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言葉って、むずかしい…

先日、実に10年ぶりに歯医者に行った。イタリアで、極力、行きたくない場所でもある。値段は高いし、保険は効かないし、かかる医者が優秀とは限らないし。で、長い間、放っておいたのだけど、とうとう行く羽目になった。無視は出来ないものだと思う、歯の治療って。

「イタリア語は、分かりますか?」

初対面の相手には、必ず聞かれる。当たり前だけど、イタリアに居たら、私は「外国人」。明らかに、イタリア人ではない造りの顔は、一瞬、不利な気もするだろうけど、正直言うと、この、東洋人系の顔のおかげで、助かることの方が多い。
20年近く居るから、イタリア人のように話せるか?と聞かれれば、答えはNoである、私の場合。
もっと勉強すれば、なんとかなるか?というものでもない。
言葉って、ある種の感覚だと思ったりもする。上手な人は上手だし、そうでない人は、それなりに。

「で、どちらにしますか?」

突然、歯医者さんに聞かれた…気がした。
なにか、モゴモゴと説明してくれていたけども、マスクをしながらの解説は、うまく聞き取れない上に、医学の専門用語など知り得るはずがなく、シリコンがどうの、メタルがなんだの…って言ってたな…と、薄い記憶を辿る。

いつもそうなんだけど、相手が熱を入れて話せば話すほど、段々、気は遠くなり、ウン、ウンと頷きながら聞いている風な顔をしているものだから、「でしょ?」と突然聞かれると、ハッと我に返って、見当違いの発言とかしてしまったりして、返って、不穏な雰囲気になったり。
そうすると、覚えるのは、言葉ではなく、その対処法で、そうしてなんとか切り抜けて、今日という日を生きている。

「えっと、どちらの方が長く保ちますかね?」

決断を迫られているのは、私なのに、決断させるような質問をする。
「メタルの方が、断然、保ちは良いと思うよ。」
「では、そちらでお願いします。」

それとなく、成り立っているような会話だけれど、実のところ、どんな治療をされているのかは、まったくもって分かっていなかったりする私。

言葉って、むずかしい…

そんな事を、何年も経っているイタリア生活で、時々、思ったりする。

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