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英雄か悪魔か? 『ナポレオン』が描いているものとは?

今回も映画館で上映されている新作映画を評論したいと思います。
と言うことで、今回は巨匠リドリー・スコットが監督を務め、主演ホアキン・フェニックスを迎えた注目の作品。
『ナポレオン』
こちらを鑑賞しましたので、感想をここに綴っていきたいと思います。


『ナポレオン』について

あらすじ

1789年 自由、平等を求めた市民によって始まったフランス革命。
マリー・アントワネットは斬首刑に処され、国内の混乱が続く中、天才的な軍事戦略で諸外国から国を守り 皇帝にまで上り詰めた英雄ナポレオン。
最愛の妻ジョゼフィーヌとの奇妙な愛憎関係の中で、フランスの最高権力を手に何十万人の命を奪う幾多の戦争を次々と仕掛けていく。
冷酷非道かつ怪物的カリスマ性をもって、ヨーロッパ大陸を勢力下に収めていくが――。
フランスを<守る>ための戦いが、いつしか侵略、そして<征服>へと向かっていく。

公式サイトより引用

基本データ

  • 監督 リドリー・スコット

  • 脚本 デヴィッド・スカルパ/リドリー・スコット

  • 出演者 ホアキン・フェニックス/ヴァネッサ・カービー

人間「ナポレオン」を描く

描かれるナポレオン像が面白い

今作品一番の面白い点は「ナポレオン」と言う人物を歴史的な批評対象として描かない点だろう。

彼の功績を簡単に振り返ると「ナポレオン」は「フランス革命(1789〜1795)」の時期に台頭。
その後自ら皇帝の地位につき(1804年)、フランスの影響力をヨーロッパ全域にまで広げた人物である。
その功績としては「フランス革命の精神」を全ヨーロッパに広げたこと、つまりそれまでの時代では「専制君主制」をベースに成り立っていた世界に、「近代共和制」の土台を広げたとも言える。
しかし、その過程で多くの戦争を重ね、夥しい数の戦死者を出したとも言える。
これは歴史に残る偉人のことを振り返れば全て当てはまるが「功罪」どちらもあり、後世では評価されるのだ。

では今作はどうだろうか?
少なくとも日本版のポスターでは”「英雄」か「悪魔」か”と言うフレーズが書かれているが、今作はそこを議論するものではない。
つまり「ナポレオン」と言う人間の「功罪」には触れず、ひたすら「人間」として、なんなら「凡人」のように見えるように描いていく。
構造としては近年木村拓哉を主演に迎え「織田信長」を実写映画化『レジェンド&バタフライ』が狙っていた作劇を完璧に仕上げた作品といえばわかりやすいかもしれない。

今作でのナポレオンは、その妻ジョセフィーヌとの奇妙なパワーバランスの上でその人物像が深掘りされていく。
「私、無しではあなたはただの男」とナポレオンに告げるジョセフィーヌ。
その宣言通り彼女と結婚したナポレオンは着々と出世をしていき、皇帝にまで上り詰める。
しかしその過程でもジョセフィーヌの浮気などで夫婦関係が破綻しかけるが、それでもお互いが互いを大切に考えているし、互いがあっての今の権力の座にいることを理解はしていた。

ナポレオンが破滅に向かうのは、世継ぎの問題で彼女と婚姻関係を終わらせたことだ。
ナポレオンが皇帝として君臨することで、世継ぎの問題に悩まされ、ジョセフィーヌと別れる決断をする。
しかし、その後彼は連敗を重ね、ついにはその地位から転落する。

ナポレオンはジョセフィーヌと離れたことで正真正銘「ただの男」になっていく、その過程を今作は丁寧に描いていく。
そこに「英雄」「悪魔」と議論されるナポレオンの姿はない、あくまで「人間」としての彼が描かれる。

これが今作最大の特徴だろう。

終わり方の切れ味も良い!

さて、そんな「人間」的なナポレオンを描く今作品だが、個人的には終わり方の切れ味が最高によかった。

先ほどまでナポレオンが「凡人」として描かれていると言ってきたが、それでも彼の人生でハイライトになる場面の戦争シーンを今作は臨場感満載で描いてきた。
トゥーロンでの戦い、エジプト遠征、ロシア遠征、ワーテルローの戦いなどなど。
いくら「人間」とはいえ、その人生において語られるべき出来事は多岐に会ったのだ。
しかし、最終的には敗北し「セントヘレナ島」へ流刑される。

そこで2人の女の子が遊んでる際に、ナポレオンが彼女らを呼び止め問うたセリフが印象的だ。

「モスクワを焼いたのは誰だ?」

これは彼のロシア遠征で実際に起きた出来事だ。
答えようとしない子供に彼は「自分が焼いた」と告げる。
しかし片方の女の子が「いいえ、それは違う、ロシア軍がやったこと」と伝える。
この瞬間ナポレオンは自分の世界に伝えたい姿と、実際に伝わっている姿が乖離しているかを突きつけられるのだ。

