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無意識の偏見

私たちは無意識のうちに他人への態度を偏見に基づいて決めてしまいます。
例えば、老人に会うと、記憶力、創造性に乏しいはずだと思いこむ。また、ミニバンに乗る中年女性をみて、その人がどこかの企業の重役かもしれないとはあまり考えない。

なぜ、こうした偏見を崩すことができないのか?
ここで重要になるのは「認知的過不足」です。
脳には絶えず情報が入ってきており、その情報量は毎秒約1100万ビットになると言われていますが、意識が処理できる情報の量はせいぜい毎秒40ビットとされています。

つまり、私たちがとり入れた情報の大半は無意識のうちに処理されます。この時の処理でよく「ショートカット」が行われ、その際に頼るのが「ステレオタイプ」です。
ステレオタイプを利用することで重要でない情報や、はじめから正しいはずのない考えを除去することができます。

逆に、この処理が行われることによって「偏見」というものが生まれてしまっているとも言えるでしょう。
こうした偏見により人の成長を妨げることがよくあります。
直接的でないにしても「あなたにはセンスがない」や「あなたの学力はこの程度」などといったことを相手に思わせてしまうことは簡単です。「男性だから」とか「女性だから」といった偏見もよくあります。

また、偏見により「女性には優しくする」という結果として正直なフィードバックを女性は受けづらいという状況が生まれ、成長しづらい環境ができてしまうということもあります。
僕自身、相手の悪いところがあっても正直にそれを指摘できるほど僕は偉くないと思い指摘しないことが多くあります。しかし、「悪いところがあっても気を使って言わないのは、その人を下に見ることであり、侮辱であるばかりか、必然的に失敗へと導くことでもある。自分より下だと思っている人には、はじめからあまり期待をしない。」と著者は書いています。

僕には「下に見ている」「期待していない」というつもりはありませんでしたが、僕の行動は相手から見ればそういうことになるのでしょう。これにはショックでしたが直さねばなりません。
しかし、悪いところを指摘するにしても相手を尊重することだけだけは忘れてはいけないと思うので、その手法については細心の注意を払おうと思います。

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