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続・本当に怖くない猫の話「猫と小判」

 昨日はケージから脱走して自由を満喫した子猫2匹たち今日は外に出る気が全くないようだ。やんちゃ盛りの子猫たちをケージの外から見守っているメス猫二匹に子猫と血縁関係なないらしい。その猫たちもケージの方に顔を向けているだけで、だらりと床に寝そべっていた。扉が閉まっていないので、どうしても猫たちの様子が目に入って、話の内容に集中できない。
 あまり愛想がよくないという猫たちは、初対面のなんでも屋にほぼ無反応だった。起き上がりもせずに寝ていたのだ。気持ちはわかる。何でも屋の方だって今日はずっと寝ていたい。にわか雨の予報で、連日の猛暑が柔らぐかと思えば、蒸し暑さだけが増して、降りきらない雨のせいで、心臓がチクチクと痛んで気だるかった。

 早く仕事を終えて帰りたい。そんな日にどうしてこんなことになってしまったのか言われた仕事を真面目にこなそうとしたのが悪かったようだ。
「図々しいお願いだとはわかっているのですが、猫2匹引き取っていただきたいのです。そうすれば、町金にでも金を借りて、会費のほうはすぐにでもお支払いしますから」
 ゴミが散らかった部屋で、無職の男性の声はひどく震えていた。男性自身の身なりはそれほど悪くは無いのに、部屋のほうは生ゴミが腐ったような匂いがする。それでいながら、先ほど男性が見せてくれた猫の部屋は非常に清潔に整えられていた。気持ちが乗らず働けないのはわかったが、それでも仕事が見つかるまで猫を一時預かれば良いだけの話で、何もいきなり手放してしまう事は無い。金だって月末にはまとまった収入が入るらしい。何でも屋は「別に今日払えというわけじゃないです」と説得しようとするのだが、男性、無職と言いつつ、ゲームで少しだけ金を稼いで急場をしのいでいると言う男は、力なく首を振るのだった。
「仕事はすぐに見つかると思ってたんですよ。でも、転職活動することが思った以上に負担で。働いて、人間関係が発生することがどうしても怖いんですよね。それで婚活までしようと思っていたのがおこがましかったんですが」
 彼が結婚相談所に会員の申し込みをした時は、職を失ったばかりの時だったらしい。しかし、彼は前職プログラマーであり、フリーでもできない仕事ではないので、とりあえずは前の職場と職業で登録をしたようだ。見通しが甘かった事は否めないが、その時は多少の蓄えはあった。ただよくよく話を聞いてみると、彼が恐れる人間関係と言うのは、そもそも恋愛に起因するもののようだ。
「猫のことばっかりで気持ち悪い」
 職場で出会って一度だけデートした女性にそんな風に言われたのだ。彼としては彼女が猫好きだと言うので、猫カフェに誘って猫の話ばかりをしたのだが、実際のところ彼女は彼の気を引きたくて、猫好きを装っただけで動物は苦手だったらしい。そんな齟齬がないように、彼は猫好きしか入れない何でも屋が働く「ハッピー+(プラス)」という結婚相談所を訪れたのだ。
 かわいい嘘や些細な見えも、言葉が毒として吐き出されてしまえば、相手の気を引くどころか、お互いの関係に致命的な傷を与えてしまう。実際彼は、彼女がいる会社に出社することが苦痛になってしまった。ちょうど、世の中で、テレワークが流行り始めた頃で在宅での仕事も多くなっていたので、家にいれば彼女と顔を合わせる機会はないと思っていた。
 しかし、彼女が彼とのデートの話を、会社の複数の人間に吹聴したことを知って、彼は、人間不信に陥ってしまった。会社の人間が彼女の振る舞いを教えてくれたことも、メールの言葉通り、本当に心配してのことなのか、面白がっているのか、彼には確信が持てなかった。
 彼は結局婚活もしていない。会員の申し込みをしただけだ。だから、入会費と1ヵ月分の会費を払えばよかったのだが、それからほぼ在宅ワークだけになったり、家で仕事をすることも手につかなくなったりで退社したりと、ほとんど1年以上引きこもりになってしまっていて、相談所からの督促状も見ていなかった。法律の範囲内で延滞金が発生している。
 その分、借金等は他にしなかったようだ。それまでの蓄えとゲームなどの内職で、猫たちを不自由させることもなかった。ただ、外にゴミ出しにも、だんだんと行けなくなってしまったので、ゴミが溜まってしまったのだ。
