年子は決して「かわいそう」ではないと思う
こんにちは。2人の息子を育てながらライターをしております、「ゆうまさ」です。note投稿の初回として、私自身のことをお伝えしている第2回。ちょっと挑発的なタイトルではありますが、お付き合いいただければ幸いです。
第二子の妊娠
二人目の妊娠が分かったのは、上の子がまだ1歳にも満たないときのこと。そう、うちの子たちはいわゆる「年子」だ。
産婦人科で「妊娠していますね」と言われたときは、「周囲をどう説得しようか……」という考えで頭がいっぱいだった。
エコーに映る、1cmにも満たない命。守り通して産むことは、産婦人科の門を叩く前から心に決めていた。
しかし、同時にこうも思っていた。「主人と私の母を説得することは、とても難しいだろう」と。
私の母は、一つひとつのことをきちりきちりとこなす人。私と弟の面倒は彼女一人で見たと言っても過言ではない。家事も仕事も、決して怠ることをしない、そして毎日家計簿をつけ、計画的に物事を進める……私にとって「完璧すぎる」女性だ。
その血を受け継いでいるはずなのに、なぜかぼーっとしたところがあり、無鉄砲にあてもなく動いては、あとから「どうしよう!」と悩むことの多い私とは、似ても似つかない性分。
……言われることはわかっていた。
「計画性もなくて無責任だよね」「今は上の子を優先して愛情を注いであげるべきでしょう」そして、「上の子がかわいそう」
……想像通りの言葉は、ぐさりぐさりと胸に突き刺さります。彼女の言うことは正しいのだろう。お金に余裕もなく、仕事へも復帰しなくてはならないときに、妊娠などもってのほか。それは頭ではわかっていた。
「産みたければ周囲の意見など無視して産めばいいじゃないか」と思われた方もいるだろう。しかし、出産時子連れで入院できる病院はわずかで、当然料金も高い。加えて産後起き上がることすらままならないあの痛みを考えると、とても抱っこやおんぶどころではなく、周囲に頼らざるを得ないだろうと私は考えていた。
だからこそ、主人はもちろん、母を説得する必要があったのだ。
「堕ろす」という言葉の残酷さ
母が言ったのは「今回は諦めなさい」という言葉だった。予想どおりの回答だ。
それはすなわち「堕ろせ」ということ。強い言い方をすれば、育ちつつある生命を「殺せ」ということだった。
母体保護法のもと、妊娠21週と6日までであれば合法的に堕胎させることが認められている。確かに、性暴力などで望まぬ妊娠をした場合なども考えられるため、この制度は必要不可欠だろう。
涙を飲んでこの選択をした人も数多くいるはずだ。その背景には、もはやどうしようもない事情があったのだろう。だから、その選択肢そのものは「悪い」とは言えない。
しかし、たとえ私が周囲から「間違っている」と言われたとしても、私は自分の思いをどうしても貫きたかった。何を言われても、どのように思われてもいい。軽蔑も侮蔑も受け入れる。
ただ、「この子に会いたい」……そう思っていた。
仕事と育児と妊娠生活と
母は納得をしてくれたわけではないのだろう。しかし、最後にはサポートしてくれると言ってくれた。はじめは「無理なんじゃない?諦めたら?」と言っていた主人も、なんとか説得し、私は妊婦兼母親兼社会人となった。
想像以上に厳しい日々。朝早くから家事をこなし、息子を起こして保育園に連れていき、仕事をする。夕刻、時短であがらせてもらい、2時間通勤電車に揺られ、駅を出たら走って保育園に向かう。いつも最後の数人に混ざり、私の帰りを待っていた、幼い長男の姿は、今でも忘れられない。
私を見つけるとパッと表情をを輝かせて駆け寄って来るあの子を見て、泣きそうになったことが何度あったか。「ごめんね、遅くなってゴメンね。寂しかったね」そう抱きしめることしか私にはできなかったが……。
そんなときには、いつも頭のなかをよぎるのは、「3歳児童神話」。子どもが3歳になるまでは母親が傍で見守り子を育てるべきという、昭和の呪縛とも言える神話だった。きっとこの神話に心を揺さぶられた兼業ママは、数多といることだろう。私もその一人だった。
あなたは望まれて産まれてきた子
上の子のこともあり、体調も不安定だったため、私は早めに産休に入り、「その日」に臨むことになった。
今回は主人も休みを取り、立ち会ってくれることに。なにができるわけではないのだが、孤独な苦しみの傍に寄り添ってくれる人がいるということは、なんとも心強いことだった。
上の子のときは耐え難い苦しみでもだえ苦しんだにもかかわらず、今回は支えてくれる人がいる。母も上の子を預かってくれた。ただただ感謝と、お腹のチビのことで頭がいっぱいだった。
「チビ頑張れ」「ありがとう、ラクになったよ」それを繰り返し、産まれてきた小さな命。少し小さく産まれましたが、元気な産声をあげたこと、「元気な男の子ですよ」と抱かせてもらった瞬間に、おしっこの噴水をあげ、夫婦で笑ったことを覚えている。
回復室で隣にすやすや眠る、壊れてしまいそうな小さな命。
「産むという選択を貫いてよかった」「産まれてきてくれてよかった」そう思った。
その小さな手を握りながら、「あなたは私に望まれて、望まれて産まれてきたんだよ」そう心の中で声を掛ける。
上の子に生まれた新しい「愛情」
