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【短編】続・本当にこわくない猫の話「コンプレックスは猫で解消」

 なんでも屋は疲れていた。連日の仕事で疲労はピークに達していた。
 結婚相談所のスタッフの仕事ではない。なんでも屋の仕事の方だ。なんでも屋は自分の生計の基盤が、いかに結婚相談所の仕事の方にあろうともなんでも屋が本業だと思って続けてきた。けれども、それもそろそろ返上しなければならない。四十の坂も目前の一生独身の自分が結婚相談所の職員として説得力のない仕事を続けていくことが運命として定まっているのかもしれない。
 そんな諦念が夜空に燦然ときらめく。星々は男の諦めの涙だったのか。通りで星座にまつわる物語は寂しいものばかりだ。まとわりつく虫を払う気力もわかない。もう5日も経つ。まるで野生の野兎のように跳躍する自由奔放な白猫とバン・カラーの母猫の捕獲を試みている。
 朝、昼、晩と姿を現すのだ。初日に見つけられた時には、捕まえるのはたやすい仕事だと思った。ところが、依頼主の古びた庭の離れに泊まり込むことが四日も続いている。いくらなんでも屋が本業だと思っていても、相談所の仕事を1週間も休んでいるのは気にかかる。
「いいですよ。猫の捕獲が優先ですから。その武勇伝は相談所の宣伝になりますかね」
暇を持て余して、所長に電話して確認を取ってみると、猫の捕獲が優先とばかりの返答をされた。確認などしなければ、そろそろほかの仕事が心配だからと断ることができただろう。なんでも屋が働く結婚相談所『ハッピー+(プラス)」は、猫と人間の幸せをうたう結婚相談所である。猫嫌いは会員になれない、ちょっと変わった結婚相談所だ。その所長も猫好きを買われて採用されているので、猫の仕事であればなんでも屋という副業(本人にとっては本業)にも融通をきかせてくれるのだ。つまり、所長に電話した時点でなんでも屋は自分で退路を断ってしまったのだ。
 六匹の猫の捕獲は思っていた以上に大変な作業だ。なんでも屋はわざわざ相談所を訪れた客を最初は断るつもりだった。なんでも屋を名乗っていても、依頼されるのは猫の仕事ばかり。猫の見合いにはじまって、特にこうした猫探しの依頼が多い。かといって、猫は2匹飼っているだけで、なんでも屋は特段猫の専門家を自称しているつもりはない。もちろん仕事になるとわかってからはSNSのアカウントに「猫に関連する依頼もお受けします」とは書いているが、それがここまで効果を発揮するとは思ってもいなかった。

 あとたった2匹なのだ。その母猫と子猫の警戒心が強くて、捕まらない。なんでも屋は途方に暮れて空を見上げた。汗で滲んで見える星がサイダーの泡粒のようだ。夜気が汗を滲ませる。猫の捕獲はジャンパーに限るのだ。捕獲の時に猫の爪が貫通する心配が軽減され、こうした虫の多い夜は虫刺されの防止になる。しかし、いかんせん、長袖で過ごすにはその夜の屋敷の庭は蒸し暑かった。

 夜の空気に潮風が混じる。房総の浜辺にあるその家は諦念退職して都内から移住した60代の夫婦の二人住まいで、庭の敷地に猫が居着いて困っていた。夫婦には3人の娘がいて、そのうち一人の娘が都内の出版社で働いており、たまたま『ハッピー+』の評判を聞きつけて相談してきたのだ。
「捕獲の経緯まで私が担当する雑誌で記事にさせていただきます。昨年からムック版の猫雑誌なども担当しているんです」
名刺を差し出され、断る隙がなかった。記事にする云々は保留にしている。しかし、所長は猫雑誌で猫と人間の幸せをうたう結婚相談所が紹介されることについては、乗り気だた。

「猫に関する悩みを解決してくれるんですよね」
受付して会員登録用紙を書き上げるなり、だしぬけにそう言われて、なんでも屋は面食らった。
「悩みをお聞きして、できることがあればお手伝いさせていただきますよ」
