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新しい時代の 種々雑感

なまいきな書き方に思われたら申し訳ありません、と最初から断っておきます。

変革期である「新しい時代」について、いろいろ考えていますが、

「自然界の脅威」が顕著になったのは、

「人間の傲慢さ」が、自然界にも向けられて、自然や地球からの反撃を受けている、という「図式」だと思います。

つまり、誰しも自然に対しても、もっと「謙虚に」なり、小さなことにも「感謝」し、「喜びを持つ」ということが、キーポイントのようです。

このことは、心身の健康のためにも、心構えとしても必要な事と思い、自分自身、気を付けるようにしています。

バベルの塔

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しかし考えるに、気難しく、よく理解できない、世界の指導者たちが争いあうということよりも自然界は素直であり単純明快だと思います。

人間たちの行為が、自然界を破壊し資源枯渇を導いたのならば、反省して(謝って)、改心する、

つまり、ことさら自然に悪影響を与えるような行いはしない、自然を大切にする、敬うようにすれば、

自然界(ガイア)は、「分かりました。こちらも気を付けましょう」ということになる筋合いのことと思います。

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ただ問題は、普段の生活習慣になっていることや、自分の仕事を失ってまで、自然を優先するということは、なかなか出来ないことです。

そこで、民間の取り組みとともに、政治的な取り組みが必要と言われています。

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関連して、

1999年7月に、人類がが滅亡するという内容でセンセーションを巻き起こした「ノストラダムスの大予言」(五島勉著、1973年11月発行)という本がありました。

内容抜粋、下記。

  1999の年、7の月、

  空から恐怖の大王が降ってくる。

  アンゴルモアの大王を復活させるために、

  その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗り出すだろう。


ーーー> 1990年代は、東西冷戦は終わったものの世界は混乱し、日本のバブル崩壊と経済不況が起こり、「終末論」がはなやかでした。

しかし、1999年7月には、「何も起こりません」でした。

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その顛末を書いたコラムを下に添付します。


「そもそもノストラダムス自身は、1999年7月に人類が滅亡する、などということはひと言もいっていなかった。

そう主張したのは、あくまでも後世の「研究家」(の一部)にすぎなかったのだ」、とのことです。

そして、

「ノストラダムスは「西暦3797年までの未来を予言詩として記した」としか解釈のしようがない。厳密には「3797年」という数字をどのように解釈するかという問題は残るが、1999年で人類が終わるというようなことはあり得ないとわかる」、とのことです。一安心です。


あまり、この手の、恐怖を煽るようなもの、不安を増長するようなものは、避けるべきと思う、ということで、書いてみました。

そもそも、私は、人間や世界の未来は分からない、決まっていない、現在の行いの結果が未来を形づくって行く、という考え方なので、ノストラダムスの予言そのものは信じていません。


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何で、「ノストラダムスの大予言」が、日本で大ブームになったかというと、

自然界の異変がそのころから(1773年)起こり始めており、

今では「人新世」の兆候がはっきりしだしたためと分かるのですが、

理解不能な自然界の異変を、皆が不安に思い出して、その本に皆が飛びついたのだと思います。

しかし、漫然と指をくわえて今までの価値観を変えないと、人類は生きにくくなってゆくのは確かです。

気の持ちようとして必要なのは、「人事を尽くして天命を待つ」的なものだと思っています。

「音楽」欄にて、「ケセラセラ」の和訳、を掲載していますが、私が感心した内容です。本当に書きたかったのは、このことかも知れません。

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現在進行形で「コロナ禍」が起こっています。

この時期に「コロナ禍」が起こったのは、

a. 何百年に1回起こる、「感染症パンデミック」がたまたま起こった、という考え方と、

b. 私がこの所noteにて書いている、「人新世」にて顕著になっている「自然の脅威」のひとつという考え方、

があると思います。


ワクチン摂取で、コロナ禍は徐々に収束に向かうと思われますが、

特に、上記 b 項の可能性が否定できない今、何故コロナウィルスが発生したのか、その原因究明、対策、および再発防止処置をしない限り、この問題が真に解決したことにはならないと思います。

そしてそれが出来るのは、人間がもっと「謙虚」になって、真摯にこの問題に取り組むようにならなければいけないという事だと思います。

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コロナ禍について考えていたら、上記のことが思い浮かびましたので、まとめてみました。雑感です。

ともかく私の心構えとして、「自然を大切にする」、もっと「謙虚」になる、を肝に命ずることにします。

そしてこれが重要と思いますが、皆が本気になって対応したら、自然の脅威はなくなる、というのは確実だ、と思えることです。

まあ、こんなことを書いたとて、事態は変わらないのですが、人間の本能として、危機を克服すると思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


ーーー音楽ーーー

「ケセラセラ」の意味は、「人事を尽くして天命を待つ」的な意味もあるようです。

以前、初めて映画(ビデオ)を見ましたが、面白かったです。

ドリス・デイ - ケ・セラ・セラ - 知りすぎていた男 (1956)


https://www.youtube.com/embed/Z3ZdpYmeJC8?rel=0

Que sera, sera ケセラセラ (和訳インターネトより)

When I was just a little girl
まだ純粋な少女だった頃の話よ

I asked my mother what will I be
幼い私は母にこう尋ねたの、大人になれば

Will I be pretty, will I be rich
可愛くなれる?お金持ちになれるかしら?

Here's what she said to me
それを聞いた彼女はこう言ったわ

Que sera, sera
それはケセラセラね

Whatever will be, will be
なるようにしかならないってこと

The future's not ours to see
けど、未来はどんな風にだって変えていけるってことでもあると思うの

Que sera, sera
ケセラセラって願いながら

What will be, will be
自分自身に身を任せればいいのよ


When I grew up and fell in love
少し大人になった私は恋もしたわ

I asked my sweetheart
ある時恋人にふと尋ねてみたの

What lies ahead
2人の進む先には何が待っていると思う?

Will we have rainbows day after day
2人の目の前にはいつだって虹は架かっているのかしら?

Here's what my sweetheart said
それを聞いた恋人はこう言ったの

Que sera, sera
それはケセラセラさ

Whatever will be, will be
なるようにしかならないかも知れない

The future's not ours to see
だけど2人のこれからの未来は2人で築くものだから

Que sera, sera
ケセラセラって笑い合いながら

What will be, will be
見えないなら僕達が輝く虹を描けばいいさ


Now I have children of my own
そんな私も今では子供達と暮らしているわ

They asked their mother, what will I be
あの子達ったら私にこんなことを聞くのよ、どんな大人になれる?

Will I be handsome, will I be rich
ハンサムになれるかな?お金持ちになれるかなー?ってね

I tell them tenderly
私はそっと優しく教えてあげたの

Que sera, sera
それはケセラセラなのよ

Whatever will be, will be
願えば叶うかも知れないし、うまくいかないこともあるかも知れない

The future's not ours to see
だから未来って面白いんだと思うの

Que sera, sera
ケセラセラって気持ちを大事にしてね

What will be, will be
きっと全てが何とかなるわ

Que sera, sera
それがケセラセラってことなのよ



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