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≪Sound Travel LOG≫ in 京都 ~平安京の”音”を探しにその①~ (2021.2.8)

こんにちはYuriです。
現在3/27に出演する「NAQUYO」のライブイベントに向けて制作に取り組んでいます。


「1200年の時の流れの中に漂ってきた”音”は現代にもあるはず。」

ということで、昔平安京のあった京都市内へ。今回はその旅の記録です。

はじめに

まず今回出演する「NAQUYO」は、KYOTO STEAMとMUTEK.JPが取り組む、「平安京のサウンドスケープ(音風景)の芸術的創造に挑戦し、都市における音環境の重要性を共に考える、開かれたアート・プロジェクト」です。

(詳しくはこちらのアーカイブにて。)

平安京を音という視点から分析した中川真氏の著作『平安京 音の宇宙』にある、"音も四神相応の思想に基づいて配置されており、当時18の寺院が存在していたが、それら梵鐘の音は調律されていたのではないか"という見解に感銘を受けたサウンドアーティストのKazuya Nagayaさんが、現存する梵鐘の音をレコーディングし、その音を立体音響空間に配置することで、平安京サウンドスケープを再現したいと考案。そこからスタートしたのが、NAQUYOプロジェクトです。

平安京と四神相応

旅の記録の前に、ざっくりと平安京と四神相応について調べたことも記します。ここも知っていると、また違った視点からも京都が楽しめるかも!

平安京は、桓武天皇が四神相応の風水学的に最適の地として、山背国に都を移したところから始まったそうです。

平安京と四神相応については、こちらの荒俣宏さんが探るNHKのテレビ映像も参考にしました。興味のある方は見てみてください。(ここでは割愛しますがこの風水にも、中国式、日本式など様々あるようです。)

この四神相応には、それぞれの方角に神獣が宿っており、色や四季、そして音もあてはめられています。

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"音も四神相応の思想に基づいて配置されており、当時18の寺院が存在していたが、それら梵鐘の音は調律されていたのではないか"

Kazuya Nagayaさんが感銘を受けた、中川真先生の著書『平安京音の宇宙』を私も読んでみました。平安京を取り囲む寺院の梵鐘の調律を調査された内容も記されています。

”都合のよいデータばかりではないものの、五行のシステムに合致する梵鐘の音高が調査例のほぼ半分出たことは、決して偶然とは思えない”

”鐘の配置が中世コスモロジーを表現しているという仮説は、かなりの蓋然性をもって主張することができるであろう”

「この都を包み込む鐘の音色がいつも聞こえていたとしたら。」

梵鐘の音のデータを聞ききながら、このサウンドスケープをどうステージで再現するか考えました。

「現在も存在する平安京ゆかりの地へ行ってみたら何かあるかも。」

というわけで、北の基点となった「船岡山」から「朱雀大路」あった千本通を超えて、「内裏」があった場所を訪れてみることにしました。

船岡山 ー清少納言の『枕草子』にも登場ー

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標高112メートル(比高45メートル)、周囲1300メートル、面積2万5千坪の優美な小山です。

王朝貴族の遊宴の地とされていたそうで、多くの和歌が残されいます。
清少納言も『枕草子』で「丘は船岡」と讃えていることで有名です。
風水に基づいて、平安京造営の際は玄武の山として北の基点となりました。

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三角点は小さな公園のようになっていて、京都市内を見下ろすことができます。
写真で見てもらうと向こう側の山が見えるのが分かりますか?
このように京都は山に囲まれた盆地の地形が、風水的にとても良いとされていたそうです。

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中世には応仁の乱の際、この船岡山が西軍の陣地となっていたとされています。西陣の山名宗全が城塞を築いて、東軍の細川勝元を迎え撃ちました。

人に愛され、時には争いの場となり、壮絶な歴史を持つんですね。
現在は、お散歩する人がいたり、近くの幼稚園の子供たちが遊んでいたりとのどかな感じでした。

健勲神社 ー織田信長公がお祀りされているー

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健勲神社は船岡山の中腹にあります。
天下を統一した織田信長の偉勲を称えて、明治2年に明治天皇が創建したものです。
正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれているそうです。