退院して家に戻ると、上の子がちょっぴりむくれて待っていた。怒りに泣きわめくこともなかったが、「ママ、なんで置いていったの?」と尖らせた唇が幼い彼が最大限の忍耐を駆使して寂しさと闘ってくれたのだということを物語っていた。
瞬間的に思ったのは、「あぁ、かわいそうなことをしてしまったな」ということ。まだ2歳にも満たない子に、母の不在を経験させるのは、とても酷なことだったのだなと感じ、これから年子の2人を育てていくにあたって、このむくれ顔を笑顔にすることができるのか、ちょっぴり不安を感じたのを覚えている。
そんな気持ちを払拭してくれたのは、ほかでもない長男だった。
私が腕に抱えた小さな小さな弟を見ると、「なんだこれは」とばかりに覗き込む長男。そして赤ちゃんは直感的に「かわいい」と思わせるのでしょうか、おもむろにほっぺにチュー。
なんとも微笑ましい光景だ。上の子を抱きしめ「寂しかったね、よく頑張ったね、大好きだよ」と抱きしめると、上の子は嬉しそうに笑ってくれた。
それからの日々は、長男と次男、私で過ごす毎日。事故防止のためにサークルに囲まれた次男を見て、いっしょに遊びたそうにサークルの周りをぐるぐる回る長男。その滑稽な光景に吹き出しそうになる私……。傷は痛むし大事を取れないために出血もひどかったが、そんなことはどうでもいいくらい、幸せな日々だった。
甘えん坊だった上の子。弟が産まれて、上の子に生まれたのは、「自分より弱いもの、小さいものを可愛がる、愛情をかける」という気持ちだった。
きっと年子でなければ、ずっとあとになってから会得するはずだったこの気持ち。
兄となってから、上の子は兄弟のかかわりのなかで学び、さまざまな感情を抱くことで、さらに成長してくれたように私は感じている。
年子は本当に「かわいそう」なのか
下の子が外出できるようになってからは、ベビーカーと抱っこ紐でおでかけをすることが増えた。
ある日、電車に乗っていると、私の母くらいだろうか、ひとりの女性に声をかけられた。
「かわいいわね、双子ちゃん?」
「いえ、年子なんですよ」
「あら、うちと一緒!男の子3人。今はもう社会人だけどね。お母さん、大変でしょう?」
「そうですね……、寝られないですし、目が離せませんし。でも、可愛くて仕方ないです。」
「懐かしいわ。年子は大変だけど、一緒に育っていってくれるからね。いいわよ。助け合って大きくなっていってくれるから。」
そう言って笑う彼女の笑顔は、本当に幸せそうで、そこにはひとつの大きな仕事を終えた人間の、満ち足りた表情があった。
「年子はかわいそう」「上の子にもっと長く愛情を注いであげるべき」妊娠中からこんな言葉ばかりを聞いてきた私は、先輩の年子ママのその姿を見て、果たしてそれは本当にそうなのか……と疑問に思った。
確かに上の子にも下の子にも、我慢してもらわなくてはならない場面もある。しかし、ともに育つことで得られる経験や学びもたくさんあるのだ。
今や、上の子は弟を可愛がり、なんでも「一緒にやろう!」と誘う仲。弟も弟で、兄のうしろについて回り、その背中を見て日々成長している。それは私だけでは提供できない経験と時間なのだろう。
周囲から言われるような「かわいそう」な姿は、そこには見られない。
ひとつの事象を引っ張り出してそこからレッテル貼りをするのは容易なこと。マイノリティはそのために常にマイナスなイメージを持たれがちだ。
しかしながら、「幸か不幸か」「かわいそうかそうでないか」なんて、所詮は当事者でなければわからないこと。
「そうか、私もこの子たちを幸せにすると決めて産んだんだから、胸を張って生きていこう!」「年子はかわいそう、なんて、私の子たちには言わせない。年子でよかったと思えるような育児をしていこう!」
名も知らない女性との会話で、私はそんなことを思ったのだった。
執筆後記
今回は2人目の出産と、年子育児について書かせていただきました。
子育ては孤独な闘いです。どんなに育児書を読み漁ろうと、先輩ママの意見を聞こうと、そこに「答え」があるとは限りません。
暗中模索のなかもがき続けて、ようやく自分たちらしい育児を見出していくのだと私は思っています。
どんな子育てのあり方であっても、その人なりの苦悩と経験をもとに導かれたもの。だからこそ、周囲は勝手にマイナスのレッテルを貼ったり、「こうであるべき」という自分の理想論を押し付けてはいけないと、今は強く尾もいます。
「他人の生き方に口をはさむべからず」。だって、育児に正解なんてありませんからね。
だから、私はこれからも、たくさんの経験から学び、ときに悩み、落ち込み、子どもたちに元気をもらい、一歩一歩進んで行くことでしょう。
それは周囲のママも同じ。皆それぞれに違った経験のもと、自分なりの子育ての道を見出していくのです。
ただひとつ、私たち母親に共通しているのはそのゴールでしょう。「我が子を幸せにする」という子育ての終着点。
そこに至るまでのプロセスについては、子どもが笑顔でいられるのであれば、どんな道を選んでもよいと、私は考えています。
すべてのママ・パパが、自分らしく、それぞれに幸せな育児ができることを願って……。
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