本当に怖くない猫の話 part.16 前編
このご時世でも、猫と人間の結婚相談所『ハッピープラス』の経営は順調である。
客の来ないという日はなかった。
「2人は喧嘩したの?」
相談所の所長から尋ねられて、何でも屋は首を傾げた。所長はやれやれと言う風に「まあ、私が口を出すことでもないでしょうけど」と一言だけで話を止めてしまった。そうされると、最近の依頼人とのやり取りを何だか話したかったような気がするから不思議だ。
何でも屋は、本心から分からなかったのだ。依頼人から、面と向かって「もう口を利きません」と言われたわけでもない。しかし、現状、ここ2日ばかりはそうなってしまっている。
明日は彼女の猫を預かるもとい彼女の家で猫と一緒に留守番しなければならない日であるから、こちらから折れなければならないのはわかっていた。そうでないと、今夜ご相伴にあずかり損ねてしまう。
話しかけるタイミングを朝から伺っているのだが、今日に限って終業時間になっても相談者の話が終わらないようだった。所長も家庭があるから、焦れているように見えた。
何でも屋が三杯目の紅茶を出しに行くと、依頼人・・・かつて何でも屋に猫の見合いを依頼してきて、現在も継続中の人は、いかにも機嫌の良さそうな笑顔で振り返った。
「そろそろ終業時間ですね。申し訳ありません」
顔はにこやかだったが、慌てた様子で立ち上がると、何でも屋の隣に立った。いかにも帰れと言わんばかりだが、持ってきた紅茶を引っ込めるわけにもいかないので、透明ガラスの机の上になるべく音がしないように二つのカップを置いた。
客はよっぽど咽喉が渇いていたらしく、3杯目の紅茶を火傷に気を付けながら飲み干すと、名残おしそうに看板猫のセミ猫とネコクロを撫でて帰っていった。
「ー関ですよ。知ってますか。私、偶にテレビで見るんで名前は知っていたんですけど、今は衆議院議員らしいですよ。ちょっと話が長いのはそのせいなんでしょうか。とにかく助かりました。そろそろ切り上げてもらわないと我慢の限界がきていたんです」
何だかせいせいしたように言って何でも屋を見た依頼人の顔には、ここ数日の遺恨はなくなっていた。
とはいえ、まったく気にしていないかといえばそうでもなかった。相談所では”何でも屋”としてペットの預りの相談を受けないと、依頼人に約束させられた。結婚相談所として預かって、終業後、家に連れ帰れば良いと言うのだ。それなら、依頼人も手伝える。
しかし、相談所の職員として引き受けようと、副業(本人は本業のつもりである)として引き受けようと、何でも屋自身が依頼を受けて、ついでにこうやって依頼人に手伝ってもらうことには変わりはない。内実は変わらないのに、それがけじめだという依頼人の主張には、分かったような分からないような気がしながら、反論しても結局は夕飯をご馳走になる機会が減るだけなので、鍋で満たされた腹をコーヒーで収めながら、とりあえず何でも屋は依頼人の説教ともつかぬ話を黙って聞いていた。
まず、何でも屋にペット関連の仕事を依頼してくる人物はほとんどが最初の依頼人の知り合いだ。失業して再就職のあてもなく、会社員に戻る自信もなくた何でも屋をネットで名乗ってみたところ、またま依頼人の目にとまって事実上の”何でも屋”になることができた。外出しづらい社会情勢にあって、買い物代行とか、ペットの世話とか仕事がだんだんと増えて減ることがなくなった。それだけで生活ができそうで、猫と人間の結婚相談所『ハッピープラス』で相談員の職員として働くよりずっと気楽で自分に向いていると思っているが、「自分の猫と相性の良い猫を探してほしい」という最初の依頼人の依頼も達成できていない状況で、今までの恩も忘れて何でも屋で一本立ちします!とは言い出せない。
それ以前に、最初の依頼のきっかけであるセミ猫は今は何でも屋のが一時預かりをしていて、依頼人の家に来るたびだんだんと依頼人の膝を占領する時間が長くなっていた。
話しながら足が痺れると依頼人が膝から降ろしても、目を閉じたまま膝にすがりついて頭を預けている。
依頼人の下に戻してやりたいが、病気持ちの老猫がいるからと頑なに聞き入れないのだ。こればかりは、根気強く説得していくしかない。どのみち、2日に1回はこの家に猫たちと一緒に入り浸っていた。
