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「根拠のない自信」の正体って何なんだろう

どうもYumaです。いつも読んでくれてありがとうございます。

今日はすごく抽象的で曖昧なテーマ。

でもなんだか最近いろいろと考えを巡らせているトピックなので、思い切ってnoteに綴ってみることにします。

僕たちの周りには「自信家」も「劣等家」もいる

僕たちの身の回りには、

なぜかいつも根拠のない自信を持っている人「自信家」
なぜかいつも劣等感を感じて自信がない人「劣等家」

の2種類がいます。

ここぞという時、あるいは日常的なシーンでも、その2種のパターンで考え方だったり行動はかなり変わってきます。

あなたはどちらか

あなたは、あえて自分を「自信家」「劣等家」に分類するとしたらどちらですか?


僕個人は「自信家」です。確実に。

難しい問題・課題が目の前に立ちはだかっても、「誰かがクリアしているなら自分だけが出来ない訳はない」と考えて、ぐいぐい立ち向かっていく性格です。

とはいえ失敗が怖かったりするザコメンタルなので何かとストレスを抱えがちなんですがね。(どうでもいい)

どこで変わるんだろう

少なくとも「根拠のない自信がある・ない」は、行動の選択に大きな影響を与えることは間違いない。

その良し悪しはどうでもいいんだけれど、行動の選択が変わるんだからその人の生き方がだいぶ変わってくると思うんです。

するとどうしても、「そもそもなんで」が気になってしまいます。理系の悪い癖ですかね。

『周りの大人から褒められて育ってきたか』が根拠のない自信を生む

幼少期から「親をはじめとする大人たちに認められてきた」ことが根拠のない自信を生み出しているのではないか、という仮説を考えてみました。

(仮説とか言ってますけど、ほぼこれなんじゃないか?と内心では思っています。)

子供のころから『大人』という絶対的な存在に認められてきた人は大人になってからも、得体の知れない自信を得ることが出来るんじゃないか、と考えたわけです。


先ほども言った通り、どちらが良いとかそういうことを考えたい訳ではないのですが、

友人として、仕事仲間として、「なんでそんな風に考えられるの?」「なんでそんなに自信ないの?」みたいに、ストレスとまではいかないけどそれなりの違和感を感じることが僕には度々あった。

そんな時に、「こういう性格の人なんだなぁ」で終わるんじゃなくて、
なんとなぁくその人の生活環境だったり、人間関係みたいなものが見えるような見えないような、

そうやってより深くその人の価値観を理解しようと試みることで違和感をストレスと感じずに接することが出来るようになった気がします。


おわりに

なんでこんなことを考えているんでしょうかね笑

もちろんコロナ禍で自分の時間が増えたこともありますが、

教育論みたいなものにももともと興味があって、
いつかは自分も子供を教育する親になるのかなぁ…
なんて色々なことに思考を巡らせるのが最近のマイブームなんです。

皆さんのご意見もぜひ聞いてみたいです。

それじゃあまた!

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