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国と時を超えた三角関係 - 映画感想文 「パスト・ライブス PAST LIVES」

・冒頭のBAR

冒頭はBARで男女が話すシーンで始まる。女性が真ん中におり、それを挟んで両脇に男性がいる。

それを見ている人が「彼らはどんな関係なのか?」と話す。「もしかしたら片方は恋人同士で、もう一人の男は兄弟なのでは?」というように。

観客が抱くべき疑問をすべて言葉で代弁してしまう。これはなかなかに説明的で野暮ったいシーンではあった。

・少年少女

物語の始まりは、まず12歳の少年少女がいる。彼らはお互いを好きになるが、少女は遠くに引っ越しして離れ離れになってしまう。

・12年後

12年後、大人になった24歳の男女。女はニューヨークに住み、男は韓国に住んでいるが、Facebookを介してオンラインで再会して、連絡を取り合うようになる。

再会の仕方がさすが現代的だ。ここをドラマチックにお膳立てしないところが「本当にありそうな物語」としての仕掛けだとも言える。

日本よりさらにネット大国の韓国らしいとも。

二人は「ずっと会いたかった」と告白しあう。実は女の方は彼を忘れかけていたぐらいなのだが、男の方は強く彼女に惹かれたままだったのだ。

・アカデミー賞

アカデミー賞にもノミネートされているし、数々の賞を取りまくっているらしき本作。

一見地味にも見える映画だが、何がそんなに素晴らしいのだろうという視点で観てしまう。素晴らしい体験を期待しながら観てしまう。

これが俗に言うハードルが上がるというやつだ。

・2度目の別離

オンラインで連絡を取り合っていた二人だが、お互い国も違い、距離が離れすぎている。そしてまだ学生だ。

女は「ニューヨークまで来て」と言うが男は行こうとしない。

そして女が連絡を止めようというと、男は悲しそうな顔をする。いやニューヨークぐらい飛んでいけよと思うのだが、よく分からない。きっと簡単には行けない事情があるのだろう。

・なぜ男は女に連絡したのか?

電車でイチャイチャする他のカップルを見て羨ましそうな顔をする男。

あまりにも彼女が欲しすぎてゆかりのかる少女に連絡してしまったのだろうか。一見爽やかなのだが、中身はなかなかの非モテ系。

・さらに12年後

男女が連絡をやめてからさらに12年後。女はすでに結婚していた。男はまだ独り身である。

男はついにニューヨークを訪ねる。電撃訪問。

24年越しの思いを抱えながら女を求めて国を越えるなど、曲がり間違えば相当やばいストーカーなのだが、それは相手の受け取り方次第だ。

ストーカーなのか?実は運命の相手なのか?

ギリギリのラインを揺れ動きながら、男はリアルでは20年ぶり以上に女と再会し、自由の女神を観に行ったり、遊園地に行ったり、恋人まがいのデートを楽しむのだった。

そして今度は女の夫もあわせて3人で飲みに行くことになる。それが冒頭に出て来たBARであった。

・女の夫

女の夫は気が気でない。

なぜなら彼は韓国人ではなく、妻は韓国人。女はことあるごとに「韓国ではこうだ」「あれは韓国的で、これは韓国的でない」ということを無意識に口にしてしまう。

しかも妻の寝癖で出てくる言葉も韓国語なのだ。

夫は自分の知らない領域が彼女の中にあることに不安を覚える。しかも今回は、少年少女時代とは言え昔好きだった男が訪ねて来ると言うのだから大変だ。

しかし漢を追い払うわけでもなく、丁重にもてなす夫。BARで男と妻が見つめ合って恋人同士みたいな雰囲気を作っても我慢する夫。頑張り屋。

そこは怒っていいよ。

・キスしない

最後に男とおんなが分かれるシーン。当たり前だが男は韓国に帰る。女はニューヨークでの暮らしを続ける。

今の瞬間が終わったら今生の別れかもしれない。

そして二人はお互いに見つめ合い、もしかしたらキスしてしまうのかと思わせておきながら、やっぱりしない。

「ここでキスさせてしまうようなら駄作だ」と思いながら観ていた。

二人は運命の出会いを果たして結ばれるでもなく、お互いの人生に戻って行くこととなる。

・袖触り合うのも多生の縁

人生で出会う人には前世からの因縁があり、8000層の何かの層を超えて今世で巡り会ったのだと言う。

輪廻転生的な哲学が繰り返し語られる。

もしかしたらほんの少しのタイミングが違えば、二人は同じ道を歩んでいたのかも知らない。それを思うと切ない。

というか学生時代に男がニューヨークまで訪ねていれば一緒になれていた可能性もあったのでは?

行けよ。地を這ってでも。

・国を越えた共作

コットンテールもPERFECT DAYS もそうだったが、今は国をまたいだ共作って流行ってるんだろうか。

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