「今日のお客さんは、本当に話が長くて困りました。最初は、テレビで見る人だと思って話を聞いてたんですけどね。引退する前からいろいろあったみたいで、ちょっと夢が壊れてしまいました」
愚痴のような依頼人の長い話を膝で眠る猫は子守歌のように聞いている。
ー関。何関か相談所では聞き取れなかったが、今日の客が元相撲取りであることは彼の釣り書きを事前に見て何でも屋も知っていた。
相撲取りからなぜ今衆議院議員になったのか、興味の惹かれる話ではあった。
彼は中学卒業後に相撲部屋に入った。特別貧しいということはなかったのだが、贅沢をしない家庭で九州の外に出たことがなかった。中3の時に知り合いのお兄さんが相撲部屋に入ったと聞いて帰省した時に遊びに行ったら、親方の目に留まったのだ。身体は大きい方で柔道部に入っていたので、上手くすればそのお兄さんのように東京のディズニーランドに連れていってもらえるかもしれないという下心があったのは否めない。実際、一緒に遊びに行った柔道部の友達はそういう算段だったが、ディズニーランドにはついて行ったものの相撲部屋には入らなかなった。家族が大反対したらしい。
彼の方は、親が完全な放任主義でダメともいいとも言わなかったが、自分の気持ちが決まらないうちにどんどん話が進んでいって、いつの間にか決まっていた。親は続かないだろうと思っていたようだが、共同生活に向いた性格だったようで、3年を無事に過ごした。ただ、進学した都会の高校にはなじめず、デブと言われていじめられた。学校では勉強以外することがなく、部屋に帰っても勉強時間があったので、何となく大学進学する流れになって、大学生活の間には一人暮らしも経験した。親が国立に合格したら、一人暮らしをして良いと約束してくれたのが励みになったのかもしれない。親方も部屋から国立大学の合格者が出たのははじめてだと喜んでくれたのだが、結局は親と親方の説得にあって、大学は都内の相撲部のある私立大学に進学することになった。最高学府に合格するほどの頭はなかったので、合格したのは地元の九州の国立大学だったのだ。化学が好きで理系だったが、理系だと相撲をする暇がなくなるということで、経済学部に進学することになった。その大学の理学部は難しいから経済にしなさいと親方に受験前に言われたのは、元々その大学に行かせるつもりだったのかと何だか騙されたような気分ではあったが、親が資格を取っておけば相撲をやめても食っていけるというので、大学では相撲部の稽古以上に力を入れて簿記の勉強をした。Wスクールで簿記の資格学校に通っているのがバレたときには、親方が一人暮らしのアパートに乗り込んできたが、学生相撲での優勝を条件に認めてもらい、無事優勝をすることができた。
当然のように卒業後に幕下付け出しでデビューした時には、公認会計士を目指すのも良いんじゃないかと言っていた両親は胸中複雑だったようだが、破竹の勢いで出世して幕内デビューの2場所目で金星をとると、帰省しても相撲をやめるような話はむしろ親の方からさせないような態度だった。
しかし、幕内に上がってからというもの、部屋の空気は不穏だった。新しく変わった親方陣と彼の性格が全く合わなかったのだ。それは彼だけでなく、部屋を親方が変わった途端に部屋を一人二人と辞めるものが出て、悪質な可愛がりというものが横行するようになった。その対象は幕内力士になった彼も例外ではなかった。出げいこに行かされて、気を失うまで可愛がりを超えた責めにあい、膝を負傷した。部屋の先輩からは直接そんな目に合うこともなかったが、4年も部屋から離れていたので、何となく集団生活を思い出そうと幕内に上がっても部屋に残っていたので、部屋のよくない状況はつぶさに知っていた。仲間をかばうべきか否か、いじめられている対象が自分より年上ということもあって、なかなか口に出せなかった。その鬱憤を晴らすように朝から晩まで稽古に打ち込んだ。その習慣がよいエネルギーになっていると先代の親方に褒められたので、迷いながらも何となく部屋にい続けた。部屋にいれば、悪いこともあれば良いこともあるだろう。親や親方にそう言われると、そうだろうという気がした。
