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アマルガムにかじられたい

昨日今日で新たに7くらいの感情がくたばった気がする。流れるプールの如く延々と廻る脳内。そのやかましさったらない。

うら若き陽キャが集うプールサイドやギラギラの太陽より5段階上の騒々しさに包まれ、音楽で暴力キャンセリングを施しつつ秋の夜長を過ごした。日傘の下で三角形に固まる我でもカウンセリングと同等の効果を獲得可能。


「人は14歳の時にハマったものに一生影響される」という趣旨の言葉がある。Twitter川に年一ペースで流れてくる手垢にまぶされた言葉だ。
ただあながち間違っていない。昨日私はスプラトゥーン3の設定資料集をついに購入し、Undertaleのサントラとともに夜を泳いでいたのだから。

初代スプラトゥーンとUndertaleはともに2015年に発売された。2001年生まれの私が厨二の花を咲かせ始めた頃のこと。二つ話すとまた日が昇り出すから今日はアンテについて話す。月にもう少し読書灯になってもらおう。


2015年、バレエをやめたばかりのうたがわは吹奏楽部で打楽器を叩きまくる人間に転生していた。さながらちんどん屋の腕さばきで音楽を謳歌していたものの、12年続けたものをやめたストレスはあなどれない。
「これまでどれだけの金を払ったと思っているんだ」という言葉が幾重にもこだまする。死の淵を遠巻きに見つめて時間が流れるのを待った。

状況を踏まえれば、特大の茶目っ気と叫びの煮凝り代表Undertaleが刺さるのは当然。やさしさだけでなく、苦味が随所に現れるストーリーが自身に居場所をくれたような気がしてのめり込んだ。

学校のプラスチック道徳なんかより、傷つけあってネジが外れている世界の方がよっぽどリアルで僕には大事だった。
学校の道徳は綺麗、つまり現代社会の価値観に合致すること。アンテは美しい、言い換えれば汚さもあるがある人の心を時代関係なく震わすこと。僕にとってはね。前者に興味はない。

最初は日本語版がまだなくて、有志が作った素晴らしい日本語パッチを当てて遊んでいた。 Nルート終盤の敵の容姿に「オ°ア°ア°ア°ア°ア°」と本気で叫んでパソコン抱えて階段を駆け下りたり、ランダムで発生する電話のかけ間違いに歓喜しながら、Steam版を5周とSwitch版を2周、計7周味わった。
家庭と受験のストレスをともに乗り越えた戦友アンテに7回拍手を。


アマルガムとは作中に登場するキメラのこと。博士が実験に失敗して地下世界の住人が歪に合わさり、戻らなくなってしまった連中だ。
既視感しかないキャラクターの造形が二次元のドットで強引に合わさっている。しっかり不気味で黙って震えた記憶が蘇る。こわ。

ところが不思議、今となってはアマルガムの歪さがかえって人間らしくて安心する。でもそうじゃん。人間所詮生物で大層なもんでもないしみんな異なる方向におかしい。まとも、普通もまた奇妙さの一種である。我々は現代で七〇億鬼夜行を展開しているに過ぎないではないか。ほら、我々アマルガムなんだよ。言い過ぎ?ハア、気にすんな。お前もアマルガムだからさ。

私も多少成長したらしいが、この先もかわらず希死念慮や問答輪廻に溺れる夜が訪れるだろう。その度に厨二の空気とアマルガムが迎えにきて、筆を握らせ、土を踏ませてくれるのかもしれない。今までもそうだったのかもしれない。
アマルガムと仲良く遊んで、そうやって僕は踊りと鼓動を何度も取り戻すような気がする。

嗚呼、アマルガムにかじられたい。

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