海鳴五六名無し

Uminaly Goro Nanashi フィリピン・東南アジア研究

海鳴五六名無し

Uminaly Goro Nanashi フィリピン・東南アジア研究

最近の記事

パンク・バレエ学徒12年のち

人生の半分バレエを踊っていた。バレリーナを目指し、回転と跳躍を生業としていた。教室で踊ってたら先生のみぞおちによく脱力した手がクリーンヒットしてガチ謝りしたこともあった。 バレエを辞めた時の心情はそりゃもう沼底の底へ沈んでゆくような最悪な悲しさだった。だが辞めて8年経ってようやく気付いた。 パンク精神でバレエに取り組むとそりゃ大成しないのだ。 しかし、抗ったこと、自分のグルーヴを信じたことにまったく後悔はない。 どうやら僕は、「清く正しく美しく」と対をなす方法で楽しそうに

    • 迷えど進めよサイゴンライド

      ポーンと丸い音が鳴った。およそ「シ」の音程。 降下が始まる。 降り立つはベトナム いつもの空の青を背景に群れを成す、もく、もくとした熱帯の雲。ずいぶん南下してきた。青はやがて曇り空の白、木々の緑へと移ろい、やがて現代的なコンクリートの建築が茂り始める。 川が見える。大きくうねった、東南アジア特有の豊かな土色の河川。 東の太陽が景色を照らしてしばらくすると、飛行機は順調な着地を果たした。 ここはベトナムのタンソンニャット空港。東南アジア6カ国を86日でまわる計画のはじまり

      • till the terminus of 地獄

        Sometimes a person become nervous and lost her lighthouse. Furthermore it is easy to fall down to the hole of 地獄(へる). It is said there are 108 entrances of hell. I dont know where. 海を素足で駆けて沖合まで追いかけてきそうな友達とか、たぶんこいつ星と会話できるだろうなって友達までいろんな人間を知っ

        • 圧力なべの世

          私の観測できる高校生、大学生の話の範疇の話であるが、我々は明らかに「圧がかかりすぎ」なのである。夜九時中四方八方からいらない干渉が多すぎて、四面楚歌どころか八面楚歌なのだ。 「家族」 時代問わず最も身近な圧。血縁社会の我らの国で少なくない人数がもぎゃる、分かちがたい、特別なような気がしてくるそれ。実際親だろうが祖母であろうが他人は他人であるのだが、乱雑に切り捨てるわけにもいかない場面がやたらと多いそれ。 あらゆる生物がそうであるように親もまた完全な生物ではない。故に、親の

        パンク・バレエ学徒12年のち

          就活労働へのをかしな愚ー

          就活労働へのをかしな👊 いちょうで遊ぶ色とりどりの羊たちが 急いで毛を黒く染めた あの日の柔らかな足踏みを忘れて 快速で去っていった ゆうやけこやけの類を置き去りにしてさ 僕が北緯1度の直射日光に刺されつつペンを走らせている間だって例外なく時間は進んで、友人たちは就活を次々に終えまなびやを去っていった。 俺が遠巻きに凍てつく眼差しでみてた君たちはいつも忙しくて、飲み世界平和を純朴に願って出所不明の金銭で髪をカラフルに染めていたじゃないか。サークルも仲間もさほど興

          就活労働へのをかしな愚ー

          星-2 無宗教者の祈り

          道中しばしば無宗教という前提が伝わりづらい場合がある。当たり前に宗教があると思ってかかってくる人もいてなんかむかつく。それだけ宗教を取り巻く前提がぼくのそれとは異なっていた。 日本産濡れ鼠の生えた交差点、1人のシンガポール人が無言で傘に入れてくれた。偶然向かう先は同じ儒教寺院だった。 華人の多いシンガポールでは仏教や儒教の信仰が盛んだ。いのる時、未来、過去、現在に三回手をあわせて振り思いを馳せる。線香が無料で置かれてる場合も多く、規模と資金力の大きさを伺わせる。目を開け、

          星-2 無宗教者の祈り

          星-1 都市によぎった原風景

          思ったより飛んで行くシンガポール個人予算 初日に相場を知らぬまま空港で若干高めのご飯を食らってしまう。疲れた頭で碌な答えが出るわけがなく、過度な切り詰め計画をよぎらせて動けない。責めて循環する負のループ、まわらず沼る大脳。 長い時間がたってようやく足が動くようになったら探索の合図だ。リトルインディア手前の豪快な生活感にエネルギーを分けてもらいたくてそろそろと歩き出す。発展した建物に交じる赤道付近の鳥の声、ぱらつく雨に出会うだけで見たかった世界にいることを実感する。 すっか

          星-1 都市によぎった原風景

          忘れてやらね二

          学童の先生の優しい声 「頑張ってるから」 小学校の卒業式で友達がくれた手紙 「ありがとよ」 12年踊った最後にもらった 「長かったね」 「本当に楽しそうに踊る子です」 「こんなにいきいきと踊る子見たことない」 見ていてくれていたあの子の涙 「いつも言ってるのにさ」 強い眼 「自分を大切にできない人は他人も大切にできない」 授業を抜け出した時廊下のベンチ 「俺は楽音祭のステージにほれたんだよ(変な意味じゃなくて)」 帰り道の曇り空 「わかるよ。親に自分のこと見ててほ