新しい親方になってから、部屋には1匹の猫が来た。最初は親方の家で飼っていたらしいが、まあ、女将さんはあまり世話好きと言えない人で顔を見ることも少なかったから、猫の世話も部屋の者にやらせればよいと考えたのだろう。保護施設から引き取ってきたという猫が最初は数匹以上いて、特に誰より早く朝稽古に行くとご飯を催促する猫が彼は好きだったのだが、辞めていった力士たちがなぜか次々と猫を連れて行って、最期は不愛想な白猫の雄一匹になった。
不愛想とは言っても、それはほとんど彼にとっての印象で特に白猫が一緒に寝ている力士には愛想を振りまいていたのだが、なぜか彼が触ろうとすると引っ掻いたり、ご飯をあげようとしても側にいると口をつけなかったりした。そのくせ、彼が起きる前から稽古場で待っていて本当は親方の据わる席で彼の朝稽古を見学して、他の力士たちが続々とやってくると、仲良しの力士にご飯を催促しに去っていくのだった。
いけ好かない猫だったが、その猫が待っていると思うとどうしても朝稽古に早く起きないといけないような義務感に駆られ、そして、部屋を出ればその習慣が崩れることも彼は恐ろしかった。その頃、彼には最短で大関を獲れるかどうかの記録がかかっていた。しかし、その間も部屋ではいろいろな事件が起きて空気はどんどん悪くなっていった。親方夫婦が離婚するという話も聞こえてきた。他の部屋から移ってきた力士の素行が悪かったりもした。その力士たちに猫が、いや、部屋の仲間がいじめられたらと思うと、部屋を出る気になれず、それで一層部屋の一部の力士たちに煙たがられることになった。
本人にそのつもりはなかったが、土俵上の彼の顔はまるで鬼のようで取り口も厳しかったと語る者は多い。彼が最短で大関になることを誰も疑ってはいなかった。
しかし、場所の3日目に、何の気の緩みもなかったはずだが、相手に意表を突かれる攻めに合い、勝ちはしたが大怪我を負った。彼は怪我を隠して相撲を取り続けて、優勝したが、怪我の具合は酷かった。千秋楽の表彰式が終わってすぐ、祝いの席を途中で断って病院に行くと、相撲をするつもりなら手術が必要だと言われ意気消沈した。優勝の喜びも消えるほどの落ち込みだった。再度戻って参加した優勝祝いも記憶にない。それから悶々と日を過ごしていたが、ある朝部屋の台所に気分転換に料理を手伝おうと顔を出すと、一人の先輩力士が数人で羽交い絞めにあっていた。
「何をしよっとですか」
とっさに方言が飛び出すほど仰天して駆け寄ると、その先輩力士は気を失っていた。どうやっても意識が戻らないので、慌てて救急車を呼んでついて行った。後から思えば、その時羽交い絞めにしていた人物を部屋の他の者を呼んで捕まえておくべきだったが、その時は気が動転してして思いつかなかった。病院の待合室で、先輩力士が死なないだろうかとただただ不安いっぱいに待っていた。親方に連絡したがいつまでも来ず、先輩が気が付いたということを伝えられた昼過ぎに親方が病室にやってきた時には怒りで殴ってしまいそうだった。だが、やらなかった。
代わりに、彼は相撲を辞めた。先代の親方にそのことを伝えに行ったら、引き留められなくて拍子抜けした。
「お前を相撲に引っ張り込んだのは悪かったよな」
そう言って親方は、いろいろと胸中を語り尽くした彼の前で静かに泣いた。まだ、還暦ほどの親方が、急に20歳も歳を取ったように見えた。
先輩力士は一命をとりとめたが、死にかかっていたことは確かだった。死因になりかけたのは、溺死である。彼はご飯の煙で溺れかけたのである。そんなに飯が好きなら飯の匂いを存分に嗅がせてやると言って、顔を釜に突っ込まれたらしい。先輩力士湯気で咽喉を火傷して、退院してもしばらくひどい声になった。
彼はその事件の3日後に部屋を出たが、タイミング的には良かった。その後、彼の引退が話題として霞むほど部屋の問題がいろいろと暴露され、それが引き金となって、他の部屋の力士の問題も次々と明るみになって、相撲界は一時スキャンダルの巣窟となった。暴行して溺死させかけた力士は1人しか処分されなくて、その後相撲協会に何度も足を運んだが、後ろからでは誰か分からず、なぜ顔を見なかったのかと悔やんだ。死の縁に立たされた先輩力士は引退はしたが、相撲関連の職を世話された。自分を暴行した力士の名前について絶対口を割らなかった。騒ぐ自分が滑稽に思えて、1人処分された後は嘘のように彼の頭も冷めて熱意を失った。世間の騒動に、彼の両親と先代の親方以外には辞めたことをほとんど惜しまれなかったほどである。