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入り口はいくつかありまますが、私は住宅地を抜けて、階段を上がり生い茂る山へと入っていきました。なぜかこの階段が異世界への入り口のように感じました。

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なんとも木々が怪しげ。。
少し薄暗くて、静かです。鳩が落ち葉の上を歩く音さえも鮮明に聞こえ、不気味な気持ちに。

ちなみに平安京は静寂に包まれていたそうです。
暗くて静かなところにいると、「見えないものが見えそうな気持ち」が湧くことってありませんか?
文献などに登場する「鬼」や「妖怪」の存在も、その想像力から生まれたものなのか、はたまた本当に実在していたのか。。

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とはいえ、かわいい鳥の鳴き声も聞こえてきます。
最近になって、「京都っておもしろい鳴き声の鳥がいる」ということに気付きました。何度も訪れているのにまだまだ知らないことがたくさんありますね。

大極殿跡地 ー現在は小さな公園ー

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船岡山を下りて、千本通を真南へ。
大極殿は大内裏朝堂院の正殿。天皇が政務をとり、国家の大礼などを行なった場所です。現在は小さな公園になっています。

意外とあっけない感じなんですが、京都市内をあるいているとこういう石碑がたくさんあります。

神泉苑 ー平安京の禁苑ー

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観光スポットでも有名な「二条城」の南にあります。
歴代の天皇が行幸された宴遊地で、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑でした。言うたら、天皇のための庭園で平安貴族の遊び場のようなところだったようです。

弘法大師空海が雨を祈った霊場でもあり、祇園祭の発祥地でもあります。

法成橋 ー願い事が叶うと言われているー

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神泉苑の池には、空海が雨乞いの儀式の際にインドの無熱地から呼び寄せた「善女龍王(ぜんにょりゅうおう」という龍神が棲みついているという言い伝えがあります。「善女龍王社」にはその善女龍王が祀られています。

そしてこの池は「法成就池」といい、弘法大師が法力を成就させ、雨を降らせたことから名付けられました。「法成就池」にかかる朱塗りの橋「法成橋」。願い事を一つだけ念じながら渡って「善女龍王社」に参詣すると、 願い事が叶うと言われています。

恵方社 ーいつも吉方を向く日本唯一の社ー

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もうひとつ日本唯一の変わった社をご紹介します。
こちらはいつも社が「恵方」を向く「恵方社」。日本でここだけらしいです。
「恵方」は節分に食べる「恵方巻」の「恵方」と同じです、ここを訪れたのが2月初旬。節分の日、たまたまネットでこちらの記事を発見。なんたる偶然か、引き寄せられるかのごとく訪れることになりました。笑

前年の大晦日なると、毎年変わる恵方に社が調整されます。
恵方には「歳徳神(としとくじん)」という神さまがいて、その方角にお参りすると願いが叶うと言われています。

こう見てわかるように「神泉苑」って隠れパワースポット的な感じですね。

元は約3万坪の広さがあったそうですが、徳川家康が二条城を造営した際に、規模が縮小したそうです。

平安京創設館 -平安京の歴史を知ろう-

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平安京についてネットや本でいろいろ調べてみたものの、情報が溢れすぎていて良くわからなくなってしまい・・・実際に何かみてみようということでこちらへ。
京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)にあります。


中には縮尺1/1000の平安京復元模型もあり、ボランティアガイドさんがいろいろ説明してくださいました。ありがとうございます!

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このジオラマすごいからぜひ見てほしい・・・

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出土品の展示も。

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平安京の人々の暮らしなども知ることができます。

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今回の記事でご紹介した場所は、京都市内でもわりと歩いて訪れやすい場所です。バスや電車を使えばわりと簡単にに行くことができます。

ただ、私の最大の目的であったフィールドレコーディングについては、かなり都会のノイズが多く入ってしまい、大半の素材が今回の制作にあてるのは難しく・・・

というわけで、もっと自然な場所へと後日、東山三十六峰の大文字山登山へ!
次回はそちらをご紹介します!お楽しみに!

本日もご高覧ありがとうございました。


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