安全基地があれば行動できる
エドカフェ No.10「学びの本質」With 木村泰子さん&苫野一徳さん をまとめてみた
〜大空小エピソードより〜
発達障害で暴れまくってた子が卒業式で語った。
「自分のとなりの人を大切にしたら世界中の人は一瞬で平和になります!」
職員室が安全基地
行動すれば失敗する。でも困ったとき行ける安全基地があればチャレンジできる。失敗したとき「なにやってんの?!」って誹謗中傷に遭うだけだと、だんだん子どもは行動しなくなる。
安全基地は復元力。
学校の職員室はすべての子ども&先生たちの安全基地。
「ほめる」「評価する」と「認める」は大違い
まずは(存在を)認めることで心の安全基地ができる。
この安全基地があって初めて、「ほめる」も「評価する」も成り立つ。
大人の思い通りになるように、(やったことの価値を)ほめたり評価したりしていては、安全基地はできない。
安全基地は困ったときだけ来れる場所
相手が求めてきたときにだけ本音で語れば納得につながる。
求めてないのに説得しても納得しない。
「指導」の二文字はシュレッダーにかけた
「指導」ということばを引きずっている以上子どもは生きない。「指導」を「支援」にかえればいいけど「支援」という言葉は「困っている人、かわいそうな人を支える」みたいな偏見教育に使われてしまっているから誤解を招きやすい。先生の役割はつまり「困った時は活用してね」
自分が安全基地になる
「自分て悪くないよね。」「困ったら人ってちゃんと助けてくれるよね。」って思えるようになれば、社会の荒波に出ても大丈夫。
どうしたら助けてもらえるか?
どうやったら人の助けになれるか?
これをたっぷり学校で学べれば充分。
人に助けてもらう力。人の助けになれる力。これ最強の学力!
卒業後も自分の中に安全基地ができる。
違いを対等に
「人に迷惑かけるな」「人の役に立て」と言われたら、例えば聞こえない・見えない・動けない・などの障害のある子は認められないことになる。それでは自由の相互承認なんてできない。
子ども同士つながるからいじめがおきない。
子ども同士つなげることが1番の大人の仕事。これが自由の相互承認。
人と人、ふたりいたら絶対違う。
この違いをどれだけ対等の違いとして承認し合えるか?
必要に応じてどう人とつながることができるか?これが学びの本質!
それができて初めて授業もテストも宿題もできる。(私はテストの点付けも宿題もやらなかったけど)
障害をもった人は決して弱者ではない!
自分のことばで
正しい言葉、忖度する言葉、こう言えば評価される言葉、でなく「自分はこう思うよ」って自分から自分らしく自分のことばで語れることが大事。
対話で人とつながることができる場所が安全基地。
〜参加者からの質問・感想から〜
<つながることで苦しくなる子もいるのでは?>
つながるは目的じゃない。
目的は子どもが安心すること。
嫌いな人と手を繋げないという子に「嫌いなんてダメ!手をつなぎなさい!」じゃ学校に行けなくなる。
必要に応じて必要な人とつながれたらいい。
<大学入試の進学率で学力をはかってしまう>
高校の先生は学力っていったらまず大学入試の進学率のことが気になる。先生たちは「本当の学力って違うよなって気づいているけど、企業や保護者が良質な労働者を求めてくる。」「高校は企業や保護者や社会が求めているからそうせざるを得ない」と思い込んでいる。
でも多くの企業はもうすでに、
「大人の言うことをきく良質な労働者はいらない」
と言っている。こういうところにずれがある。
もっと対話しよう!
一徳さんのまとめ
教育はこれじゃまずいとわかっていても、みんなを規格化するようにデザインされたシステムに引っ張られてきた。もうこれって通用しない。いよいよ「これじゃまずい!」がピークに達してきている。システムもこれからいよいよ変わっていく。その中でひとりひとりそれぞれの立場でどんな働きかけができるか?
こうして対話(雑談)しながら考えていくことが大事!
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