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フルーツフレーバーティーを贈ります③

【金柑の花ことば】 「感謝」。キンカンが民間薬として古くから親しまれてきたことに由来する。

*
カエルは電話が苦手である。
メールも苦手だ。
反応がわからない人になんと言葉をかけていいか分からない。
面と向かってならスラスラ言葉が出てくる。
特に貸庭のメンバーには気兼ねしない。
と、最近までは、思っていた。

しかし、年始の誘いがどうしてもできない。
今年から貸庭のスタッフになったみどりや湧水はおろか、立ち上げメンバーの遥にすら声をかけることができないのだ。
遥を差し置いて他のメンバーに声をかけることは憚られた。
カエルが一番気の置けない間柄だと考えているように、遥もカエルをそのように考えてくれているのは分かっている。
だから、大晦日から三が日にかけて果実町の川辺にある富居家が経営する旅館でバイトすることも何の気なしに話してくれたのだろう。
しかし、その時にはカエルは年越しにはおせちを作って誰かにふるまいたいと考えていたから、旅館のおせちを注文したと聞いたのは何となくショックだった。おせちを作れば、当たり前に遥が食べてくれると思っていたのだ。料理好きのカエルが張り切っておせちを作ることなど遥には察してほしかった。去年は祖父の野人と二人きりで正月を過ごした。
それも悪くなかったが、張り切って作ったおせちを二人でつつくのは少し味気なかった。
実家が経営する旅館で働いている富居香ふごうかおりは遥が管理している『峠道の貸庭』のメンバーで飲料メーカー『山鳥』の会長の孫である。遥からチラシをもらうと、カエルも付き合いで注文せざるを得なかった。
お重は諦めればいいが、貸庭の休みは長いので、3日を過ぎてからでも作った料理のおすそ分けをしたい。
正月貸庭で山暮らしをするメンバーには特にだ。
遥は猫たちの世話があるので、旅館の手伝いの4日間も山の家に戻って寝泊りするつもりだった。
「いや、暗い道の運転はハルさんの技術じゃ危ないよ。俺が送り迎えしてもいいし、香さんのいう通り、旅館の寮で寝泊りするか。山の下の実家から通った方がいいよ」
カエルが強い口調ですすめると、遥は「じゃあ、実家から通おうかな。初日で疲れたら寮を借りればよいし」とあっさりと頷いた。

そして、大晦日からカエルは山のログハウスの一棟を借りて祖父と猫たちと過ごしている。猫たちにはみな平等に接してやらないといけないとわかっているが、灰縞の大きなボス猫に他の猫が委縮するのを理由にそのボス猫と子猫3匹をログハウスに連れてきた。子猫と言っても生後半年近く、とての俊敏だ。足の周りにまとわりつくので、踏みつけそうで台所には入れられなかったが、大きな灰縞の猫は石油ストーブから一番近い椅子におとなしく座っているのでそのままにした。どのみち部屋から出しても、灰縞猫は器用に扉を開けて入ってくるのだ。
祖父の野人は、カエルが料理をする間、庭の手入れと新しくこの山に作る温室のデザインを考えるのに忙しかった。
カエルが寒暖差の大きいこの山間地では育てにくいハーブも多いと言ってから、レストラン併設の温室以外にもより暖かくてもう少し小規模な温室を作ることを野人はさっそく考え始めた。
カエルがやりたいことには何でも協力してくれる優しい祖父だ。
しかし、この山に何か作るとなるといくら富居家が親切になんでも作っていいと言ってくれているとはいえ、富居家のお金が動くことになる。山鳥の方針としては、遥にその気があれば貸庭事業は子会社かして遥が経営してもいいという話なのだが、今のところ遥にその気は一切ないようだ。もったいないことだとカエルは思う。遥は極端に失敗することを恐れている。それは遥がもともとおっちょこちょいだからか、堅実な性格だからということではなく、そうやって他人に対する責任を背負い込むことを極端に恐れているからではないかと思う。
実際、カエルも自分が社長をやれと言われたら遥に譲る。遥の方が相応しいというのももちろんだが、カエルだってやっぱり責任を背負いたくないのだ。
この貸庭には慎重なメンバーばかりがそろっている。機動力になっているのは、80歳を超えた高齢の野人だ。