 これまでうっかり支払いを忘れていただけというし、何が何でも今日取り立てたいというわけではなかった。金を取りに来てくれというので出向いたのに、まさか支払う金がないとは思わなかった。震えている男性の前で、なんでも屋はまるで闇金の取り立て屋にでもなった気分だった。

 これから猫が困ったことになる可能性は確かに男性の言う通りにあるが、現状困っているのは男性の方だ。助けを必要としているのは彼なのだ。猫を引き取ってはい終わりには何でも屋にはできなかった。そもそも猫がいなくなってしまったら、彼はますます廃人になってしまうのではないか。でも、それで何が悪いのか。相談所の金さえ払ってしまえば、彼はゲームの収入で何とか暮らして猫を飢えさせることもない。いわゆる彼は今、ゲーマーではないのか。
「いや、でも、すごいですね。ゲームでお金が稼げるなんて」
 なんでも屋はなれない世辞を言って励ましてみた。
「いえいえ、20代ならともかく30代の僕でいまさらゲーマーも恥ずかしいですし。ゲームや猫の配信で、引きこもっていても稼げるかなという甘い考えもそうそうに打ち砕かれましたよ。チャットでも言葉遣いで、年齢がある程度バレるらしくて、やっぱり若いうちじゃないと何もはじめられないですね」
 なんでも屋と同年齢のゲーマーはそう自嘲した。
「そうなんですか。30代でなんでも屋をはじめて、結婚相談所の職員になりましたよ。猫の保護なんて関わっているのはここ1,2年のことですけどね」
「そうですか。やっぱり、なんでも屋さんだけじゃ、生活は厳しいですよね。結婚相談所で働くのは不本意ですか。独身なんですよね」
ゲーマーならぬゲーム廃人は悲観的だ。失礼な発言だが、否定もできず、なんでも屋は天を仰いだ。
「とりあえず、今日無理やり金を取り立てて、かわいがっていらっしゃる猫を引き取っていくことは私にはできませんよ」
「無理やりってわけじゃ。ゲームの売り上げが今月末に入るので、それで金は補填できますし」
「ゲームの売り上げって、賞金か何かですか?」
結婚相談所の入会金は数千円では足りない。配信の収益は数か月単位でしか入らず、それも家賃に消えていると聞いたばかりだ。なんでも屋はどうせならこんなに暑くて、臭い部屋より快適な猫部屋で話したいなあと思いながら、できるだけ根気強くゲームに強い男性の話に付き合った。
「いえ、ゲームを作って売ったんです。長く動画配信をやっても鳴かず飛ばず、SNSのやりとりもきついし、作ってみようかなって。ずっと売れなかったんですけど、先月プチバズりしまして」
 表情は暗いままだが、口調はずっと滑らかだ。久しぶりに人と話して気分がよくなるということは、もともと人と話すのが好きなタイプなのかもしれない。声もいいし、人付き合いが下手そうには見えない。趣味を隠す程度には他人に気をつかうこともできるようだ。
「すごいじゃないですか。それで相談所に金も払っても生活にも困らないわけでしょ。うらやましい話だ。プログラミングができて、ゲームが得意で作れて、動画配信も少なからず収益になっている。ずっと引きこもっても生活に困らないわけでしょ。それなら、相談所の会費分、一度は婚活に参加されてはどうですか?」
 なんでも屋は知っていた。彼の実家は資産家なのだ。相談所の会員申し込みの際に任意記入された家族構成で、親は一流企業の役員を務めていると書かれていた。金を取り立てるのだから、実家に連絡することもありなのだ。ただ、やはりそれも本人に直接コンタクトを取ってからやりたいと思い、電話で来てほしいと乞われたなんでも屋はこうしてやってきた。
 自分はなんでも屋をやっているという話も、実家に頼らず自活しようとする男性の励ましになればと思って話してみたのだ。実際には、ちょっと小馬鹿にされてしまったが、ゲーム廃人に悪気はない。今はちょっと陰に入っているだけだ。
「婚活か・・・。婚活って楽しいですか?」
「どうですかね。まあ、ある程度素性が分かったうえで、人と選んで交流できますね。メールのやり取りからはじめられますよ」
 ネットを駆使して仕事をしている男性だ。メールでのやりとりの方が気安いだろうと思ってなんでも屋は提案した。
「イベントとかはないんですか?」