後ろから口を挟んで代わりに答えてくれたのは、相談所の同僚でかつでの依頼主だ。最初の依頼人である彼女は、なんでも屋にたびたび仕事を紹介してくれ、結婚相談所の職員の仕事すら彼女の口利きで得たものだった。
 その彼女はなんでも屋の窮状を聞いて、今夜様子を見にきてくれた。運転しないので、なんでも屋が迎えに行かなければならなかったが、一人より二人の方が心強い。依頼人はほかでもない、すでに捕獲した4匹について家で預かってもくれていた。4匹分のキャリーにケージの用意。駆虫や避妊手術などのための病院の予約。最初は一人でやろうとしていたものの、すぐに依頼人が手伝いを申し出てくれたので、到底無理だと投げ出さずにすんだ。それがなければ、たとえこの依頼が相談所の月給の2倍であったとしても途中で投げ出していたところだ。

 依頼人は冷たいハニーレモンティーやサンドイッチや焼き菓子なども差し入れに作ってくれていた。
「今日はずいぶんと熱いですね。6月なのに、もう熱帯夜なんでしょうか」
「さあ。海風のせいで暑いように感じるのかもしれません。逃げ回る猫も元気なものですよ。猫は夜寝ないでも平気なんでしょうか」
なんでも屋が愚痴を言うと、室外灯の下で依頼人はしばらく思案の顔をした。
「人間が蜘蛛の巣にひっかかったり、蒸し暑くてべたべたするのが嫌いなように、猫だってべたべたするのは嫌ですよね。わたし、常々、猫ってなんで大して食べもしない蜘蛛を取ってくるんだろうと思っていたんですが、蜘蛛の巣をつくるべたべたのものだからかもしれないですね。べたべたのもとを排除したことをほめてほしいんじゃないでしょうか」
「なるほど。それは、ありえますね。じゃあ、帰ったら蜘蛛とってきたら、しっかりほめてやらないと。この季節、蜘蛛が増えますから」
依頼人の説に大いに納得したなんでも屋は飼い猫のセミとクロとそれから依頼人から預かっている長老アブのことを思い起こした。猫のことに奔走して、自分の飼い猫と預かった猫を放ったらかしでは、本末転倒ではないだろうか。多くの猫を幸せにしようと欲張って、かえってどの猫も幸せにできないでいるようだ。
「この土日で捕まえられなかったら、仕切り直しますよ。また、来週2日くらい出向くことにします」
月給2か月分の報酬でも、2か月で終わらないかもしれない。月曜にはじめて、今日は金曜日。結婚相談所の仕事を辞めるわけではないのなら、来週にはさすがに仕事に出たい。少なくとも結婚相談所の仕事は家に帰って、猫に構える。預かっているはずの猫ごと、自分の猫も捕まえた野良猫も依頼人に預けているという状況もよくない気がした。猫の通院に毎回理解あるタクシーを呼ぶわけにもいかない。自分の仕事なんだから、猫の通院くらい車を出さなければならないだろう。
「そうですか。あ、今がチャンスじゃないですか。ごはん食べてますよ」
依頼人に耳打ちされ、使われていない離れの軒下をみると確かに猫がキャリーにほとんど全身を突っ込んでごはんを食べていた。
 捕獲の好機だ。なんでも屋は低木の陰から身を乗り出して音を立てないよう猫の後ろに忍び寄った。それに気づいた猫が方向転換しようとした刹那、ガッと手を伸ばして猫をキャリーの中に押し込んで、ガチャリと扉をしめた。ホームセンターで買った手袋には穴一つ空いてない。さんざん翻弄されたが、初めて怪我ひとつ追わずに捕獲できたのは、感慨深い。捕まえたのは母猫の方は、背中に灰色の羽が生えたような小悪魔な娘猫の方は母の後ろで警戒していて逃がしてしまった。
 キャリーに閉じ込められて2,3回鳴いてすぐおとなしくなった猫をそそくさと車に連れて行きながら、なんでも屋は内心でこの5日間の苦労を思い出して感慨に耽っていた。
「あと、1匹ですね」
無意識に車に乗り込もうとしたところで、「そうでした」となんでも屋は現実を思い出した。1匹捕まえて感慨に浸っている場合ではない。猫はあと1匹いるのだ。母猫と父猫と4匹の生後数か月を過ぎた4匹の子猫。家族で暮らしていたのに、1匹だけ残されたら寂しいだろう。
