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本当に怖くない猫の話 part.1

小雪の降る公園。黒いコートを着た男が一人立っていた。

すると、待ち合わせた依頼人がやってきた。

「何でも屋さんですか」

こぎれいな身なりをしながらキャリーにも入れず素のままの猫を懐に抱いた奇妙な女に尋ねられ、男は頷いた。男はこの不況の最中、怒りに任せて仕事を辞め、失業手当の給付も切れ、1週間前からネットに何でも屋の看板を出していた。これまでネットで数件以来を受けたが、まさか本当に依頼人が現れたのは今日が初めてで男は戸惑い自然固い表情でうつむきがちになっていた。

「依頼は猫探しでしたよね?」

女が抱えた猫に少し首を傾げながら何でも屋は訊ねる。

「ええ。けど、もうちょっと詳しく言うと、この子のお婿さんとしてふさわしい猫を探してほしいんです。品種は問いません。血統書なんてついてなくても、優しくて頼りがいがあって誠実でこの子だけを愛してくれて、何よりこの子に見合うだけの賢さがあって、一緒にいていつも楽しい遊び心のある猫が良いわ。とりあえずは、1万円お渡しします。成功報酬は20倍でいかがでしょうか」

「ちょっと、メモを取りますから待ってください」

何でも屋は女から一万円をもらうと、笑いそうになったのを空咳で誤魔化してスマホを取り出した。とりあえず、頭の良い猫とだけ指で打つ。スマホが冷たくて、男は思わずコートの襟を立てる。そんな男には構わず、女は少しも寒そうなそぶりも見せず、猫を可愛がって撫でながら話を続ける。

「本当にうちの子は賢いんです。この子の子供がみたいんだけど、そんじょそこらの猫はだめなんですよ。どのくらい賢いかっていえば、『饅頭怖い』くらい賢いんです」

「『饅頭怖い』ってあの落語の」

男は落語に詳しくないがそれでも聞いたことがあるくらい『饅頭怖い』有名な演目だ。

「いえ、リアル饅頭怖いなんですよ」

女の話は続く。女の家には洋間が3つのほかに2間続きの座敷があるという。どうやら、身なりの通り女は金持ちだ。飼い猫は賢く、絶対に屋敷で迷ったりも脱走して帰ってこないこともないのだという。呼べば必ず来るのだから、飼い猫がいなくなった時は死ぬときだろうと女は薄く笑う。その猫は食い意地もはっていないが、唯一饅頭にだけは、興味を示していた。女の家には客用の饅頭がいつも出されているのだが、毎日のように飼い猫は手を出そうとする。それを厳しくしかりつけているうちに、飼い猫は饅頭の置かれる客間には、恐れて近づかなくなった。それどころか、飼い主が饅頭を食べだすと離れるようにまでなったらしい。まさに、猫版『饅頭怖い』である。ところがある日、台所から饅頭がなくなった。飼い主の女性は猫のせいなはずがないと思うが、その家のお手伝いさんがいうにはこれまでもたびたび饅頭が台所からなくなっていたので、きっと猫のせいだという。まだ、近くにいるはずだとお手伝いさんがいうので、釈然としないながらも、猫を探したら、冷蔵庫の下に怪しく光る二つの金色の目玉があった。女性は優しく呼びかけたが、怒られる気配を感じ取ったのか猫は飛び出してきて、その足元から饅頭が一つ、二つと転がり出た。冷蔵庫の下に手を伸ばすと、まだ、いくつもまんまるいそば饅頭がおちていた。どうやら、飼い猫が饅頭に興味を示していたのは、食べたかったためではなく、転がして遊びたかっただけのようだ。とはいえ、いくら猫でも食べ物を粗末にさせてはいけない。女性は心を鬼にして猫を叱ろうと立ち上がった。猫はちょうど、台所のテーブルの上に立っていて、お手伝いさんと対峙していた。お手伝いさんと飼い主ににらまれた飼い猫は、賢いから普通の猫のように縮こまったり、逃げ出したりはしなかった。すっと饅頭が乗せてあった皿に乗ると自分が饅頭の代わりと言わんばかりに丸くなって薄目を開けてにゃあと鳴いたのである。それは、まるで饅頭の代わりに自分を客に差し出してくださいと言っているようだったという。

「ね、とってもお茶目で賢い猫でしょう」

「―とってもいじらしい猫ですね」

男は女の話に途中まで聞き入って損したと思って肩を竦めた。本家の『饅頭怖い』のようなオチはない。ただ、猫が猫であるがゆえに己の悪行に気づかず、最終的に遊び疲れて皿に入って寝ただけではないか。大体賢いかどうかは知らないが、よく見れば女性の猫はサビ猫に近いくらい模様が縞々ではっきりせず、極めつけに鼻筋もあまり通っておらず顔半分が眼帯をつけたような半分黒色で目つきが悪く見えた。可愛らしいというよりふてぶてしそうな猫である。

「うちの子に似合う猫なんて本当にいるのかしらって思うんだけど」

「幸い、私の知り合いには猫好きも多くいましてね。去勢していない猫がいるかどうかあたってみますよ」

「ハンサムさんならそこは問いませんわ」

女がきっぱり言い切った。どうやら女性は本当に猫のパートナーを探したいというメルヘン思考の持ち主のようだ。とはいえ、ペットショップにいるような猫ではなく、その辺に捨てられていそうな三毛猫を可愛がっているのだから、口でいうほど猫の理想は高くないかもしれない。男は愛想笑いを浮かべてうなずくと、小雪降る極寒の公園から早々に立ち去った。

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