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きれいは汚い、汚いはきれい ~資本主義を考える~

興味のおありになる方は、ご参照くだされば幸いです。

若干発信がとぎれとぎれですが、

今回は備忘録的な、発信&保存用ですので、お読み捨て下されば幸いです。

今後延々と続く「持続可能な社会実現」に対する、個人的な、勉強、試行錯誤、各種提案などについてのまとめの一環です。

「資本主義」が諸悪の根源である、との説明は、下添付内容を参照ください。

1. 有名なセリフや詩が思い浮かんだ

このようなことを考えていた時に思い浮かんでくるのは、

シェィクスピアのタイトルに記した「きれいは汚い、汚いはきれい」

というマクベスの有名なセリフや、

金子みすゞの詩などです。


(1)「きれいは汚い、汚いはきれい」について

私の解釈では、良かれと思ったことが悪い結果になったり、

悪いと思ったことが実は結果的に良かった、という事もあり、

「世の中ままならぬ」と感じることがありますが、

そのような意味と、

同じ事象に対して、ある方向から見れば「良いこと」であり、

他の方向から見れば「悪いこと」とである、という意味に感じます。


なお、とあるインターネット記事を参考に添付します。


2.  金子みすゞの詩

a.  「大漁」という詩が、暗示的に感じました。

「大漁」

朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜は祭りの ようだけど、

海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらい するだろう。


b. もちろん、人間は動植物を食べなければ生きて行けないので、

人間がいわしを食べるのに罪悪感を持つ必要はないと思います。

私自身、魚を食べるのは嫌いではないです。

しかし、素直な心で見ると、人間といわしを、

対等な視点で見れるものだなと思います。

やはり、世の中ままならないものだなと思います。


c.  この詩では、小学校低学年の頃の出来事を思いだします。

おそらく30歳代の国語か社会の先生に、O先生と言う方がおられました。

結婚して家を建てたとのことで、

「玄関からお勝手まで数歩で着くような、手で天井を押し上げると

家が持ち上がってしまう、ような小さな家だ」とか、

「お魚を食べるときは、お魚さんは、命を預けてくれるのだから、

感謝して食べなければいけないよ」というようなことを

皆に話されたのでした。

今から考えると、誠にごもっともで、「道徳教育」の一環のようですが、

今もって覚えているので、幼少時の「道徳教育」は必要だと、実感します。


d. ここで、「資本主義ーー自然が犠牲ーー自然の脅威」の発想で、

乱獲により、最近、さんまの値段がずいぶん高くなったが、

野放図のやってると、自然界からのしっぺ返しが来るんじゃないかと、

考え及びました。

結局、人間の傲慢さや、自然に対する感謝心がないのが、

「諸悪の根源」ではないか、と結論したい気持ちです。

3. 今回のまとめ

この混乱した世の中でも、落ち着いて、多方面から物事をよく見る必要性が

あると思います。

そして、今の「資本主義」には、

「自然」や「生命」に対する、尊敬や感謝の気持ちを欠落させる

要素があると、改めて感じました。

将来的に負荷のある要素は、少しずつでも改善して行く必要があると思い

ます。

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長文すぎるのも、読むのにしんどいかとも思い、

やや寸足らずの内容かもしれませんが、感じたことをまとめてみました。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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