「偏差値が高くない大学」の存在価値
Twitter(X)では、「偏差値〜以下の大学の存在価値はない」とか「文系の学問はほとんど実用性がない」というつぶやきが未だにありますが、
ある経営学准教授の方のつぶやきに、考えさせられる内容のものがありました。
私はこのつぶやきについて、
高校までの勉強は、たとえば数学を学んでも、それがどんな専門性に繋がってるか、何に実用されているか関連性がまだ分からないから、勉強に面白さを感じにくいのかもしれないなぁ…なんて思ったりしました。
※今学んでいることが、どんな職業や可能性につながっていくか、認知特性によっては「全体像から把握したい」学生もいます。
高校までの勉強は、満遍なく基礎知識を暗記するものだけど、大学からは人間や世界の本質や因果関係を深掘りするものも多く、後者には「受験のための勉強」には無い面白さがあるのも事実です。
その面白さが、小中高の勉強で感じられないのは確かに「悲劇」だなと私も感じました。
あと、過去にTwitter(X)で見た他のユーザーさんの投稿に、「偏差値の高くない大学は、受験勉強には向いていないが、物事を掘り下げて研究するのが好きな学生にとって救済の場」という内容のものがあったのを思い出しました。
確かに「偏差値の高くない大学」は、小中高では学力があまり伸びずに受験に不向きだったけど、それ以降に知力が伸びる「後伸びタイプ」の人や、
興味の分野が偏ってるため受験に不向きだけど、特定の分野を深掘りしたいタイプの人にとっても救済の場なのかなと、個人的に思います。
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