「お部屋お借りして、何か食べますか。人間も寝ないと」
「そうですね。いったん食べて、夜明けまでがんばって無理そうなら、ちょっと横になります」
「その間は私ががんばってみますよ」
今日の夕方来たばかりの依頼人は意気込んだ。
0時を回ると先ほどまで生ぬるかった空気が肌寒く感じられた。
二人が納屋で食事を摂る間に、外では雨が降り出した。そして、納屋の2階に猫が上っていく音がした。すばしっこい猫である。白と黒が逆転した異国のハチワレのような柄の白猫だ。視界に入れば目立つ。しかし、その足音は猫らしくひそやかで、軋む床板の音と獣気の臭いがなければ気づけないものだ。
 それから二人は仮眠をとりつつ翌々日の午前中まで粘ったが、背中に羽の生えた天使か小悪魔かわからない猫は捕まらなかった。ごはんに釣られて姿は見せるので、捕まえられるかと待ち構えていた二人は疲労困憊だった。
「あと、一匹くらい良いですよ。うちで捕まえられるかもしれません。1匹なら飼ってもいいなとは思っていたんですよ。でも、選ぶのもかわいそうでしょう。でも、ほっといても猫はいちどに8匹ほど子猫を産むこともあると聞いて、どんどん増えると思うと本当に不安だったんです」
仕切り直しを考えていたら、依頼はここで終了でいいと夫婦に言われた。短期間で5匹も捕まえてもらって助かったと非常に感謝されたが、ボランティアではないので、素直に喜ぶことはできなかった。
「思うに、これまで捕まえられてきたのは、猫たちが人なれしていたからなんですね。人間に心を許してない猫の捕獲がこんなに大変だなんて思いもしませんでしたよ」
「そうですね。捕獲器で怪我するなんて思いもしませんでした」
 オス猫は初日に捕まえてその日に病院の予約が取れて駆虫も去勢もすんでいる。捕獲器で足を深く切っていたので、縫合して抗生物質の注射も受けた。オその初日以来、捕獲器は使っていない。
 猫エイズ・白血病の検査もしてと盛りだくさんだったが、ほとんど麻酔中の出来事だったせいか、それほど怒ってはいないと依頼人に聞いていた。ケージの中でぼうっと過ごしており、トイレを使わないので、ケージの掃除が毎日大変なのだそうだ。他の猫はトイレは使えるが、父猫よりも警戒心が強くてひっかいて来ようとするので、これまたごはんをあげたりトイレ掃除も戦々恐々としているのだとか。その猫たちの世話を手伝わないといけないので、しばらく依頼人の家に泊まり込みだ。
 東京のはずれの森の中にある依頼人の屋敷は部屋数が多く、人間なら10人でも泊まれる。しかし、人間と違って世話の必要な猫を一人で世話するのは九匹の今でも限界だった。
「この庭も猫が減ると少し静かになるんでしょうね」
「どうでしょうか。人間の方がうるさいですから、案外変わらないかもしれませんよ」
依頼人の言葉を聞いて、なんでも屋はすぐに思い当たった。なんでも屋が飼っている三毛のセミ猫はテレビっ子でありながら、自分が眠たいとテレビを消せと怒って鳴くのだ。そして、消すとテレビが見たいと気ままにテレビ台に乗ってきたりする。「うちの三毛猫がわがままですみません」と車に乗り込みながらなんでも屋が謝ると、「意思疎通のできる猫様は助かります」と笑いつつ、それに「私の猫でもありますよ」と依頼人は付け加えた。
そうだった。すっかり忘れていたが、少し鼻の低い眼帯柄の扁平な日本顔をした三毛猫は元は依頼人の猫だったのだ。その三毛猫と仲良くなれる猫を探しているうちに、いつの間にかなんでも屋の家に来ることになった。依頼人の家には3日に一度は泊まるので、自分の猫と一緒に預かっているんだか預けているんだかわからない状況なのだ。セミ猫は依頼人の言う通り人間とよく意思疎通を図る猫なので、一緒にいる時間が長いといつの間にか”自分の猫”という気持ちになってしまっていた。
