見出し画像

浜松と休学 aka: 戦場と休戦

休学が始まった。

半年間は環境NGOのリモートインターンをさせてもらうことになったのだけど、リモートだったら実家に戻った方が生活費も浮くし、ということで、先週から実家のある富士市に戻っている。

3年ぶりに地元に戻るのは、なんだか変な感じがしたが、やはり故郷。一週間のうちに随分と慣れた。
原付の乗り方を教えてもらったり、お昼を食べに出かけたり、一緒に気になるお酒を飲んでみたり…。両親との暮らしも割と楽しんでいる。

そんな中、大学通学のために3年間暮らした、浜松での日々を振り返ることが多くある。
私にとって浜松は第二の故郷であり、戦場だった。

大学の所在する浜松で出会う人、モノ、コトは全部刺激的…というか衝撃だった。
勉強も遊びも、私の知りたいを知っている人、やりたいと思うコト、欲しいと思うモノが全部あって、私の持ち前の好奇心をめちゃくちゃにくすぐった。

浜松人には「やらまいか精神」があるというけど、本当にそうだなと思う。
みんな何か「仕掛けてやろう」みたいな遊び心と、それをやってしまうと熱量と馬力がある。
だから学生の「やりたい」に対しても「いいじゃん」と言ってくれる人たちが沢山いた。私はその「やらまいか」の蜜を沢山吸わせてもらいながら、「やりたい」をやりまくった。

サステナビリティに強い関心があったので、社会問題についてみんなで話し合うコミュニティを大学1年のときに先輩と設立して、いろんなイベントを企画した。2年のときには大学の屋上に畑を作ったり、学内限定のオンラインフリマを作ったりした。
大学で勉強していくうちにメディアにも興味が出て、授業から派生した、地元新聞社と大学生で次世代の新聞をつくるプロジェクトにも参加した。

積極的に動く私をやらまいかピーポーたちは褒めてくれた。
「おもしろいことやってるね」「応援してるよ」とかいろんな人が言ってくれるのは純粋に嬉しかった。
が、それと同時に「やばい、この人たちの期待に応えなきゃ」と感じるようになった。

私はやりたいことをやっていたつもりだったし、実際そうだった。
でも、期待や応援が大きくなればなるほど、「私のやりたいこと」はいつの間にか「誰かが私にやってほしいこと」に変わっていった。

「次なにやるの?」「こんなこと大学生やったら面白いんじゃないの?」
「これやってみたら?」「次の仕掛けも楽しみにしてるよ」

やりたいが、やらなきゃに替わっていくのが辛かった。甘かった蜜の味がどんどん苦くなるみたいな、そんな感覚がした。

3年生の春、学部の成績優秀者に認定される奨学金をいただいたときに、奨学金の使い道を聞かれて、頭が真っ白になった。
「このお金を使って私がしたいことってなんだ?」と。
咄嗟に答えることができなかった。
結局3秒くらい間を置いたあと、「周りを面白くすることに使いたいと思います」とかなんとか言った。満足そうに大人たちは微笑んでくれたけど、それが胸糞悪かったのを今でも覚えている。
本当は脱毛に使ってやりたかった。

そんなこんなで夏とともに就活到来。
企業に売り込む「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」を考えるべく、自分の大学3年間を振り返った。

「ガクチカ、全部やん。」となった。

私は全部に力を入れていた。勉強もプロジェクトも、アルバイトも、全部全部頑張った。全部頑張って、期待に応えようとした。そして実際応えていたと思う。
そしてそれを今度は企業が求める学生像にハマるように、美しく書き出さなくてはいけないらしい。

「いい加減にしろおおおおおおおおお!!!」

と心の中で叫んだ。私の「やりたいこと」は一体いつまで他人本位でなくちゃいけないのか。
一体いつまで、誰かの顔を気にして、あたかも「誰かが私にやって欲しいこと」を「私がやりたいこと」のように見せて、笑顔で頑張りつづけなきゃいのか。

「休学しよう」
そのときに思った。

浜松が与えてくれたいろんな出会いやチャンス、経験には感謝してもしきれない。
本当に大好きな場所だ。
でも一旦離れて、私が本当にやりたかったことをやりまくる時間を持たなくては。
そんくらい耐えろよとか言われるかもしれない。
でも、こんだけ一生懸命やってきたんだから、そのくらいの権利はあるだろ。

その後もいくつかきっかけがあって、意思を固めた。
休学したい旨を両親に話すと、「まじ?」とショックを受けていた。
しかし、私のお父さんとお母さんは昔から「私がやりたいこと」についてはとても甘い。
結局私の意思を汲んで、いつも通り、応援するよと言ってくれた。(本当に有り難い)

主導していたいくつかのプロジェクトも、全て区切りをつけることにした。
最初のスタートは自分の「やりたい」だったし、一緒に動いてくれた人たちもいたから、申し訳なさや名残惜しさを感じることもあった。
でもこのまま進んだら自分がぶっ壊れる、と思ったのでやめることにした。

この休学は私による、私のためだけの一年間だ。

環境問題やパーマカルチャー、カウンターカルチャーを純粋に学びたい。
それらにまつわるプロジェクトだったり、コミュニティにはずっと関わってきたけど、誰かが誘ってくれているから、参加を期待してくれているから、という理由で足を入れていた部分もある。
それで勉強になったことも、自分の糧になったことも沢山ある。
でも、そうじゃなくて。私のために、私がやりたいように知識を広げていきたい。

海外にもまたチャレンジしたい。
一年弱の間だったとはいえ、今の私をつくってくれたのは、間違いなく高校2年のときの留学だった。
16歳のときに受けた衝撃や経験を21歳の私はどのように感じるのだろうか。今だから海外で見たいことも、会いたい人も沢山いる。
原点 of 原点の刺激をもう一回自分にぶち込みたい。

「やりたいこと」にちゃんと帰ってくる、私が私に帰ってくる、
「原点回帰」の一年にする。

その手始めとして、まずやってみたのが、冒頭で触れた環境NGOでのインターン。
高校の時からNGOやソーシャルグッドな団体で働いてみたい、という漠然とした思いがあった。
今までは学校やプロジェクトが忙しくて、コミットはおろか、応募することもできなかったけど、今なら、と思って挑戦。運よく採用してもらえた。
慣れないこともあるし、悔しい思いをすることもあるけど、環境問題の現場に直接携われること、毎日沢山のインプットがあることはとても幸せなことだし、何より楽しい。

戦場から退いた今の私は「休戦状態」だと思う。
でも鎧を下ろしたおかげで、すごく軽くなった。
穏やかだけど、これから何ができるのだろうか、という自分の将来に対するワクワク感が常にある。

一年後、浜松に戻ってきたとき、私はどんな新しい戦い方をするんだろうか。
いや、戦うことすらしないのかもしれない。
だって戦場である前に第二の故郷だ。
今度は「休養地」になりうるかもしれない。

まあどっちでもいい。
今は休戦にあやかって、「私」に戻ろう。
こんなに楽しみな一年はない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?