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責任を取るのは誰?!

いきなりですが、あなたの人生の責任を取ってくれるのは誰でしょうか? 国でしょうか? 自治体でしょうか? 夫でしょうか? 妻でしょうか? 親でしょうか? 子供でしょうか? 大人であれば、たいていの場合は自分ですよね~~~? でも、最近は他者に責任を求めすぎる傾向が強いのかなぁと感じたりします。

だけど、仮に「この問題の責任は〇〇にあり!」と主張しても、他者を動かすことは容易ではありません。まして、指摘された〇〇サイドがその自覚がなかったり、知ってるけど知らないふりしたりするなら、動かすのはさらに難しくなります。それで、例えばそれが国家の場合に、市民運動などの活動につながるのだと思いますが。

だから、そういう大きな課題についてはここは一旦脇に置いて、一番身近で一番どうにかしやすい、自分のことについて考えてみたいと思います。

自分が抱える問題や課題を、真剣にどうにかしたいと思うなら、そのために整理してみることです。
1 自分でどうにかできること
2 自分でどうにもできないこと
そして、とりあえずは1について、何ができるのか、それは本当に有効なのか?など考えてみて、そして、とにかくやってみる~~~!

その際に大事なことは「それは自分の責任」ということです。
自分の責任で動くことのメリットは、もしうまくいったら「私がんばった!」と自分で喜べること(笑)。そして、もし期待通りの結果を得られなかったり失敗しても、他人を責めずに済むことです、自己責任なので。他人を責めずに済むことは精神衛生上良いことで、少なくとも私にとってはかなりのメリットです。

さらに、とにかく動いてみる、行動してみること、について脳科学者の茂木健一郎先生がその有効性について、President Onlineに書かれています。
茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく

これを読んで「そういうことだったのか?!」と、”とりあえずやってみる派”の私は、とても勇気づけられました。

昨日読んでいた本の中に「セレンディピティ」という言葉を見つけました。素敵な偶然や予想外の発見という意味で、ロマンス映画のタイトルにもなっています。キャリアの概念でいうところの「プランド・ハップンスタンス」(Planned Happenstance  クランボルツ博士が提唱されたキャリア理論)にも通ずるところがあるように感じます。どちらも、動いてみてやってみて初めて手に入る、遭遇できるものではないでしょうか?

それで『自己責任』と『とりあえず行動してみよう』とは何の関係があるの?。あれれ、この文章はどこに行こうとしているのか…?。

ということで、結論です。

今回のコロナ過で、いのちとか人生について改めて考えさせられました。重なる水害などもそうですが。規模が甚大で数も膨大なので、迫りも激しい。
それで、何か解決したいことや希望があっても、誰かが何かしてくれるのを待っている間に、もしも、突然人生の幕が降りてしまった時に「他者のせいで後悔とやり残しに満ちた人生だった」と終えるのは残念すぎる、と思うわけです。
それよりは、失敗を恐れているより、体験を重ねるつもりで動いてみることを選びたい。そして、人生の最後の日がいつ来ても、今日まで自分なりに精一杯生きた!と言えたら、それが私のささやかな人生としては上出来なのかなぁ?、と思ったりしています。

このところ、気持ちが欝っぽかったり怠惰気味になる時もありますが、「そんな言い訳ばかりしてないで、自分の人生の責任は自分で取りなさいよ」と自分を戒め、発破を掛けてみた次第です…。

蛇足:写真は数年前のちょうど今頃、紅葉の季節の井の頭公園。
白鳥ボートって傍で見るには優雅で可愛いい、だからつい写真に撮っちゃう。でも、漕ぐほうはたいへんなんですよねえ。うちは母子家庭なので、娘と二人で乗るともっぱら漕ぐのは私一人。彼女がまだ幼かったころ、せがまれて乗ったはいいけれど、池の真ん中で力尽きて途方にくれたことがありました…(笑)。優雅な白鳥ボートも、行き先を定めてしっかり脚を動かさないと、「白鳥はかなしからずや空の青海のあおにも染まずただよふ」になってしまいます…、あれ、ちょっと違うかも?!


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