俺はただダンスでかっこいいことがしたいだけなんだ

初ノートにしてはとっつきにくそうなタイトルにしてしまった。
僕がずっと課題として考えている”ダンスをもっとかっこよく見せたい”
先日大物コレオグラファーと大物映像監督との対談をきっかけに感じたことを綴る。

良質でハイコンテクストな対談が繰り広げられ、深く頷く内容や、ハッとさせられる言葉が多かった。
ただ一つだけ自分の中で腑に落ちきらないことがあった。
「ダンサーが主役の時代は来ると思いますか?どうしたらダンサーを主役に抜擢したいと思いますか?」
インタビュアーの質問に対して、僕の頭にある回答はお二人から出てこなかった。
出てくるのは、ダンサーとしてというよりその人自身を見ているとかもう主役級の人材はいるっちゃいるとかだった。判然としない回答だった。

僕はこの王道なダンサーの悩みに限らず、全てのダンサーの不満を解決するかもしれない唯一の方法を見出している。

作品を作ること

これに尽きる。ただただこれに尽きる。
僕らが他の芸術家たちに比べて足りないもの、それは作品だ。
作品によって様々なディレクター、プロデューサー、編集者などのものづくりをしている人たちの目に留まる。自分のスタンスを示す作品があって初めてその人と一緒に創作活動や仕事がしたいと言ってもらえる。

ダンサーはダンサーのために作る作品っぽいものがたくさんある。ナンバーやそれを安易にビデオ化したものだ。確かにそれも立派な作品かもしれないが、紙一重でこうも言える、”ダンススキル推しの長編のルーティーン”
ダンスはあらゆるエンターテインメントの中ではパーツ、構成要素のうちの一つなんだ。だから舞台の中で、映像の中で効果を発揮できればそれで良いモノとして存在している気がする。バックダンサーは最たる例だ。
ダンサーしか、ダンスをダンスとして見ない。

それじゃあいつまで経ってもダンスの価値を上げるなんてできやしない。
そもそもダンスの価値をあげようなんて思ってる偉い人なんて一人もいない。だからこそいろんな人にダンスを見てもらうために、魅力的な作品が必要なんだ。

そのためにはダンサー自身が一生懸命になって発信しなければならない。
が残念ながら、ダンサーはダンサーにしか発信できる術を知らない、もしくは一般の人にダンスをエンタメの構成要素の一つとしてしかダンスを発信できない(わかりやすすぎるTIKTOK系の振り付けや、バックダンサーなど)。

やっと僕はダンスをダンスとして、ダンサーをダンサーとして魅力的に見せれるだけのアイデア・技術・ノウハウが身に付いてきた。あとはやるだけだ。
いろんな人を巻き込んで、ダンサーのために、ダンサーが本当にかっこいいと言ってもらえるように、ダンスに価値を感じてもらえるように動き出す。

映像と身体と現代ストリートダンス

僕はMVに魅了されて映像作家をしている(まだまだ未熟だが)。
その活動の中で見えてきた、自分だけのビジョンが身体表現と音楽とストリートダンスだ。
大物監督やコレオグラファーでさえ見出せてない問題を見つけて、それを解決しようとしているのだから、今は共感がたくさん得れるとは思えない。
でも、俺しか気づいていないからこそ俺しかやれないしできない。
身体表現・ダンスなら武田悠弓馬監督と言ってもらえるようにまずはならなければいけない。
むしろそれらを使いたいから僕にオファーが来るようにしたい。
映像とダンスでまだ誰も見たことがないくらい素晴らしい作品を作れると信じているし、ダンスとダンサーの価値を世の中に示していきたい。
これが僕の見出している答えだ。
ダンスでかっこいいことがしたい。

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