          忘れてやらね一

          バレエで工夫を閃いたらかけられた凍てつくような 「ズルしないで」 「こふゆちゃんは褒められるのになんであなたは呼ばれないの」 と言われた時の改装前の駅ビル 「ひとり親はだめな子です」 壇上の副校長から放たれた春の気温 家庭訪問時の鉛のような空気 「クラスで一番心配です」 12年踊った矢先に投げられた 「なにも計画性がない」 「なんだその目つきは」 「そんな簡単じゃないのにできるの」 合宿で褒めてくれてありがとうの次の瞬間 「なにそれ笑覚えてない」 早慶の学生だった

          馬-2 特別を砕いて編む

          クロミちゃんのTシャツを着る店員の女の子 マーケットで可愛い雑貨を売るデザイン学生 マレーシアでかわいい雑貨に出会うと思っていなかった。「かわいい」はもはや日本だけのものではなく、中韓、もっと遠い国でも見られる。 サンリオやふわっとしたかわいさは日本独自の最強文化だと思っていたがとっくに世界中に広がっていて、自分の想像ほど特別なものではないと気づいてしまった。世の中いくらでも素敵なデザインの雑貨はあるし、作れてしまう。 自分が特別に感じていた「かわいい」文化に一度雲をかける

          馬-2 特別を砕いて編む

          馬-1 東南アジアのロシア人◽︎露風を乗せてマレーの日

          Do you like your country? 人の子の問いを受信、風上はロシア 僕の人生で初めてのロシアの友達。モスクワの君、これまでどんな景色を見てきたかい。あたたかな東南の風はどうだい、暑さに弱くないかい。 この旅の中で出会ったロシア人は彼が3人目、東南アジア諸国以外の出身者だとロシア出身の人が一番多い。 きっと君も疑問に思うだろう。2023年12月現在、彼らの母国はウクライナとの戦争真っただ中。北国の戦闘が長期化するほど僕らの感心が弱まるこの時、僕は南国東南ア

          馬-1 東南アジアのロシア人◽︎露風を乗せてマレーの日

          泰-2 黄色い光と生きるなら

          想像と全然違った。 タイの王室は僕の想像より遥かに社会に浸透していた。「アジア」という同じ音を持つ日本と東南アジア、初めは共通点と繋がり探しに思いを馳せ日本をたったが、違いの方が格段に多い。 街、道路、あちこちに飾られる王族の写真。黄色や紫のリボンで華々しく飾られたパネル。王立大学。王族の名を冠した美術館。戦後日本ではまず味わえない王族との距離感。 僕の中で立憲君主制の濃淡がじりりと広がるのがわかった。 タイ王室は、現代タイを強く支える骨組みらしい。それでいて限りなく身近だ

          泰-2 黄色い光と生きるなら

          泰-1経済と環境の前提

          実のところとっくにタイを出国しちまった。今日は日本を出てちょうど一ヶ月、節目の日。明らかに疲れが見えてきてこのままでは考察が書けず後の振り返りに支障が出る。おまけに二段ベッドの上のラテン人が大変うざい。 しめた、物を書かざるを得ない状況だ。 滞っていた週記録を大学で毎授業書いてた講義カードのように扱う作戦を閃く。そうかこれなら最低限勉強の形で渡航を続けられるし、考えてることを提示できる。知識と経験を結びつければ構造が見えてきて、いやでも次に知ること、今知っていることが明確

          泰-1経済と環境の前提

          越-2 いのちという仮定

          ホーチミン最終日に僕の脳を叩いたこと。 渡航レポートは社会について書くから、こっちでは自分について書く。てか新鮮な感情を残しておきたい。めずらしく。 いのちという仮定について なんのためにとか好きなことやりたいこと言葉にしすぎると手垢で意味が霞んでしまうから、ゴム手袋を介して多少丁寧に扱っている。この言葉たちをポピュラーに商い的に打ち出しすぎると今度こそ終わる気がしている。から、少し慎重すぎるくらいがいい。 僕はずっといのちのことを考えていたのかもしれない。今まで自身が

          越-2 いのちという仮定

          越-1文化行為のやりやすさ

          ベトナムの土を踏んでから7日が過ぎた。目まぐるしい道路は幾分か慣れ、一畳間のふかふかな居住空間にも馴染みつつある。 旅の終わりのレポートに繋がりそうな事象をここに残す。 ①サブカルのやりやすさ おそらく日本的なものはベトナムではやりにくくて、ベトナムのサブカルの形は日本と根本から異なる。 うたがわが好む日本的サブカルは、反逆的、辛さや心の醜さが強く濃縮されたもの、衣装のような爆発が見られるファッション、その人特有の時間が流れる…といった傾向にある。さいあくななちゃん、カ

          越-1文化行為のやりやすさ

          アマルガムにかじられたい

          昨日今日で新たに7くらいの感情がくたばった気がする。流れるプールの如く延々と廻る脳内。そのやかましさったらない。 うら若き陽キャが集うプールサイドやギラギラの太陽より5段階上の騒々しさに包まれ、音楽で暴力キャンセリングを施しつつ秋の夜長を過ごした。日傘の下で三角形に固まる我でもカウンセリングと同等の効果を獲得可能。 「人は14歳の時にハマったものに一生影響される」という趣旨の言葉がある。Twitter川に年一ペースで流れてくる手垢にまぶされた言葉だ。 ただあながち間違って

          アマルガムにかじられたい