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83:God only knows

何度もnoteの編集画面を開いては閉じる。何かを書きたい。けど書くほどでもないか。閉じる。また開く。ちょっと書く。たくさん書くほどでもないか。閉じる。こうして謎の下書きが増えていく。

先週、父が癌かもしれないということが分かった。というか前々から疑いはあったが本人も家族もまぁ違うだろうと思っていたところ、再検査でいよいよその可能性が高くなってきたのだ。
娘のわたしにできることは何も無く、とりあえず先週末は心配で実家に帰った。幸い、癌とはまだ確定ではないのと、癌だとしても早期であり手術が可能であろうということ、手術したらそれほど命の心配はしなくてよさそう、ということが救いだ。ただ癌は癌だ。やはり転移は心配だし、手術すると部位周辺の筋肉も切除となり確実に生活品質は落ちるらしい。
当たり前だけど父は少ししょんぼりしていて可哀想だった。わたしも切なくて悲しい気持ちになった。

でも何もできなくて、こんな時せめてわたしにお金を稼ぐ能力がもっとあったらなぁなんて思った。せめて手術代とか入院費用なんか心配しなくていいよって言えたらなって。もっと言えば老後資金も心配しなくていいくらいに稼げたら両親共に今すぐ仕事を辞めたっていいのだ。

けどちょっと今は無理そうだから、少しでも気持ちが軽くなればと一緒に厄祓いに行く提案をした。わたしも父も今年が本厄だ(歳バレ)。癌かもしれない父と鬱かもしれない娘、これが厄のせいなら一緒に祓ってしまおう。もしかするとほんとに厄のせいなのかな。わからないけど、こういう時何かのせいにできた方がいいんじゃないかと思う。心が不安に埋もれるくらいなら『厄年だから仕方ない』とか『厄祓いしたからもう大丈夫だ』って嘘でも思える方が精神衛生上良い。それが心の拠り所になるのなら。ストレスは万病のもとだしさ。神様や宗教はこういう時のためにあるんじゃないかとすら思う。

車で20分くらいのところに厄除けで有名なお寺があって、そこで御祈祷を受けようと言った。父はちょっと興味をもったが、土日は今の時期混んでるかもしれないから平日かなぁと話していたら仕事のことを考えて急に気乗りしなくなってしまった。わたしもそれを見て心萎えて、まぁじゃあ1人でも行って父の分も祈っておこうかななんて思い直して自室に戻りゴロゴロしていた。しばらくすると父がやって来て今から行ってみるか?と聞いてくる。本堂に上がって直接ご祈祷してもらう方は混んでるかもしれないけど、名前を書いて1年間お寺でご祈祷してもらうだけの方もあって、そっちなら混んでてもいけるんじゃないかと。

御祈祷が2種類あるのはわたしも知っていたけど、それよりも父がわざわざ調べて逆提案してくれたことと、たぶん娘なりに考えてできることをしようとした気持ちを汲んでくれたんだろうなって感じて嬉しかった。単に本厄と気づいたら早く祓いたくなっただけかもしれないけど。

関係ない母を巻き添えにひとドライブして寺に向かい、2人とも無事御祈祷をお願いした(母は自分用に破魔矢を買っていた)。並んでいる間、父に病気平癒の御守りがあるよと言ったらすぐ購入していて少し可愛かった。寺は混んでいたけど思ったほどではなく、待てば本堂での御祈祷も受けれそうだったけど、タイミング的に30分以上待つことになりそうだったので諦めた。父は少し短気なひとなのだ。

なんせ厄祓いはしたのであとは神のみぞ知ることだ。大好きな家族が1日でも長く健康で幸せでありますように。

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