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藤井聡太二冠が将棋界を救った(救える)わけではない。救えるのはきっと、一人ひとりの将棋ファンのはず

こんな記事がバズっていました。

素敵な文章だし、大変に将棋が好きな方なんだろうな、と思います。その上で、この文章だけだと、誤解を招く部分が多分にある、とも思いました。

私は15年来の将棋ファンであり、アマチュアの将棋指しであり、同時に一定程度将棋界に関係性がある(あった)人間でもあります。

下記の文章は、上記の記事の補足であり、内容を否定するものではありません。

AIはいつ棋士を超えたのか

将棋界にとって、2010年代最大のコンテンツの一つは電王戦でした。ある意味でそれは、藤井ブームよりも遥かにエポックメイキングな出来事だった、と言えるかもしれません。

棋士とソフトが対決するというのはタブーであり、禁断のコンテンツでした。故・米長邦雄会長の決断があったことは事実でしょうが、将棋界が「ソフトとの付き合い方」に悩み苦しみ見つけた「共存の道」でもありました。

初めて開催された電王戦では、2局目で佐藤慎一四段(当時)を相手に、「Ponanza」がプロ棋士に初勝利をおさめると、最終局では「GPS将棋」が、現役 A 級棋士(10人しかいないトッププロ集団)の三浦弘行八段(当時)に勝利しました。

実際のところ、この時点で「ソフトはほとんどのプロ棋士を超えた」というコンセンサスが出来ていました。将棋倶楽部24などで、アマチュア対局によるレーティングでもそれは裏付けられていました。

2016年には、人間側のトーナメントである「叡王戦」が開催され、その勝者である山崎隆之八段と、「Ponanza」が対局し、2局ともほぼ完勝といっていい将棋でソフトが勝利しました。

2017年には、タイトルの最高峰の佐藤天彦名人(当時)が叡王戦を勝ち抜きましたが、同じくほぼソフト側の完勝といえる内容で、この時点で完全に、疑問の余地なくソフトは人間を超えました。

AIは将棋界の脅威ではなかった

なぜ電王戦がエポックメイキングだったのか。

それは、「人間がAIと戦う」というコンテンツが、「ソフトは人間を超えたのか?」という疑問を超えた先にあったことです。

電王戦は単なる見世物や、ソフトの進化を見せつけるだけのものではありませんでした。
塚田泰明九段の魂を削るような持将棋、AWAKE騒動、永瀬拓矢二冠のバグすら読み切った圧勝など、多数の名局を産んだのです。

電王戦を主催していたドワンゴが、叡王戦を八大タイトルとして格上げすることを決めたことからも、ソフトが将棋のコンテンツ価値を下げたのではなく、向上させたことがわかります。

ソフトの脅威による将棋界の衰退は杞憂と言っても良かった。今考えれば、電王戦以前の将棋界の停滞ぶりのほうが深刻でした。

糸谷哲郎八段が『斜陽産業』と発言したとおり、電王戦以前に将棋界が一般メディアに取り上げられるのは、羽生善治九段(と、せいぜい里見香奈女流四冠)くらいだったのではないでしょうか。

ドワンゴと電王戦、あるいは将棋ソフトは、将棋界にとっては救世主でした。日の当たらなかった将棋界が、曲がりなりにも将棋ファンというマニアックな存在以外にも認知されるようになったのです。

動画配信が「観る将」の存在を産んだことも含め、ニコニコ動画がなければ、将棋界はもっと早く駄目になっていたに違いありません。

将棋界はなぜ衰退したのか

ソフトのせいでないとすれば、そもそもなぜ将棋界は「衰退」したのか。

日本将棋連盟の情報公開を見ればわかりますが、収入の半分以上は棋戦契約料が占めています。棋戦契約料は、タイトル戦のスポンサーが、将棋連盟に払うお金です。これが、プロ棋士の対局料になります。

そして、将棋のタイトル戦のスポンサーの多くは新聞社です。

もともと新聞で連載可能な娯楽が将棋であったことから、戦後ほとんどの棋戦は新聞社が主催になっています。

しかし、未だに将棋の結果を知るために紙面を見る人は、どの程度いるのでしょうか。

すでに動画でも、アプリでも速報が手に入る以上、新聞社がスポンサードする必然性は(ビジネスの意味では)ほぼ存在しません。

一次コンテンツとして映像が手に入り、それを有料課金に活かせるはずのドワンゴですら「一社開催はキツイ」と夏野社長が白旗を上げたわけですから、いわんや新聞社をや、です。

そして、新聞社の経営は決して順風満帆とは言えません。はっきり言ってしまえば衰退産業です。

衰退産業である新聞社が、多額のスポンサー料を出して文化支援し、日本将棋連盟を支えているわけですから、連盟の経営が持続的ではないことは明らかです。

そういった状況の中で、事件が起こりました。

「ソフト冤罪事件」とはなんだったのか

ソフト冤罪事件(第三者委員会ですでに三浦九段がいかなる意味でも潔白であったことは立証されていますので、当該棋士の名前を使うのは不適切であることを申し添えます)とはなんだったのか。

公益社団法人である日本将棋連盟が、不確かな憶測に基づいて、一棋士の棋戦出場を取りやめるというのはありえない話です。

それが起きてしまったのは、ひとえに、将棋連盟にとって最大の危機がスポンサー撤退だからです。棋士から職員にいたるまで、将棋界のあらゆる構成員は、新聞社に対しては極めて慎重に接し、徹底してスポンサーが嫌がることを避けます。

