「窓辺の猫」⑧猫のように寡黙
我が家の三毛猫が最近全く鳴かない。
もういつ鳴き声を聞いたかわからない。10日以上鳴き声を聞いていない気がする。
三毛のセミ猫は抱っこされるのは嫌がるくせに、最近私にべったりで、私のいる空間でずっと過ごしている。
もともとセミ猫はトイレを片付けてほしいとか、ドアを開けてほしいとか、ちょっとした要求があるときに、小さな声で鳴くだけで、後は野良猫に怒って唸る以外に人間に向かって鳴くことがなかった。
外猫か野良猫の姿は相変わらず庭で見かけるが、あまり窓辺でくつろいではいないのか、窓のそばでセミ猫が吠えることがなくなった。
すると、セミ猫の鳴き声を全く聞かないことになり、それはそれで心配になった。
ネット情報によると、室内飼いの猫はストレスがない暮らしだと鳴かない猫が多いらしい。相変わらず鼻炎のような症状が続き、体調が万全でなさそうなのに、セミ猫は不満がないのだろうか。
大人になって後からやってきた麦わら猫のトンボ猫の方は、我が家の家猫になって、もうすぐ一年になる。
来た頃に比べたらよく鳴くようになった。とりあえず食べ物がほしいと鳴いている。それも猫にまでごはんをせびる。
きっかけはいつだったのか?トンボ猫は住人全員にご飯をせびる。ご飯を食べたことがばれてないと思うのか。それとも「あなたからまだご飯をもらってませんよ」とでも言えば全員からごはんをもらえるとでも思っているのだろうか。
セミ猫もトンボ猫にご飯を譲ってしまうことが多く、セミ猫にはケージの中で、ごはんをあげるようにした。
すると、その音を聞きつけて、トンボ猫がやってきて、ケージの前でおこぼれにあずかろうと待つようになった。
最初は落ち着かないからあげたのか。
半年前くらいは、セミ猫がトンボ猫にごはんを分けてあげるのが好きで、ほとんど食べずに分け与えようとしていた。ある程度食べないとケージから出さないようにしたり、セミ猫が残したごはんをトンボ猫に極力与えないようにしたら、ちょっとずつセミ猫も多く食べるようになった。それでもケージの外で2匹並んで食べていた頃の方が楽しそうに見える。
ごはんを盗んで叱られるトンボ猫より、ごはんを盗られてしまうセミ猫の方が可哀想に見えるなんて思ってもみなかった。それでも、セミ猫のためではなく、トンボ猫がこれ以上太らないように、ごはんを隠している。衛生面でも良くない。
セミ猫は少しだけしかあげないと、その量しかご飯を食べなかったりする。だから残すほどの量をあげざるを得ない。
そして、その前にたっぷりご飯を与えられたはずのトンボ猫がセミ猫がご飯を食べているケージを見上げてか細い声で鳴くのである。
その鳴き声がなんとも物悲しい。
トンボ猫は、外で暮らしている間に声帯を痛めたようだ。それでも以前よりはだいぶしゃがれ声ではなくなったが、大きい鳴き声は聞いたことがない。大きい鳴き声が出ないので、トンボ猫は態度が大きいのだろうか。
最近思うのが、トンボ猫は大きい声で鳴いて訴えることができないので、仕草が乱暴なのかもしれないということだ。
セミ猫は扉が開けてほしくても鳴きもしないでただ、待っていることも多い。しかし、トンボ猫の場合は、もし鳴いていたとしても、扉越しだと到底聞こえるような鳴き声ではない。自分でも鳴き声が聞こえないと分かっているので、扉を乱暴に叩くのかもしれない。
我が家に来て、キャリーバックを2つ破壊したトンボ猫。1つは、私が車を降りている間に、キャリーバッグに穴を開けてしまい、頭がはまって窒息しかけるところだったそうだ。家族が救出したが、ブルブル震えていたそうだ。人間の方も怖くて、プラスチックのキャリーは買えない。
トンボがお風呂以外のお手入れを激しく拒絶するので、いまだにブラッシングもろくにできない。濡らした時はおとなしいが、乾燥した毛を我が家に撒き散らしている。
我が家に来た頃は、妙に毛がツルツルしていて、初めて触ったときにはあまり体が丈夫でなさそうなセミ猫の毛艶の方が悪くて、トンボ猫の方が正常なのかと思った。何せ、猫を飼うのはセミ猫が初めてだったので、他の猫がどんな様子なのかわからなかったのだ。
しかし、冬を越えて、なぜか初夏からトンボ猫の体重増加とともに、毛がふさふさしてきて、栄養状態が悪かったので、毛が少なかったのだろうという結論に行き着いた。あるいは過剰に毛づくろいしていたのかもしれない。
大きな声で鳴けないトンボ猫は、態度で示さないと不満が伝わらない。
一方で、声が出るセミ猫はほとんど鳴き声を発さない。よほどのことがないと、鳴いてみようと思わない。
私は、子供の頃、周囲が驚くほど言葉の発達が早かった。しかし、今は家でほとんど話さない。話す用事がないからだ。子供の頃からの習慣で、再び朗読を始めたが、聞いてくれるのは、寡黙な三毛猫のセミ猫だけだ。トンボ猫はかまってくれと爪とぎしたり音を立ててアピールするか、退屈して途中でどこかに行ってしまう。
私の母は40代と60代で二度咽頭癌になって、発語に障害がある。家族でも何と言っているかわからない時が多い。
発音が不明瞭で周囲に伝わらない母とトンボ猫は似たようなものだろうか。
あるいは話す必要性を感じない私はセミ猫のようなものだろうか。
どうにも互いにコミュニケーションがうまくいかないと感じることが多い。
どちらが苦しいのだろう。あるいは、声を使うのは当たり前の能力ではないのかもしれない。口がついている、単語を知っているから、他人とコミュニケーションが図れるわけではないのだ。
猫は、元来単独生活を好む生き物だ。鳴き声をそれほどコミュニケーションの手段に使わないのかもしれない。それでも、2匹がお互いに気をつかっている様子もうかがえる。ましてやセミ猫は二匹で過ごすようになった最初の頃は、トイレを教えたり、今より頻繁に追いかけっこして遊んであげたりと世話好きで、甲斐甲斐しかった。今でも、ごはんを譲ってあげるのが好きだ。
トンボ猫の方が、態度も図体も大きくなっても、セミ猫は自分の方がお姉さんだと思っていそうだ。
三毛猫も麦わら猫も基本的にはメスしか生まれない。人間は変わった柄だと喜ぶが、猫からしたら自然に紛れる目立たないような柄で、性格も自立心が高く、穏やかな猫が多いのかもしれない。
静かにひっそり生きている。
猫には感情で泣く涙腺がないらしい。
泣けないから鳴かないのか。
無駄口を叩かず、必要な時に泣けばいい。
我が家の猫たちが幸せかわからないが、セミ猫を見習って猫のように生きていきたいものだ。