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「言葉にしないと意味がない」について考えてみる


大学院生のときに、ゼミの先生に言われ、今でも印象深く残っている言葉です。

文章を書きはじめるにあたり、まず、この言葉に向き合ってみました。

すると、言われた当時と、今とでは、捉え方が変わっていたことに気がついたので、そのことについて書いてみます。




「何言ってるかわからない」


私は、小さな頃から、自分の気持ちを言葉にすることが、上手くありませんでした。
「えっと、」「なんか、」と端的に言えなかったり、途中から何を言いたいのかわからなくなってきたり、なぜか涙が出てきたり…。

家族は、根気強く私の言葉に耳を傾けてくれていたので、私は、上手くないながらも、おしゃべりが大好きな子に育ちました。
同じような雰囲気の友達とのおしゃべりも、とても楽しい時間でした。

しかし、スピード感のある言葉のやりとりや、スッキリとまとまりのある文章を書くことは、苦手なままでした。
高校生までは、からかわれながら、ごまかしながら、やってこれましたが、大学生になり、レポート課題や、少人数の授業での発言に、困るようになりました。

限られた字数、時間の中で、自分の言いたいことを、相手に伝わるように、言葉にすること。
それは、私にとって、非常に難しいことでした。

「何言ってるかわからない」と、言われることもありました。

授業の中で、先生に言われた時には、とても自分が恥ずかしく、情けなくなり、落ち込みました。

「私は、言葉を使うのが上手ではない」と感じるようになり、だんだんと自信がなくなっていきました。




「言葉にならない何かを感じている自分」に満足してしまっていた


私は、大学を卒業後、大学院に進み、臨床心理学を専攻しました。
心理臨床の世界は、非言語的ないろいろも取り扱うので、私にもできることがあるのではないか、と思っていました。
それが一番の理由ではないのですが、“心”について感じ、考えることは、私にとってとても身近なことだったのです。

大学院生の間に、中学校、高校、児童養護施設、大学の相談室で、生徒や先生、保護者の方、子どもから大人まで、色々な方とお会いし、面接をしたり、相談を受けたりしました。
悩みながらも精一杯やっていたと思います。

面接は好きでしたが、記録や事例発表は苦手でした。
「強弱をつけて事例を物語る」ことの大切さを、ゼミの先生はいつも言われていましたが、それが上手くできず、私の書く文章は、逐語のようになるか、箇条書きのようになるかの、極端なものでした。
スーパーバイズや事例検討会では、たくさん質問をしていただき、それに答えていくと、全体がわかってくる、といった様子でした。
いろいろな方に、大変お世話になりました。

心理臨床の世界は、非言語的なものを取り扱うからこそ、それを言葉にする、という作業がとても多かったのです。
それが難しい私は、これまで以上に「何言ってるかわからない人」になっていきました。

それでも私は、「面接では、相手のいろいろを受け取って、自分もいろいろ考えて返して、関係もなんだかいい気がするし」と、“いろいろ”や“なんだか”を、自分一人では上手く説明できないままでした。

そして、上手く言葉にできない自分にきちんと向き合うことをせず、「言葉にならない何かを感じている自分」、と思うことで満足してしまい、自分の気持ちを言葉にする訓練を、避けてきてしまいました。




「言葉にしないと意味がない」


ある日、ゼミの先生が授業の中で、プレイセラピーの事例を取り上げている本を紹介されていたので、読んでみました。

その本を書かれた心理士さんは、子どもの表情、目線、仕草、佇まいなど、非言語的な情報を正確に丁寧に捉え、それならば、と自分の次の行動に反映させ、その子に働きかけ、とてもあたたかい交流を生み出されていました。

そして、さらにすごいことに、「非言語的なやりとりを、文章にして表現し、読み手に臨場感を持って伝える」ということを、されているのです!

私は、興奮して先生に感想を伝えました。

「私も、雰囲気からいろいろ感じることをしていると思いますが、こんな風にわかりすく言葉にすることができません。
でも、この方が言葉にしてくださっていて、とてもありがたいというか。
こういう言葉にならない世界があること、それを感じていていいんだな、と思えて」