「挑戦者のソフト疑惑」は、スポンサーからすれば多大なるイメージ損失です。そして、どのような理由であれ、最大棋戦である竜王戦から読売新聞が撤退してしまえば、将棋界は崩壊します。

その恐怖が、パニック的で拙速極まりない対応を生みました。

ですから、本質的にこれは将棋ソフトの問題ではなく、日本将棋連盟という組織のガバナンスと、スポンサーとの力関係の問題です。ソフトは全く関係ない、と言っても過言ではありません。

この疑惑をめぐり、たしかに将棋界は真っ二つに割れました。

「一致率」などの統計学の「と」の時も知らない稚拙な指摘や、憶測、各種記者・ライターによる憶測での攻撃が繰り返され、私も含め、多くの将棋ファンはほとほと嫌になりました。

とはいえ、将棋界というのは常にゴタゴタした世界です。ゴタゴタ自体が珍しいわけではありません。

棋士になれば生涯棋士であり(プレイヤーとして引退しても)、すべての棋士が総会に出席する権利があるため、政界と同じような様々な人間関係があります。揉めたり対立することは、特別なことではないのです。

藤井ブームとは何だったのか

そんなゴタゴタの最中にデビューしたのが藤井二冠です。確かに、藤井ブームにより、将棋界は暗闇を抜けだしたかのようでした。

(私も「趣味は」と聞かれて「チェスと映画鑑賞です」と言わずに「将棋です」と堂々と言えるようになりました)

また、騒動を受けて辞任した谷川浩司会長の後任として就任した佐藤康光会長の功績にも触れないわけにも行きません。

会長はとりわけ新棋戦の創設や棋聖戦へのスポンサードなど、精力的に活動されていました。

もともと、弊社会長の西浦(三郎氏)と、日本将棋連盟の佐藤会長(康光九段)に縁がありまして、男性棋戦の棋聖戦では特別協賛という形でご協力させていただいております。

しかし、将棋界の構造自体が大きく変わっているわけではありません。

スポンサーに依存する構造が変わったわけでもありません。Abematvや叡王戦が永続的に続くかどうかも不透明です。新聞社の経営が改善したわけでもありません。

今は確かに、将棋界の認知は高まり、ブランド価値は上がっているかもしれない。でも、いつかブームは去ります。

七冠ブームも、かつて去りました。今度ブームが去ったときに直面しなければいけない現実は、以前よりも厳しいものになるかもしれません。

問題は、競技人口や視聴人口の数 = 棋士の収入ではないということです。

将棋に興味を持ってくれる人の数は間違いなく増えている。しかし、だからといってそれがすぐにスポンサー料に結びつくわけではありません。

天才プレイヤーが業界を救えるわけではない

大抵の棋士は天才です。私は自分が将棋を指すから、よくわかります。

プロになれる時点で、棋士も女流棋士も天才です。ただ藤井二冠はそのなかでたまたまずば抜けて強かった。それだけの話です。

藤井二冠や羽生九段は立派な方だと思いますが、将棋の強さと人間性を結びつけてはいけません(米長邦雄永世棋聖が草葉の陰でダブルピースをして笑っています)。

将棋界というのは閉じた世界です。上記のようなことはほとんど誰も書かないし、あえて言うなら誰も興味がないかもしれない。

それでも書いたのは、一人のプレイヤーに、一つの組織、一つの文化を全て背負わせるべきではないと思うからです。あまりに一人の棋士を神格化するのは、本人にとっても危険なことです。

将棋界はどうすれば変わっていくのか

重要なことは、ひとりひとりの将棋ファンが、グッズを買ったり、指導対局に言ったり、イベントに出たり、地道に課金していくことです。(この記事で唯一太字にしてあります。レア)

折しも、コロナ下で将棋道場も大変な経営です。私はずっと学校に行かなかったとき、将棋道場で一日を過ごさせてもらっていたので、個人的には本当に辛い思いがあります。

YouTubeをやっている棋士の方も多くいらっしゃいます。「森内俊之の森内チャンネル」という、一つのタイトルに森と内が二回出てくるチャンネルでは、森内俊之九段のバックギャモンが見れます。(将棋も時々見れます)

ブームが終わったときに将棋界が変わっていなければ、再び、緩やかに時計の針は回り始めます。

他の競技ゲームのように、トーナメント専業で食える一部のプロ、レッスンプロ、本業の収入のほうが多い兼業プロ、に分かれていく可能性が高いのではないでしょうか。

近年は、星野良生五段など、他に職業を持たれている方や、専門を活かして副業される方もいらっしゃいますが、専業で生活していくことを前提にしてきた一定以上の年齢の棋士がいきなり他の業種に参入していくことは簡単ではありません。

また、そのような状況で奨励会というシステムが存続していけるとも思えません。

そうならないためにも、将棋界はスポンサー型のシステムから、個人が課金するシステムへ転換する必要があります。

残念ながら、日本将棋連盟はそのようなドラスティックな変換を主体的に行える組織ではありません。しかし、ひとりひとりの将棋ファンが意識すれば、状況は変わるかもしれない。

そういう思いで、この文章を書いています。将棋界を救えるとすれば、それは一人の天才ではなく、このゲームを愛するたくさんのファンなのです。

励みになります!これからも頑張ります。