事実として「ロシア遠征」をナポレオンが行った際、最初は連戦連勝でロシアの深部にまでナポレオンは迫った。
しかしそれはロシア軍の罠だった。
ロシア軍はナポレオンの進軍を止めることは容易ではないと考え、彼らを深部にまで誘き寄せ、その際に途中で資源補給ができないように「自分たちで都市を焼き払い」ナポレオン軍を弱らせていったのだ。

そして「冬」の到来で補給をできないナポレオンたちを一気に襲い、勝利を収めたのだ。

つまりこのシーン、ナポレオンは自分のやった功績として「ロシアを追い詰めた」つまり「英雄」としての側面を見せつけたかったのだが、しかし子供達は事実を知っていて、自分が「敗者」でいかに「平凡」だったのかを突きつけられたのだ。

ここで最後に自分の事実が伝わっていること、つまり自分は「英雄」ですらない、ただの「人間」それも「敗戦の将」であると言うことを突きつけられ、最後に残った虚栄心すらも奪われたのだ。

ある意味で彼は自分が「人間」であることを突きつけられ、そしてそのまま事切れていく。
つまり最後に何もかも剥ぎ取られ、「人間」として死んでいく。
これぞまさに「人間」ナポレオンを描いたと言うわけだ。

この切れ味こそまさに素晴らしいと言える。

本当は4時間の作品なのに。成立している理由とは?

とはいえ、今作品ナポレオンの半生、約30年を2時間半で描いていることからもわかるように、かなり早足でエピソードが消化されていく。

その中で戦争のスペクタクルシーンと、妻ジョセフィーヌの関係を並列して描いていく。
そのため、かなりダイジェスト感の強い作品になっているのは間違いない。
ただすごいのは、それでも一本の映画としては成立している点だとも言える。

ちなみに今作はディレクターズカット版が4時間越えで存在していると監督から公言されている。
つまり前提として今作はやはりダイジェスト的な側面の強い作品なのだ。

しかし、それでも成立しているのは、ジョセフィーヌとナポレオンの関係性が絶妙なパワーバランスの上に成り立っていて、その駆け引きが非常に見応えがあるからだ。

最初ジョセフィーヌに一目惚れしたナポレオン。
将軍という地位から最初は彼女にマウントを取ろうとするが、逆にマウントを取られ、「私抜きではただの男」とさえ言われ、半ばそれをナポレオンは認めてしまう。

そんなジョセフィーヌが不倫をしているのを知った際、エジプトから蜻蛉返り、彼女に真偽を問ただし、2人は婚約関係の継続を望んだ。
そのタイミングでクーデターが起こり、あれよあれよナポレオンはどんどん権力を得ていく。
なんの因果か、妻の浮気がなければ彼は権力を獲得できなかったのかも知れない。
そんな2人の関係性がフランスの歴史を大きく動かしていくのだ。

そんな中、皇帝にまで上り詰めたナポレオン。
しかし皇帝になったが故、2人は「世継ぎ」という問題に直面していく。

ジョセフィーヌとの間では子供を作れない。
そのためついにナポレオンは彼女との婚約を解消する。
それが彼の運の尽きとして、彼は敗戦を重ねるのだ。

今作は歴史的なフランスのたどった大きな局面、転換点をあくまでナポレオンとその妻の関係性を並列して描くので、この2人の関係が変化するタイミングに、歴史の転換点がくる作りになっている。
確かに歴史ドラマとしてみれば「おかしな点」は多いだろうが、しかし映画としての構成は本当に見事だと言わざるを得ない。

その人間ドラマの間に挿入される戦争シーン。
これも人間パートとの落差のあるものとして描かれており、見応えもバッチり用意されている。
やはり巨匠リドリー・スコット。
非常に映画が上手いと言わざるを得ない、見事な手腕だったと言える。

まとめ

ということで『ナポレオン』
歴史的な偉人をあえて「平凡」な人間として描き、そしてその彼と不思議な関係にあった妻ジョセフィーヌとの関係に絞ってドラマを展開させた、その思い切りの良さには感服させられた。

非常におもしろい映画だった。

ナポレオン演じるホアキン・フェニックス。
ジョセフィーヌ演じるヴァネッサ・カービー。
2人の演技は観客を虜にさせるし、彼らだからこそこの作品は成立したとも言えるので、ぜひこの2人の演技をその目に焼き付けてほしい。

そして合間に挟まれる戦争シーン。
これらもダイナミックな見せ場は多いので、これは映画館で見ることを強くお勧めしたい。

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