#21「"分からん"土壌に種をまく」
変わり者な私には、この「分からないことを分かろうとする」感覚が分からない。
指導書やFPの勉強など、「学べば分かるもの」は例外だけれど、生き方や思想といったテーマの大きなものは、「なるほどねぇ。でも、私にはよく分からんなぁ」と受け流してきたように思う。
しかーし!
インタビュー記事は、「分からんなぁ」で済ませられない。分からないなら調べまくり、自分なりの解釈を形にして、期日までに完成させる。この解釈、主観丸出しな上に、書き手の知力・価値観・生き方がモロに反映される。こっ恥ずかしい限り。
それでも「今の」自分のもてる材料を使い、カラカラになって書き上げるしかない。
だとしたら、「自分の」幅を広げることがいい文章につながるのではないだろうか。
どう広げる?
「分からんなりに触れてみる」のがヒントかも。
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学生時代に出会った恩師は、英語の長文指導のスペシャリストだった。講座では、決められた時間で3ページほどの長文を読む。
恩師は「分からなくてもいいから、目で追いなさい」と言う。
言われたとおり、分からない頭で英語の長文を追う。それをひたすら繰り返すうち、なんとなく内容が理解できるようになったのだ。
今はようやく、単語・文法を覚えて日本語に訳す読み方が問題視されてきている。あのときは正直「んなアホな」と思ったけれど、まさにネイティブに近い方法やったんや。
この長文の読み方をマスターし、200ほどの英文(文法の例文)を1年以上毎日音読し、総まとめ系の問題集を1冊決めて最低3回は解く。結果、大学受験の英語は1問しか間違えなかった(自己採点の結果ね。私にしては上々)。
ときがきたら息子にも、やる・やらないは別にしてこの勉強法を伝えようと思う。
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最近、近藤先生の「百冊で耕す」で、似たような話に触れた。
図書館でシェイクスピアやユゴー、カフカなどの名作を借りたものの、数ページ読んで「私には難しいわ」と返却した学生時代を思い出す。
「分かろうとしないでください」
私の場合、「分かろう」ともせんかったな。すぐに分かろうとする必要はないけれど、「自分には合わん」と投げ出すと視野を狭めてしまう。無意識のうちに、「分かる」タイミングを逃してきたんやなぁと反省。
でも、まだ間に合う。
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書けば書くほど、読めば読むほど、自分の未熟さが露呈する。だからこそ書き、読んで、自分の幅を広げなければならないんだ。
「自分を信じて」「自分だけが味方」
一方で、自分に固執していると、小さな世界から抜け出せない。枠を超えるために、自分を疑い、分からんくてもいいから「いいもの(トレンドではなく、長期的に評価されているものね)」には触れてみる。
まいた種が多いほど、きっと、花を咲かせる回数も増えるよね。
▼5月30日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪
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