることが幸せだと感じている。基本的には何があってもあまり動じない。
道端の草花を眺めたり、運動したり、本を読んでたりすると嫌なこともすぐ忘れる。

だけど、ごくたまにある。自分のメンタルにマイナスがたくさん溜まった時、今の状態がしんどくなることが。

辛いと言ったらそうかもしれないけど、そんなことを感じる暇もないくらい毎日が過ぎ去っているだけのような気もする。

こういうとき、どうしたら良いのかと考えていた。

そのいとまがあるだけでも、心の余裕があるのだと安心する。
誰かに当たったり、表情や言動でストレスをぶち撒けたり、非行に走ったり、お酒やタバコで発散したり、人を誘って穴埋めしたり、そういうことはしない。

ということは、これがわたしの安定剤なのではないかと思えてきた。すなわち、考えること。

自分の中にある、辛いやしんどいを自分の頭で考え、心で感じること。そしてノートに書いたり、時間を置いて向き合ったりしながら、自分の中で消化していく。

そうすれば、自分の辛さを他人に伝染させることなく、自分の想いと向き合うことができる。
誰かに伝えたい時には、自分なりに考えてから伝えられるといい。

メンタルコントロールも技術なのだと思う。技術という言葉を使うと、なんだか自己啓発チックであまり好みではないのだけど。自分の戦闘力になるし、常備薬にもなる。

自分の辛いやしんどいは自分だけのものだから。
大切に向き合いながら、メンタルコントロールの技術を磨いていきたい。言葉が好きで心底よかった。

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