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小児科医が身につけてほしいと思う個性と障害の捉え方スキル

こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。

今日は、「小児科医が身につけてほしいと思う個性と障害の捉え方スキル」というテーマでお話ししたいと思います。

実はこの放送とは別に、「小児科医が話す発達障害を理解するために知っておきたい知識」という有料放送を流す予定です。そこでは、発達障害を考える上で知っておきたい基本的な事柄をお話ししています。それとは別に、無料のこの放送では、障害医療に関わる中で僕が感じている、障害を捉えるうえで大切な「個性と障害の捉え方スキル」についてお話ししたいと思います。障害を考える上で、この考え方スキルを磨いてもらいたいと思います。

あなたは、障害をその子の個性と考えていますか?あるいは、個性と障害は別物と考えていますか?どのように障害を捉えるかって、障害に関わる上でとても大切なんです。もっと言うと、子どもの生きやすさを考える上で、その子の支援者が障害をどう理解しているのかって、かなり重要なんです。なので、こんなお話をしています。

僕は、子どもの頃からこの障害に対する考え方に変わりはありません。医学生になっても、医師になっても、専門家として障害のある子どもたちに関わるようになっても、この考え方が変わったわけではありません。ずっと同じです。むしろ、障害や医療など色々なことを理解するようになればなるほど、やっぱりこの理解は大切なんだなと感じています。

一方で、僕が小児科医として障害に関われば関わるほど、若者への教育として、こういうことを教えてもらいたいと強く思うようになりました。正直なところ、僕が受けてきた教育の中では、「みんなと同じが正解」、「学力が大切」、そんなかなり偏った意識が蔓延していたように思います。でも、実際に社会に出てみるとそういうわけでもない。十人十色が正解であることもあれば、学力以外の能力がその人の人生を豊かにしているケースも多くみることになりました。

そして、障害児に関わるご家族や医療者、支援者に関わる中で、今回お話しする思考を持たないばかりに生きづらさを抱える方にお会いするようになります。あるいは、この考え方を持たないばかりに、大人のエゴで突っ走ってしまって、子どもへ適切な支援を届けることなく、子どもに生きづらさを生み出してしまう、そんな親御さんにも遭遇することになりました。

つまり、今日お話しするこの考え方を持っていなかったら、子どもにも不利益が及ぶし、その子に携わる大人自身も生きづらくなる、そう思うようになったんです。

その考え方を、まず先にお伝えしておきます。その考えとは、「障害は、その子の中にあるわけではない」という理解です。「障害は、その子どもと社会との中で反応として現れてくるもの」ということです。人が社会で生きる生き物だからこそ、その社会で生きる過程で生きづらい「障害」という状態が生まれます。

この理解はとても大切です。

実は、この捉え方は、障害の医学的な診断をする上でも考慮されるべきこととなっています。例えば、知的障害の診断を行うにあたって、僕たち医師はアメリカ精神医学会の診断基準であるDSMというものを使っています。このDSMの診断基準が2013年に改定されました。その際に、知的障害の重症度の捉え方に変化があったんです。
それまでの知的障害の判定は、知能検査で得られた『知能指数』によって定義されていました。つまり、知能指数がこういう値だから、知的障害の重症度はこのくらい、そんな風に知的障害の重症度が判定されていました。でも診断基準が改定されて、知的障害を知能指数の数字のみで捉えるのではなく、学力・社会性・生活自立などの生活への適応状況を考慮して判定するようになったんです。
それは、知的障害の程度、つまり知的障害による生きづらさは、その人自身のことばかりでなくて、周りの環境によっても左右されうるもの、ということです。

こういう理解から逆にわかってくることは、その子の中には、障害ではなく、間違いなく個性がある、ということです。その子の中に障害があるわけではなくて、個性があるんです。

時々「個性」=「障害」なんて理解をして、障害と診断したらその子を否定するかのようにおっしゃる方がいます。それは障害を、「社会との反応の中で生まれるもの」という理解ではなくて、「障害はその子の中にあるもの」と捉えてしまっているからです。その子の家族や支援者の中にも、そんな風に障害というものを捉えている方が珍しくありません。

そういう理解をされている方は、もちろん医療者の中にもいます。そういう理解というのは、障害というものがその子の中にあるという理解です。そういう風に理解してしまうからこそ、「こういう障害をもっている人は、こういう困りがあるはずだ」とパターン化しようと勘違いしてしまいます。中には、障害児を理解するための医療者教育として、「子どもがこんな障害をもっていたら、こんな困りがあるから、こんな風に対応しよう」、というパターン教育を進めようとしている方もいらっしゃいます。

こういう障害があれば、こういう困難がある。そう推測しようとする姿勢は大切なことと思います。ただ、社会生活との間で生じる障害による生きづらさは、その人その人で違います。それはなぜなら、障害は社会生活の中で生み出されるものだからです。だから、その人を理解するためには、その人とつながる必要があるんです。パターン認識というよりも、その人につながりながら、その人の困難を理解しようとする。その姿勢が大切と思います。

同じ障害があったとしても、その人の色々な能力によって、社会生活に適応できる具合は違ってきます。その子が一緒に生活する家族の能力や配慮によっても、その子どもの生きやすさは変わるんです。知的能力が同じであっても、周りの家族や学校の理解やサポート状況によっては、元気に通学もできるし、不登校にもなり得るんです。

例えば、「ここで見ている限り、この子は障害者じゃないわよ」、そんなことを教えてくれる支援者の方に何人もお会いしたことがあります。そんな子も、駅の改札口ではどうやって行き先に行ったらいいのかわからなくなるんです。置かれたその状況によっては、生きづらさが生まれるということです。

配慮があれば生きやすくなり、配慮がなければ生きづらくなる。それが、障害という状態の特徴です。それ(障害)は、その子の中にあるわけではなくて、その子の個性でもなんでもなくて、社会生活の中で生まれてくるものなんです。

どうか、障害の捉え方を勘違いしないでもらいたい。社会が障害を正しく理解すれば、障害という言葉はもっと使いやすくなるはずです。そんな風に思います。

今日は「小児科医が身につけてほしいと思う個性と障害の捉え方スキル」というテーマでお話ししました。

だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。

湯浅正太
小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて:https://yukurite.jp/)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。

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