「2週に1回やってますよ。猫好きの集まりですからね。猫について書かれているブロガーの方をおよびして、読書会もしましたね。デート服のコーディネートについてもアパレルメーカーと提携しておりますので、アドバイスさせていただきます。特にイベント用の猫と人間の衣装のレンタルもありまして、撮影会なんてものもしています。クルーズ船で食事会とかも」
「猫の撮影会ですか?それって相談所の猫で?」
なんでも屋の言葉を遮って、ゲーム強者が食い気味に質問してきた。
「いえ、別にお客様の猫が服に慣れていたらできますね。実際に着せなくても、アプリで服を着せたように加工して見せ合ったりするんですよ」
急に顔を上げて、目を見開いたままじっと見つめて話しかけてくる男に引き気味になりつつ、なんでも屋はそう説明した。
「行きます。いや、お金払います。大体、婚活は親にすすめられて、会費も親が払ってくれると言ってたんですよ。仕事も在宅で契約してくれるって話を何件かいただいてます。今月の申し込みはいつまでですか。やっぱり入社してからの方がいいですか?」
「いや、今、フリーランス?みたいな形で働いているんですよね。職業欄は訂正しておきますよ。仮予約ってことなら、今月は今週末と月末の土曜に七夕の食事会がありまして、猫と人間で織姫と彦星の仮装をしたりですね」
「参加します!予約しますから。ちょっと待ってください。いますぐ、ネットでコレクションを売ります。相談所は何時まで開いてますか」
「えーと、夜の7時までです」
「7時ですね。それまでに払いに行きますから。予約お願いします。それと、その仮装アプリってどれか教えていただけますか」
「いいですけど、猫を飼育しているつもりになれるアプリでして、会員の方同士でチャットで交流もできるんですよ。せっかくなら、イベントでインストールしてもらってからだと、有意義な使い方をレクレーションを交えてご説明させていただきます」
アプリが導入されてから幾度となく客に案内してきた文言をなんでも屋はすらすらと答えた。
「うわああ。いいな。そんな神アプリ。僕もそういうの作ればよかったなあ。現物の猫で育成しているつもりになれて、おそらく動画も投稿できるんでしょうね。愛猫のスタンプ作成機能とかあるじゃないですか。これどこの会社のアプリですか。連絡とって、みようかな。雇ってくれるかなあ」
「お話を通してみましょうか。履歴書があればお渡ししておきますよ。このアプリを提供してくださったのは、元は会員の方なんです。猫の預かりを頼まれてまして、明日お会いするんですよ」
「なんてことだ。神様ですか。なんでも屋さんって万能なんですか」
男性は興奮して、ずっと準備してあったらしい、履歴書を散らかった部屋の机の引き出しから採ってきた。クリアファイルに入ったそれはピシッとして、写真も経年劣化も見られず新しかった。この男性は引きこもりではなく、ちょっと人生の休憩をしていただけなんだなと、その履歴書を受け取りながらなんでも屋は考えを改めた。
「じゃあ、夕方ですかね。お待ちしておりますので。別にお支払いは明日でも構いませんから」
「コレクション売れましたから、大丈夫です。親からも入金してもらいました。今からうかがいます」
男性は喜色満面で立ち上がった。その服から、ぽろぽろとお菓子のくずなどがこぼれた。
「それでしたら、車で来てますので、一緒に乗って行かれますか」
「いいんですか。じゃあ、いますぐ着替えます。スマホやカード決済も可能でしたよね」
言いながら、男性は洗面所に向かった。髭をそりに行ったのだ。洗面所で着替えながら、「明日から、掃除もしないとな」とウキウキした様子でひとり言をする男性の声が聞こえた。その声を聴きながら、この男性の未来はこれから明るそうだとなんでも屋は思った。
 そして、無事に会費が支払われて後日、ゲーム廃人だった男性は猫アプリの会社に雇用され、七夕イベントで知り合った女性と交際をはじめた。身だしなみにも凝り始め、相談所で紹介したアパレルの店に3日とおかず通っている。コレクションはなんでも屋が出向いた日にほぼ売ってしまい、男性の部屋はいまやミニマリスト並みにものがないという。彼が飼っていた猫たちは特に写真映えがしたたため、相談所のパンフレットに写真を使用させてもらうことになった。そのパンフレットを男性は20部も持っていって、すべて人に配ってしまったということだ。

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