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神様だって間違えることもある
発達障害ではないと診断されたと思っていたが、先月あたりに自分の診断書を見る機会があり、そこには
主たる症状:反復性うつ病
従たる症状:ADHD(不注意優勢型)
とあった。
医師に私って発達障害だったんですかと聞くと『あると思いますよ』とさらっと答えられた。
自分でも、グレーゾーンかもしれないけどあるんだろうなぁぐらいには思っていたから、そんな筈はないとは思わない。ただ『診断されるほどではなかったのだ』とばかり考えていたので少し面食らった。
しばらくの動揺の期間を過ぎて、感じたのは
『そうか、やっぱりな。でも別に私が望んだ訳でもないけどな。』だった。
いわゆる 運 だ。
それ以上でもなければそれ以下でもない。
子供の頃から今までの色々苦しかったり悲しかったりした経験を思い出し(もちろんその反対の発達ならではの喜びもあるのだけど)、でもそれには仕方がない部分があって、自分でもどうしようもなくて、でも、周りから見たら私は『普通(定型発達)』の人で。一見周りと変わらない。知的能力も問題ない。でもできない。なんかズレていて分かっていない、『変な人』と認識される。
どうしようもない怒りや悲しみ、積年の悔しさがぐーっと込み上げる。でも、仕方ない。
だってほんとに仕方ないじゃん。
開き直りとかだけじゃなくてさ。
で、韓ドラの【グローリー】を見てたら不幸な運命の主人公が親切な老人(この老人も苦労人なんだけど)に
『神様だって時には間違える』
といわれるシーンがあって、あぁそうだなと納得してしまった。
自分は無神論者だけど。
まぁそーゆーこともある。
それはそれとして、どう生きるかだよな。
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