「じいちゃん、ごはんできたから、もう戻っておいでよ」
窓から顔を出してカエルが声をかけると、野人がそばの人影と一緒に立ち上がった。夕暮れというには薄曇りの天気がどんよりとして薄暗く、夕方4時にしては冷気が鋭かった。
「おお。ちょうど、よかったね。ハルさんも、食べて行きなっせ。ハルさんの好きそうなもんば作ってね。カエルが帰りば待ちわびとったとよ」
「ちょっと、じいちゃん!ハルさんは旅館の手伝いをしてきて疲れているんだから」
カエルは野人の微妙な物言いに慌てて、つい玄関から出て二人に駆け寄った。二人が友人であることは野人もよくわかっていることだ。人情の機微は二人よりよくわかっている野人なので他意はないのだろう。それでも、30歳を超えていい年した独身の二人。待っていたと正直に言われると、他人が聞いたら誤解されそうなのは恥ずかしい。むろん、山にはほかに人は少ないけれど。
「ええと。疲れてるから、料理する気もわかなくて。賄いも午後は働かないから断ってきたの。だから、ちょっと食べさせてもらうとありがたいけどね。食べるだけ担当だけど」
遥が申し訳なさそうに言えば、野人は二人を促してさっさと玄関口まで歩いて行った。するとそそくさと遥もそのあとをついて行ったので、カエルは恥ずかしがる暇もなく、食べてくれる人が増えてほっとしていた。

「食べてくれるだけで、十分よ。和食だけで良かとに、カエルくんの張り切っていろいろ作りなさっけん、食べきれずに困ってとるのよ。わしも食の細くなったけんね。明日はみどりさんやハチくんやユウさんも誘わなね。そろそろおせちも食べ終わった頃やろ」
カエルは元旦からずっとお重の補充を続けていた。だから、おせちは今日全部作ったみたいにピカピカに揃っている。毎日違う料理を出しているが、お重に入っているとどうも野人には同じような料理が続いているように感じるらしい。今日は吸い物が欲しいというので、鯛の身を小さく一切れだけ入れて出した。雑煮は高齢の野人には危ないので、餅料理は絶対作らないとカエルは決めている。目の前でカエルだけ食べたら、野人も絶対欲しがるからだ。