「うまいことやったな」
という人も未だにいる。実際、その後の彼の人生も相撲以上にとんとん拍子であった。
先代親方は本当に彼を相撲に引き込んだことを後悔したらしく、「こいつは頭が良くて根性があるから」と紹介して、議員秘書の仕事を見つけてくれた。テレビで政治ニュースを見ては高校生の頃にああだこうだと言っていた彼の姿を親方はしっかり覚えていたのだ。
その議員とはほとんど馬が合わなかったが、彼の周りは非常に親切だった。ボディガードにいいと、冗談交じりにうちに来ないかといろんな議員から誘われた。習字がうまいということも気に入られたポイントだった。
ただ、彼は太っていることをからかわれることは、本当に嫌だった。彼の体型は相撲取りをしていた彼の誇りである。引退したなら痩せろという周囲の声を最初は無視していたが、1年経って議員会館のジムを借りて肉体改造に取り組むようになった。ダイエットは上手くいって言われなければ彼の姿を見て元相撲取りと思う者はない。事件のせいか、部屋で食べ過ぎたのかほぼ白米を受け付けなくなったのもダイエットに効果的だったが、やつれたと周囲に心配されて、毎朝パンを食べるようになり、すっかりパン食派になった。
そこまで根を詰めてダイエットできた要因には、あの白猫のこともあった。
彼は衝動のまま部屋を出た日に白猫を連れて出た。最初は先代の親方の家で世話になったので、そこで白猫と暮らしたが、すぐに親方にアパートを探してもらって猫と引っ越した。しかし、思いの外議員秘書の仕事が忙しく、白猫をかまってやれず、数か月で親方に預かってもらうことになった。白猫が白血病で弱って世話が大変になったのも原因であった。せっかく懐いてきたところだったから、断腸の思いだったが、命には代えられない。親方は預かるだけだと言ったけれど、その後白猫はあまり回復せず、死んでしまった。それが、1年という期間だった。
そのくらいの期間、我を張って一人暮らしをすると言わずに、親方の家に世話になっていればよかった。馴れない引っ越しが続いたことが猫の負担になったのではないかと彼は深く後悔した。せめて、最期は看取ってやりたかった。白猫はずっと彼の朝稽古を見守ってくれていたのだ。白猫を胸に出いて部屋を出た時、彼は辞めていった先輩力士たちの気持ちが分かったような気がした。相撲が嫌いになったわけじゃない。しかし、猫のような自分にはその環境は厳しすぎて、合わなかった。
後悔を振り切るように、彼はダイエットに励んだ。彼が発起人となって、秘書や議員たちとマラソン部を作った。朝一緒に走るだけだが、これが案外と貴重な情報交換の場になった。
30歳になった時、彼が秘書をしていた野党の政党に風が吹き、彼は参議院議員選挙に当選した。それで一期は勤めると思ったが、また風が吹いて、衆議院議員に鞍替えして当選した。あっという間の出来事であった。
風邪の吹くまま周囲の進めるまま、何が何だか分からぬままに生きてきた。しかし、もう十分である。結婚して引っ越しの必要ない家を建てるのだ。そのための貯金もある。家を建てるまではお預けと思ってずっと猫を飼っていない。しかし、もうそろそろ待ち疲れた。もう今年のうちに結婚して来年までに家を建てて猫を飼うというのが彼の計画である。
「ずいぶんと長い話だったんですね。それじゃ、話したりなくても当然だ」
―彼の伝記でも読んだのかと思うほど、詳細な話であった。初対面で議員が依頼人にそこまで話をした理由は謎だが、ちょうど誰かに話をしたい時期だったのかもしれない。人間にはそういう時機がある。
まあ、何でも屋は他人に語るほど自分に歴史もないけれど。
なんとはなしに点けていたテレビの春の特番が丸々終わって、猫たちが眠たそうにあくびをした。この家に泊まるのに慣れたのは猫だけではない。
ネコクロが何でも屋の膝を降りてちゃっかり依頼人の左側の膝をめがけてジャンプして飛び乗ると、それまで狸寝入りをしていたのか、セミ猫が飛び起きてふうッと体を膨らませて威嚇した。そのまま引っ掻いて噛みつきそうな勢いだったので、ネコクロもすぐに諦めて、何でも屋の膝に戻った。
もう猫も人も寝る時間である。
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