#62 「子どもは案外、見抜いている」
ほんまそう。子どもたちも、先生が間違えることぐらい分かっている。むしろ、失敗する先生のほうが、なんやかんや愛されていたように感じる。
教員1年目のころ、専科を担当したあるクラスの先生(先輩)が私にこう言った。
「失敗しても絶対に、謝るな。子どもに舐められるから」
その先輩は面倒見のいい人だったし、よく飲みにも行った。けれど、この考え方だけはどうしても同意できない。
「相手が子どもであれ、間違えたときは謝るもんでしょ」
心の中で反発した。
舐められる・舐められない以前の、人としての問題だと思う。
ある日、早めに教室(先輩のクラス)に着くと、子どもたちの雑談が聞こえてきた。
「〇〇先生(先輩)って、自分が間違っていても、絶対に謝らないよね」
「そうそう、だから信用できないんだよ」
「私たちのこと、子どもだと思ってバカにしているよね」
「何も分からないと思ってるんだろうね」
ひょえ〜〜〜〜〜
平然を装いながら授業の準備をしていたけれど、きっと背筋が伸びていたと思う。
子どもって、大人が思う以上に、大人の本質を見抜いている。
ある意味、誤魔化しのきかない相手といえよう。
✳︎
話はちょこっと変わり。
忘れもしない、教員1年目の大失敗。
家庭科専科だった私は、5年生の調理実習でやらかす。1番最初の実習だから、急須を使ってお茶を淹れるという内容だったのだが、お茶っ葉の文量を大幅に間違えた。
そうとはつゆ知らず。
子どもたちを前に集め、手本を見せる私。一度急須にお湯を入れて温めておくことや、茶葉を入れてどれぐらい待つかなど、ポイントを説明しながら実演する。
「では、最後に緑茶を飲んでみます」
そう言いながら口にした瞬間
「にっがー!!!」
思わず心の声がだだもれに。子どもたちは大爆笑。
教科書の分量の10倍を入れていた(0を1つ勘違いしたのね。おバカ)。
「先生、分量間違えたんじゃないの?」
そう言われ、う・うん、とうなづく。
全体の前で、「先生、分量を間違えてしまった!ごめんなさい。教えてくれてありがとう。各グループ、分量を減らしてから実習してください」
と説明した。
子どもたちは、そんな私を笑いはしたものの、バカにはしなかった。
「先生、ドンマイ」「だれにだって、間違いはあるよ」
と受け止めてくれたのだ(あってはならん初歩的なミスよ、マジで)。
もうひとつ。
そんなエピソードを重ねるうちに(ちょいちょいボケをかましてしまう性)、子どもたちとの距離が近づいた。
そんなときに、ふと思う。
「子どもたちって多分、完璧な先生ではなくて人間味のある先生を求めているんやろうな」
✳︎
担任になってからも、私は必ず学級開きで「先生も人間だから、間違えることがあります。間違っていると思ったら、遠慮なく教えてください」と伝えてきた。
長男にも、
「ママも〇〇くん(長男)と同じで、成長している途中なんよ。もちろん一生懸命やけど、全部が正解ってことはない。だから、おかしいんちゃう?って感じたら、言ってね」
と伝えている。
自分もあの人も、名の知れた教授だって、みーんな、人生の途中。いいところもあれば、悪いところだってある。完璧ではないし、完璧でなくていいんや。
そう思えたときに、「〜のくせに」のブロックも外れた気がする。
失敗したらアカン!って気負うより、失敗を認めて謝れるほうがずっと楽。ほんで現実は、そういう人間くさい人が信頼されるんよね。
だって安心やし、そもそも人間の時点で「完璧」なわけがないんよ。
あーさとゆみさんのこと、いちだんと好きになったな。
▼7月10日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪
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