というようなことを言った記憶があります。

すると先生が、冷静に一言、


「でもそれは、言葉にしないと意味がないよ」


とおっしゃいました。

私は、その時、自分を否定されたように感じ、恥、怒り、悲しみなどの感情を、まぜこぜにしたような気持ちになりました。

「でも、感じてはいます。それではダメなんですか?」

と、なんとか尋ねたと思います。


「ダメだよ。感じ取ったことを、いかに言葉にして他者に伝えるか。それをトレーニングしていかないと」


と、さらにトドメを刺されました。

私は、もう何も言えず、シュン、となってしまいました。




「私は言葉が下手」という自信が、自分を消極的にしていた


先生の言葉が胸に刺さったまま、しかし、真剣にそれについて向き合うことをしないまま、大学院を卒業しました。

それどころか、「私は言葉が下手なのだ」ということに自信を持つまでになっていたように思います。
今振り返ると、もったいないエネルギーの使い方をしていました。

就職して、心理検査や心理面接をするようになり、所見や記録を作成することに、とても緊張をしました。
「私は言葉が下手なので、うまくできませんでした」ではいけません。
できるだけ早く、端的に、わかりやすく、自分の言葉で表現することに、向かい合わざるを得なくなり、必死でした。

最初の頃は、自分の書いた所見を先輩の心理士さんに見てもらい、指摘をいただいていましたが、次第に修正がなくなってきて、いいね、と言っていただけることもありました。
しかし、「私は言葉が下手なのだ」という自信があったために、なかなか見てもらうことを卒業できませんでした。
誰かが「オッケー」と言ってくれなければ、自分で自分の言葉を「オッケー」と思えなかったのです。

次第に仕事量が増え、所見を見てもらう時間がなくなっていきました。
自分の書いた所見を、はじめてチェックなしでドクターや患者さんに伝えた時は、とても緊張をしましたが、真剣に聴いてくださり、納得もしてくださり、大変うれしかったことを覚えています。

自分の言葉を人に伝えることは、私にとって、とても大きなエネルギーを使うことですが、伝わった時や、お役に立てた時のよろこびも、とっても大きなものでした




「言葉にならない何か」は、みんな感じている


自分の気持ちや考えを言葉にすることに向き合う中で、気がついたことがあります。
私は、受け取る情報量が多く、そして、その情報がどれも大切に思え、取捨選択することが苦手だ、ということです。

気持ちや考えを整理するときには、一度紙に全て書き出して、それをなんとかまとめていく方法を取るのですが、書き出す時点で多すぎて、どうまとめたらいいのか、収集がつかなくなっていました。
今は、それぞれの所見や記録に、自分なりの書き方ができたので、多少楽になりましたが、それまでは大変でした。

このような、「気持ちや考えを言葉にするプロセス」は、意識をしていないだけで、誰にでもあると思います。
いや、必ずある、と言ってもいいかもしれません。
「言葉」は、言葉になる前の「言葉にならない何か」があるからこそ、生まれるものなのではないでしょうか。
であるとしたら、「言葉にならない何か」を感じていることは特別なことではなく、みんなが感じていることだったのです!

(大発見をしたような書き方ですが、当たり前すぎることでした。頭では知っていたのですが、心でわかった!という感じがしています。)




「言葉にすることには意味がある」と思うようになった

「言葉にしないと意味がない」

先生にそう言われた当時は、自分を否定されたような気がして、とても落ち込みました。
しかし、それは私のコンプレックスの問題であり、その言葉自体は、フラットで当たり前のことでした。

今は、「言葉にしないと意味がない」とまでは思えませんが、


「言葉にすることには意味がある」


と、思うようになりました。

言葉でなくても、自分の内にある何かを表現することは、大切なことだと感じています。
「思っていた」としても、相手に伝わっていなければ、この世界に存在させなければ、それは、「生まれる前」の状態であり、ないことと同じかもしれません。
私のこの何年も考え続けたテーマも、言葉にすることではじめて、「考えていた」という形を成すことができたのです。
さらに、伝わる言葉になっていれば、受け取ってもらえる、というわけです。

全く、なんてシビアなのでしょうか。

言葉にならない何かを、どうやって、この世界に誕生させ、伝えるか。
それを、私たちは一生をかけてやっていくのかもしれません。

私は、家族や友達、関わってくれたたくさんの方が、私の気持ちや言葉に関心を向けてくれ、頷いてくれ、質問をしてくれ、待ってくれ、受け入れてくれていたから、苦手ながらも、なんとかここまでこれたのだと思います。

そして、それがうれしかったから、心理士をしているのだとも思います。

誰もが持っている、言葉になる前の色々な気持ちは、そこにあるだけで尊いものだと思います。
しかし、それが言葉になったとき、さらには、相手に伝わる言葉になったとき、癒されたり、自信になったりするのではないでしょうか。

そんなことを考えています。



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