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【短編】英傑たちのもの思い part.1

比呂ひろは広大な有明海を前に呆然としていた。海というものがこれだけ広ければ、父の言うように海を渡って学問をするということは途方もなく実現不可能なことに思われた。

比呂が砂浜で母がせっかく用意してくれた一張羅の袴を汚していたのは、父から託されたその壮大な夢のためばかりではなかった。明日から、年上のものたちに混じって藩校の時習館に通うことに不安がないではなかった。大抵の者たちは親切で近所の学問所や道場のように小柄な比呂をいじめる者はないという。

「みな志が高いから」

というのが、父が比呂の入塾が決まって以降度々口にする科白だった。

比呂は父の言葉を重荷に感じるには幼すぎて、見いだされた己の大望を大海に浮かべて前途洋々とした未来に思いを馳せようというくらい夢見がちで聡明であった。そして、ごく一般の幼子と変わらないくらいの無邪気さも持ち合わせていた。

にゃあ。

小さな猫を懐に抱いて、どうやってその猫を父たちのいる宿場まで連れて帰ればよいかと思案していた。猫を飼うことは比呂の念願だったが、時習館には飼い猫が数匹いるという。国許の屋敷にはいないが、それは昨年いついていた白猫がよくないものを食べて死んでしまったからだった。特にその猫を可愛がっていた父は、もう猫を飼うのはこりごりだと言うのだが、比呂はどうしても猫を飼うことを諦めきれなかった。

白猫は父の膝にしか来なかったが、曇天の木枯らし吹きすさぶ海のそばで子猫は比呂を見つけると駆け寄ってきて離れなかった。懐の中か出ていくこともしないのだ。つぶらな青い瞳は空を映しとったように綺麗で、どうしても子猫を寒空の下に置いていく気にはなれなかった。懐紙に写し取って隅で描けばそのまま絵に閉じ込めて連れて帰れないだろうかと夢想する。

とはいえ、人間の子どもの方も冬空の下にいつまでもじっとしてはおれない。いつまでもじっと子猫と暖を取り合っていれば耐えられるというものではなかった。

比呂は、寒さを誤魔化すために何か考えようとした。時習館にいって己は何を学ぶのか。何を学べるのか。

父は昔の武将の話に詳しくて、会えば必ず新しい人の話をしてくれたが、中でも武田信玄公の話が比呂は好きだった。

「戦功を立てて何かなす時代ではない。広く世の中に目を向けよ」

父は一方ではそういうが、戦略に長けた武将の話になると父の語りには特に熱が入るようだった。

く軍をぎょす」(よく軍を操った)

中国の武将の話も父はよくした。彼らに負けるとも劣らぬ武将が信玄公だ。

自分が信玄公になれるわけではない、と幼い比呂はわかっていた。一国一城がどうとかいう時代ではもはやない。大海の向こうとどうやって交易するかという時代が来るのだ。

時習館には蘭学をよくする人もいるらしい。異国の話が聞けるというのだ。父に習っていつか江戸で学びたいと思っている。

「同じ海に生きている」

決して気後れしてはならない。習い覚えた漢詩の才も江戸からきた先生がなかなかだと褒めてくれたではないか。

海辺で思いに耽っていた比呂を父の知り合いの者たちが見つけて連れて帰ったのはもうだいぶ日が傾いてからのことだった。

比呂はどうやっても子猫を放さなかった。

「こやつは信玄公の生まれ変わりでございます。みなさまにもよくご教授してくださるでしょう」

時習館にまで懐に抱いていって真っ赤な顔でそう言い切った。海風で身体を冷やして、風邪をひいてしまったのだった。元来が丈夫な子どもだから、父は風邪を理由に猫と宿場に居座ろうとする息子を無理に引きずってきた。大事の前に小旅行などして楽しませてやろうという親心が甘やかしだった。

しかし、時習館の者どもはみな親切であった。

「信玄公の生まれ変わりとは参り申した。それでは、猫様と一緒にご案内しましょうかな」

息子のためにつけたどの講師よりも優しい風情であった。息子の背中を押したのが何某であると認めると、父はすぐ背を向けて屋敷に戻った。

信玄公か懐の猫のご利益は、比呂はよくよく出世して後に横井小楠と名を知らしめ、時習館の塾長となり、熊本藩を出て福井藩の政治顧問となった。松平春嶽のもとで藩政改革に携わる。開国通商や殖産興業を解く開明的な思想は熊本と福井の海で育まれた。

1月31日読売新聞地域紙面「横井小楠 文人の顔」より構想

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