 自分の猫がどれかもわからないダメな飼い主だ。疲れのせいか車内でしばらく沈黙が続き、この1週間のことを考えてなんでも屋は落ち込んでいた。こうした猫捕獲の依頼ばかりなら、なんでも屋を続ける自信がない。かといって、独身で恋愛に興味もない自分が結婚相談所の仕事を本業とするのも抵抗がある。しかし、猫の依頼を除いてしまえばなんでも屋だけで生活を成り立たせるというのは不可能だ。疫病の流行も落ち着き、買い物代行の依頼もめっきりなくなった。なんの取柄もないから、「なんでもします!」となんでも屋を名乗っている。決して、なんでもできるという意味ではない。人間関係も希薄で、一人でやる仕事をと常々考えていながら、こうして過去の依頼人を頼り続ける始末だ。
「でも、これで雑誌のインタビューの話題はできましたよね。5匹捕獲5日間の格闘!って語呂がよさそう」
お互いに沈黙に耐え兼ねたタイミングで口を開いたのは、依頼人だった。
「言われてみれば、6匹中の5匹の猫でごろにゃあとか割といい感じかもしれません」
互いにセンスのない見出し案をしばらく出し合って、猫たちが鳴けば猫たちに声をかけ、眠けを感じる前になんとか依頼人の家に到着した。しかし着いてすぐに途中で買ってきたケージを一つ組み立てたり、猫トイレの準備をしたり、ケージに入っていない猫と入っている猫たちと別々の部屋のトイレ掃除やごはんの準備をして、人間もごはんを食べているうちにとっぷりと日が暮れた。
「今日はもう泊まっていってください。疲れているでしょう」
「すみません。お言葉に甘えます」
依頼人が長い髪を拭きながら風呂から帰ってきて、声をかけた。なんでも屋は図々しく先にシャワーを浴びさせてもらった。連日の泊まり込みの際には近くの銭湯など利用していたものの、それでもずっと外にいて汗が染みついているようで臭いが気になっていたのだ。着替えも落ち着いてできなかった。
「疲れましたけど、これもいい経験ですよ。猫の保護って大変なんだなって通関しました。生きるのも生かすのも大変だって、これからは人に話せます」
ソファに腰を下ろして、依頼人が息をつくと、くだんのセミ猫がすかさず膝の上に上がった。なんでも屋の両脇は長毛の老猫と若い黒猫に占拠され、お互いにお腹いっぱいでうとうととまぶたが落ちかかっていた。
「ーそうですね。人生経験って何歳になっても必要ですね」
 なんでも屋はあくびをしながら答えた。一匹は救えず、楽しかったわけではない。けれど、世の中を知るいい経験になった。目標を達成できなくても、他人に語れる経験を積むことはできるのかもしれない。経験を話題に変える。何もできない自分だが、確かにそのポンコツな経験も誰かに笑ってもらえる話になるかもしれない。それなら、こういう経験もひとつ悪くはないのではないか。
「猫探しに必死になった経験も、一つ猫飼いとして悪くないかもしれないですね。我が家の猫たちが万が一いなくなった時にどうすればいいかその時になってみないと分かりませんけど、知れたこともありますよね」
「そうですね。どんなに体力・気力がいることか」
 灰色の羽の生えた天使の猫は一匹で眠れているだろうか。人間の自分は猫たちを仲間にして囲まれて悦に入っている。理不尽だろうが、しばらくは猫探しの気力と体力が湧くかわからない。
 疲れたなんでも屋たちは、その日は早々にベッドに入った。猫たちもその夜はじっとしておとなしかった。しかし、数日で慣れると不平を現し始めて、手がかかるようになった。
 なんでも屋は猫たちに付き合って、満足に睡眠をとれるようになるまで1か月かかった。そして、慣れた頃に猫たちはそれぞれもらわれていった。猫はまだいるけれど、静かになった家も落ち着かない。逃げ足の速い暴れん坊の天使が子供を産み、その子猫ともども夫婦が保護したと連絡を受けたのはその半年後のことだった。また猫たちの里親探しが始まったが、そのタイミングでなんでも屋は安眠できるようになった。

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