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続・本当に怖くない猫の話 part.8

その後の太宰のその後

何でも屋は普段は結婚相談所の職員をしているが、本業は何でも屋で猫の依頼をされることが多い。それは、単純な迷い猫探しではなく、例えば、猫の新たな飼い主を探したりであるとか、猫にまつわる家族の厄介事を相談されることもある。

それらはいつも非常に難解であるが、いつの間にか話を聞いているうちに、本人たちの中で自己解決してしまう。だから、結局のところ、何でも屋の仕事もほとんどは結婚相談所と同じで、他人の話をただ聞きに行くだけのことなのかもしれない。

しかし、今回のように共感の難しい話というのは本当に厄介だ。

「猫の名付けには迷っているんです」

化粧気は無いものの、小ぎれいな一人暮らしの部屋で、小ぎれいな服装をしている清潔感の漂う部屋主はそう言った。
女性一人暮らしの部屋に、男性が1人で尋ねるのは気兼ねするので、この依頼を持ってきた依頼人についてきてもらった。猫に関する依頼は、その結婚相談所の同僚である依頼人が大抵持ってくる。

なんなら、結婚相談所の仕事も依頼人のつてがあってのことだった。それがありがたいようなありがたくないような。

「猫の名付けに迷っている」と話を切り出されたときには、なるほど、今日も話を聞いて帰れば良いのだなと簡単に考えた。他人の話を聞くのは苦痛を伴うが、悩みを話すうちに本人の中で消化され勝手に解決されるのを見るのは清々しいもの。今回も、そうなると思ったのだ。

ところが。

「太宰の奥さんたちの人生が知りたい」

引き取ったばかりの3匹の子猫の世話が大変だとか、かわいいとか、そんな話に紛れて、彼女が唐突にそんなことを言い出した。むしろ、それが本題であった。

「私、来年38歳で太宰治が亡くなった年齢になるんです。それを思うと、太宰治がもしその後生きていたら、どんな風だったんだろうと気になって」

「作家の太宰治が好きなんですか?」

「いえ、大宰治の作品を自発的に読んだ事は無いんです。学校の先生に勧められたり、子供の時同級生に勧められたりとかしてそれなりに読んだ事はあるんですけど。でも、最初に触れた作品が、教科書の『走れメロス』でしょう。それが実体験に基づいた話だと聞くと、なんとなく苦手意識があったんですよね。周りの人がなぜ私に太宰治を勧めてくるのか私自身も子供の頃は分かりませんでした。でも最近になって、その人たちは自分の趣味を押し付けていたのではなくて、私に太宰治のイメージをみていたんじゃないかなって考えるようになったんです。もちろん私がそんな文豪になれると思われてたとか、そういうことでは無いですよ。心のあり方ですね」

心の在り方が太宰治。それは文豪になれそうだと思われるより、未成年の子供にはなかなかショックなことではないだろうか。周囲の意図を無意識的に考えないようにしても無理はない。何でも屋も太宰治の作品をそれほど読んだ事はないが、「あなたはなんとなく太宰治に将来なりそうな気がする。文豪ではなくて、心のあり方の面で」などと大人に言われたら、きっと「自分は将来破滅すると予言されているのだろうか」と不安に思ったに違いない。

「私、あちこち湿疹が出やすいんですね。それは大人になっても治らなくて、子供の頃も結構ニキビがあったんです。それで大宰治のニキビに悩んでいたという話を思い出して、でも本当にこれがニキビかなって私はずっと悩んでいるんですね。顔がわからなくなるほどできるわけじゃないですけど、首周りとかもずっと痒くて。過去のことが急にフラッシュバックするんです。周囲に流されてしまったことで、ぶわっと後悔したり。でも、その過去自体そんなに大した事ではなくて。気づいたら、顔にニキビが出ているんです。私は他人より気にしいなねか、そうでないのか。猫を飼うことも他人に勧められて決めたんですけど、独身の20代30代の女性って1番猫を飼わないらしいんですね。そういうことを聞くと、やっぱり自信がなくて、無責任だったかなって。私自身、どうなるかわからないけど、太宰治の奥さんたちはどうやって彼についていったんだろうと思い始めたんです。彼女たちが一生懸命彼を世話して生き抜いたというなら、私も猫の世話ができる気がして。猫の世話ができるような気がしたら、彼女たちの名前を猫につけようと思ったんです」

「なるほど」

部屋主の話があまりに脈絡なく飛躍してしまったので、何でも屋は適当に返事をして話を区切った。そしてしばし考えた。
彼女たちと言うからには、太宰治には複数の奥さんか彼女がいたのだろう。少なくとも家庭を持っていたに違いない。その辺の大宰治の基礎情報を何でも屋は知らなかった。
しかし、知っていたところで、部屋の話は少しこるがらがっている。
彼女は太宰治の人生に自分を重ねている。だから太宰治が亡くなった年齢より自分が長生きすることを恐れている。太宰治が経験した以上の精神崩壊や、あるいは人生の苦難を経験するのではないかと予想しているのだ。
それで彼女はなぜ太宰治の奥さんたちを知りたいと思うのか。あるいは彼女たちの存在がで、太宰治がどれほど支えられていたかと言うことを知りたいのだろうか。どうやって太宰治が周囲に支えられていたから、知ることによって、自分自身がその方法を試してみようと思っているのか。他人の手を借りずに。