「どうですかね。ここに誘うとみんな庭作業したくなっちゃいますからね。誘わなくても、来たければ来るでしょうから、その時にご飯に誘ってもよいかもしれませんね」
冬季休暇を長くした手前、遥は貸庭のメンバーと正月中になるべく山に呼びたくないようだった。しかし、そんな遥の気持ちを知らぬ気に野人は積極的だった。
「そがん、遠慮せんでも気軽に聞いてみたら、よかよ。ほら、グループLINEしたけんね。既読ついたよ、みんなに。カエルくんのごはんば、食べにきなっせ~」
野人は建築士という職業柄か、パソコンやスマホの扱いに長けていた。一日スマホに触らないこともあるくらいなのに、新しいアプリなどについては遥やカエルよりよほど詳しい。
「うん、よし。明日はランチ会になったばい。よかったね。カエルくんの正月料理の全部はけてしまうよ」
「よかったのは、じいちゃんでしょ。まあ、明日はお重で料理は出さないから、安心して」
野人には敵わない。カエルは独身で実家暮らしや一人暮らしの時はいかに料理好きでもおせちを作る機会がなかった。それが去年から機会に恵まれて、どうしても張り切ってしまうのだ。
「カエルくん。このタコの料理は酢だこ?金柑と和えたのかな?」
「うん。こっちでは酢だこをおせちに使うんでしょ。スーパーで見て値段の高さにびっくりしたよ。小さいやつも売ってなくてね。じいちゃんが固いから食わんとかいうから、消費に困っているところ」
カエルは嘆息した。数年前に九州の果実町に移住してきたカエルは、こちらの郷土料理には興味があるが、初めて酢だこばかりは口に合わないと実感した。皮がぬるぬるする上、酢で身が固くなっている。そのまま食べるんだと野人は言うが、もっとうまい食べ方があるんじゃないかと試行錯誤して、結果そのままで小さく切るのが一番おいしいんじゃないかという結論に落ち着いた。それでも、食べきるには量が多かったので、申し訳ばかりタコをさらに小さく刻んで蜂蜜漬けの金柑と和えてみたのである。
「ふーん。なんだか不思議な組み合わせだね。酢だこは確かに固いからね。私も薄く切るのに苦労するよ。皮がぬるぬるするから」
「そうそう。なんで酢だこなんだろう。やっぱり山だから、昔は海産物の日持ちをよくするためにしたんだろうか」
「そうらしいよ。クジラの塩漬けとか酢ダコとかが昔はこっちではよく食べられていたみたい。でも、もうその時代から半世紀以上も経てば、おせちの内容も変わっていいのかもね」
「そういえば、この辺ってこれといって雑煮にこだわりはないみたいだね。これを入れるとかあれを入れるとか。やっぱり海産物を運んでくるのが大変だったからかなあ。そうすると、お餅と野菜と練り物くらいがこっちの雑煮の味か」
「そうかもね。そばは割と食べられるから、そばにはこだわりとかあるのかもしれないけど」
「そばか。たまにはよかね。カエルくん。明日はわしがそばを打とうか。明日じゃなくても良かけどね。うん、店に食べに行ってもよかよ。カエルくんな、こっちのそば食べたことなかじゃなかと」
二人が話していると野人が割り込んできて、急にいそいそとカバンを漁って手帳を取り出した。手帳に住所録がびっしり達筆な字で書かれているのをみると、知っている蕎麦屋の名前と住所や電話番号を探したかったようだ。
住所をデジタルで管理しないあたり、野人も変なところでアナログだ。
ただあいにくと、野人のおすすめの店は4日まで正月休みだった。
「残念だなあ。そういえば、こっちに来てからずいぶんと俺も外食してないよ。こっちの味を知るには、確かにお店に行ってみるのもいいと思ったのに」
「まあ、またの機会にすればいいじゃん。お師匠さんが庭仕事以外をするのを見るのは新鮮で楽しみだな」
遥は野人から庭作業のノウハウを学んでいるので、野人のことを以前からお師匠さんと呼んでいる。いろいろなことに詳しい野人がそば打ちまでできると聞いてますます尊敬の念が深まったようだ。
「そうだ、しめ縄飾りもありがとうございます。山の家に飾ってくれて。事務所にも私のうちにも。そういうこと、全然気が付いてませんでした」
「なんの、今年は気が向いたけんね」
野人が満更でもなさそうに茶をすすった。そういえば、ただの緑茶を飲むのも久しぶりだなとカエルは気づいた。実家ではわざわざ買って飲むくらい、家族みな緑茶好きだった。しかし、田舎のこちらに来て緑茶を飲む機会はかえって減って、今飲んでいるのもいただきものだった。
田舎暮らしに特に具体的な理想があったわけではないが、遥みたいな思ってもない友人ができたり、庭仕事や料理の仕事をすることになるなんて想像もできなかった。今はまだすべてを楽しむ余裕はないが、恵まれているとしみじみと思う。去年は何となく祖父と二人、長いだけの正月休みだったが、今年は二人でしめ縄を作ったり、おせちづくりも張り切って、さらに遥のようなお客さんが来て3人で卓を囲むと何となく充実感がある。さらに明日はそば打ちも習えるという。何人集まるか分からないが、3人でも十分に楽しいだろう。
「そうかあ。来年は、私もしめ縄飾りつくりを習いたいな。貸庭のログハウスにいっぱい飾って。新しい温室の設計も考えているんですよね。楽しみだなあ」
「温室でどぎゃんことしたかか希望があったら、言ってな。なるべくハルさんたちのしたかことば実現するつもりやっけんね」
遥がほめると野人はますます調子に乗る。どちらかと言えば人見知りで、お世辞も出ない遥だが、その分素直な賛辞が野人はうれしいようだ。初めて会った時には野人が特に取柄のない遥のどこを買っているのかカエルには分からなかった。しかし、遥が自分たちと波長が合う人物なのだということを数か月の間に十分実感した。
「じいちゃん。そんな張り切らなくても、ゆっくりやっていいよ。俺も今いろんなこと学んでいる最中で手が回らないから」
「なんの。若い人はそぎゃんのんきで良かろうけど、それに合わせてのんびりしとったら、じいちゃんはくたばってしまうよ。時間は有限たい。いまをゆっくり。明日はしっかり。これが大事。カエルくんたちのしたいことに仲間に入れてもらうとが楽しいんだから。仲間外れにしちゃいかんよ。そして、常にじいちゃんの仲間になりんさい!」
野人が唾を飛ばして楽し気に笑うと同時にタイミングよく点けていたテレビでどっと笑いが起こった。と言っても、正月番組など数分おきに爆笑が起こるようなおめでたいものばかりだから、笑いのタイミングが現実とかぶっても何の不思議もない。しかし、テレビと同じタイミングで笑ったことがおかしくて三人ともさらに笑ってしまった。

あいにくと翌日は小雪の舞う寒さだった。しかし、午前中に山の道が凍らなかったので、貸庭のメンバーがなんと全員勢ぞろいした。赤石みどりは車いすの母を連れてきて、母からあーしろこーしろと指導を受けてそば打ちしなければならず親子喧嘩手前の睦まじさで賑やかだった。

「餅つきじゃないけど。正月らしくていいですね。実家から帰るタイミングをはかっていたんですよ。どうせ手伝いするなら、こっちの方がいいんで」
新人の林田九州道(くすみち)、愛称ハチくんが「蕎麦屋になりたい」というくらいにそば打ち体験を楽しんでいて、それが一層場を和ませた。

果実町に来て、カエルはずっと自分が料理するばかりだった。祖父の手料理を食べたことは何度かあったが、風邪気味の時の薬湯とかくらいで祖父に台所に立ってもらうことがなかった。
しかし、改めて富居家の屋敷の広い台所で祖父が張り切ってみんなにそば打ちを教えている姿をみるとたまには祖父に台所に立ってもらうのもいいなと思った。野人は他に漬物も作れる。特に梅干しが好きらしい。
野人が漬けた梅干しはまだ今年の分は十分ある。
けれども、夏になったら、梅をちぎって祖父に梅干しの漬け方を教えてもらおうとカエルは決意した。
野人のいう通り、祖父と過ごせる時間は有限だから。
残った梅干しは日持ちがするので、祖父が亡くなってからでも食べられる。


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