礼節3歳から空手を始め、最初に叩き込まれたのは礼節。 ”自分に感謝・親に感謝・社会に感謝” 16歳くらいから空手から離れて、少しずつこの意識も薄れていた気がする。 11月7日に母が亡くなり、改めてこの言葉に立ちかえった。というより自然とこの言葉たちが湧き出てきた。 母さん本当に心からありがとう。 僕がお世話になっている環境・仲間達には頭が上がりません。 特にこの期間僕に会って支えてくださった皆さまには本当にマジで超助けてもらいました。ありがとう。 これから母の話が長くなるので
今回のMVは自分にとって深い思い入れのあるアーティストとのMVだった。 NAGAN SERVERさんのMVを去年撮影した時に、カメオ出演で高岩遼を呼ぶってなった時かなりテンションが上がった。普段から曲を聴いていたし、ステージで彼の楽曲を何度も使って踊っていた。(なんならダンスコンテストにも出ていた) その出会いから一年かけ、少しずつ距離が近くなっていき、遼さんがオーナーを務めるミュージックバー "brother"に遊びにいった時、「リョウジくん(SERVERさん)と曲やるから
可能な限りディレクション終えるごとに内省しようと思い立ちまして、書きまち キッカケはずっと堀田さんのアシスタントで入っていたredbullの螺旋にfarmhouseさんが出演していて、俺はずっとファンだったから(好きな曲はbaby)本番後の片付けも早く終わらせて楽屋に挨拶に行った。(オリジナルグッズの湯呑みももらって、いまも愛用中) 「俺こーいうシニカルファニーな感じで撮るのが好きで、機会があったらぜひ撮らせてください」 本当あいさつくらいの気持ちでいって、話せただけでも嬉
幼き頃の隣人"おじさん"。 仕事の合間を縫ってよく遊んでくれて、気概と遊び心があった気さくな"おじさん"。ほんの2年、3歳〜5歳とかの間だったけれどすごく強烈に記憶に残っている。 無意識というか、当時はそんなこと思っていないのかもしれないけれど、俺にとってすごく支えになった存在なんだと思う。 小3になって新しい親父が来て、大切に育ててもらったが、お父さんらしいことをしてもらったのは実は"おじさん"の方だった気もする。 もちろん新親父も遊んでくれたが。 また当時は母親の弟の叔父
先日某バンドのMVの撮影にて、制作兼ダンサーとして参加した。 結論から言うと、映像監督という仕事に大いに可能性を感じた日だった。 群舞で50人を超えるダンサーの中には僕が高校の時に憧れた日本最高峰のアニメーションダンサーや、イベントMCとして名高いダンサー、juste deboutというダンサーなら必ず見たことも聞いたこともあるバトル世界大会で日本人代表として出場した最強若手ダンサーもいた。 その日コレオグラファーとして入っていたのは若干20歳のダンサー。過去に監督と何度
初ノートにしてはとっつきにくそうなタイトルにしてしまった。 僕がずっと課題として考えている”ダンスをもっとかっこよく見せたい” 先日大物コレオグラファーと大物映像監督との対談をきっかけに感じたことを綴る。 良質でハイコンテクストな対談が繰り広げられ、深く頷く内容や、ハッとさせられる言葉が多かった。 ただ一つだけ自分の中で腑に落ちきらないことがあった。 「ダンサーが主役の時代は来ると思いますか?どうしたらダンサーを主役に抜擢したいと思いますか?」 インタビュアーの質問に対して