「太宰治さんのご家族の話であれば、調べられるかもしれません。直接お話しするか取材することになるか分かりませんけど。でも、それにってどれくらいかかるか。あるいは、子猫たちが大人になるまで、ずっと名無しになってしまうかもしれませんよ」

とんでもない依頼も依頼人なら叶えられる。なぜなら、彼女の父親は現在日本の首相だからだ。太宰治に子供がいるならば、経歴からして、政治家とつながりがありそうだ。その子孫の方もどなたかご存命でいらっしゃるだろう。だからといって、今日は言われたら、明日会わせるられるというものではない。「あなたのご先祖様の名前を、猫の名前に使っていいですか?」と聞かれたところで、内心勝手にしてくれと思われるだろう。会ってみたところで、話が続かない可能性がある。

あるいは、彼女は太宰がいなくなった後で、その家族がどうやって生き抜いたか知ることによって、自分自身の破滅を食い止めたいのだろうか。彼女がどんな人生を送ってきて、どんなふうに破滅しそうなのか、どんな不安を抱えているのかわからないが、38歳までしか生きなかった人と自分を重ね合わせて、その人より長生きしようというであれば、案外前向きな気概を持っているんだろうか。

「名無しにするくらいなら、仮の名を与えてあげたらどうですか?保護施設などもそうしてらっしゃいますし、引き取られたから名前は変わっています。人間だって名前を変える事はあるんですから。まずはつけたい名前をつけて、その後に大宰治の奥さんだとか娘さんだとか、あるいはご親戚とかの名前が猫たちを救ってくれそうだったら名前を書いてあげたらいいんじゃないですかね?」

「そうですね。名前は早くつけてあげたほうが良いでしょうか?」

依頼人に仮にあてがあったとしても、実際に大宰治のご家族に話を聞きに行くことになるのは、何でも屋だ。今何をしている人たちなのかわからないが、突然赤の他人に話を聞かせてくださいと言いに行くのは気が引けるので、ここぞとばかりに依頼人の提案に乗っかった。

「猫は自分の名前はそんなに早く覚えないと言われますが、やっぱり子猫のうちに名前を呼んで、こっちに走ってくるのはかわいいですよ。大人になったらそっけなくなる猫もいますからね。うちの片方の猫はそうですよ。片方はもう高齢だけれど食いしん坊だから、人間の姿を見たら駆け寄ってくるんですが、もう片方は人間の方が近づいて来いって態度だから、あんなに擦り寄ってきていた子猫の頃が懐かしくなりますね」

正直に何でも屋は子猫の頃の方が可愛かったとは思っていない。しかし、人間の子供と暮らすように、小さい頃でしか味わえない体験というものもある。依頼人がそっけなくなったと言っているのは、現在何でも屋に預けている三毛のセミ猫の方に違いない。
手のかからない猫だが、自分の労力をむやみに費やすのを嫌うので、ただ人間に撫でられたいがために、駆け寄ってきていた子猫時代があったなんて何でも屋にはなかなか想像できなかった。

「そうですか。名前を読んだら飛んできてくれるなんてかわいいですね」

「必ずではないですよ。でも、もしかして脱走したり、迷子になったときに、名前がないのは不便ですから」

「なるほど」

部屋主が心から納得したようにうなずいて、部屋の隅に眠っていた子猫たちが、見計らったように起き出して彼女の膝をめがけて走ってきた。部屋主はその子猫たちを少し力を入れたら壊れてしまう何かのような繊細さで優しく撫でさすった。

後日、何でも屋は、大宰治の女性関係や家族関係を家系図にまとめて、その女性たちの人生をネットや書籍等でわかるだけ調べて部屋主にレポートを提出した。部屋主から丁寧なお礼のメールがきた。

「結局、あの人は太宰治のご家族に会われたんですか?」

「まさか。でもレポートは面白かったって満足されたみたいですよ。子猫たちの名前はアニメからとって決めたそうです」

「なるほど」

何でも屋は、それ以上部屋主の話を聞かなかった。1週間以上かけて作ったレポートだ。せっかくなら、その労力に報いて、猫たちに調べた女性のいずれかの名前をつけて欲しかったような気もする。しかし、世の中には同姓同名も多いだろうから、もし猫たちが迷子になった時、同じ名前の女性が通り掛かったら面倒だ。結局、人間的な名前をつけられなくて、猫たちには幸いだったのだろう。

自分は一体何の依頼を受けたのだろうか。レポートにかけた労力がバカバカしくもあり、それまで興味のなかった人たちについて調べたのが楽しくもあり、何でも屋は何でも屋を始めて以来の奇妙な感慨を覚えていた。

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